君を探して、あの丘の上まで。
そこに君はいた。
僕を待っていてくれた。
「ごめんね、遅くなって」
君は静かに微笑んだ。
二人で丘の上のベンチに座って、夜空を見上げる。
今夜はしし座流星群が見られるという。
君と一緒に、いつか見に行こうと話していた流星群。
少し遅くなったけど、こうして見に来れて良かった。
寒くない?と聞くと、君はコクリと頷く。
そして、星が流れ出した。
君の横顔は相変わらず綺麗だ。
真剣な眼差しで、夜空のスクリーンを見上げている。
知らず知らず、僕の目からは涙が溢れ出した。
滲んだ視界の向こうに流れ星を捉え、必死で願い事を唱える。
「君が戻りますように
君が戻りますように
君が生き返りますように」
流れ星に願いを。ネガイカナイタマエ。
君はいつもここにいる。
何故なのかは分からない。
半年前に病で亡くなった君が入院していた病院の窓からは、遠くこの丘が見えた。
きっと、病院を出てこの場所に来ることを夢見ながら死んでいった君の、最後の願いが叶ってしまったのかもしれない。
今度は僕の願いが叶う番だ。
摂理なんて関係ない。君が戻ればいい。
君がここにいる時点で、世界は狂い始めてるんだ。
失意の底で死に場所を探して、人のいないこの丘で君に出会った時、僕はそう思った。
僕の声は届くのに君の声は聞こえない。
君の体に触れることも出来ない。
ふと気付くと、君がこちらを向いて、何かを話していた。
声は聞こえない…が、何故か、君の言葉が伝わってくる。
「最後の願いが叶ったよ。ありがとう」
星が流れてゆく。
君が消えてゆく。
僕の願いは、叶わなかった。
丘の上のベンチに一人。
流星群のショーは終わったようだ。
君の最後の願いは、この丘にずっといることじゃなくて、この丘から流れ星を見ることだった。
僕と一緒に。
僕の願いは叶わなかったが、彼女の願いを叶えてくれたことに感謝している。
流れ星に願いを。ネガイカナエタマエ。
この島には、ひとつだけルールがあった。
まあ、昔からのしきたりみたいなもんだ。
それは、「一人で死んではいけない」というものだった。
いや、死ぬ時は誰でも一人だろ、とは思うが、要するに「自殺しちゃいけません」ということなんだろう。
そんなもんルールにするのもどうかと思うし、死なんていつどんな時にやってくるか誰も分からないし、そもそも、そのルールを破ったところで本人はもう死んでるんだから、なんのお咎めも罰も受けられない。
何のためのルールなんだか。
そういう訳で、死ぬことにした。
事情は伏せるが妻子には逃げられ、借金の取り立てが激化して、放っといても死ぬことになりそうだ。
どうせなら、自分の意志で自分の行く末を決めたい。
奴らに殺されるなら一人で死ぬこともないだろうが、俺は一人で静かに消えていきたいと思った。
ルールなんか知ったこっちゃない。
天井の梁にロープを結び、輪っかを作って首にかける。
あとは乗っているこの椅子を蹴れば…その時、電話が鳴った。
もちろん、出るつもりなどなかったが、留守電が作動する。
「町長ですがね、やめときなさい、もったいない」
…えっ?
「今すぐ説得係が行きますから。早まっちゃダメだよ」
…なに?
唖然としていると、見慣れた顔がぞろぞろと家に入ってきた。
…なんで?
「この島をね、守らなきゃいけない訳だよ。それでなくても過疎化が進んで、町長は、近いうちにこの島が無人島になるんじゃないかって心配してる」
「いや、それはいいとして、なんで俺が死のうとしてることを?」
「そんなもん、この家の監視カメラがすべて見てる。それを我々が常時監視してる」
「監視…カメラ?」
「家の中だけじゃないぞ。この島の至る所にカメラは設置されてる。たとえ山の中でもな。小さな島だから出来ることだ。そして、我々説得係も島中に待機してるよ」
そういう訳で、説得された。
事情は伏せるが、妻子が出ていった原因を解消してくれるという。
その上、妻に復縁を交渉してくれるとか。
どんな手を使うのかは知らないが…
また、借金取りが二度とこの島に渡って来ないようにしてくれるという。
…そんなことが出来るのか?
「簡単なことだよ。ここは俺達の島だからな」
イマイチ意味は分からないが、借金が帳消しになるのなら文句はない。
「一人で死んではいけない」というより、「一人で死ぬ前に話を聞け」だったか。
生活はかなり改善して、死を選ぶ理由は無くなった。
借金取りは姿を見せなくなり、妻子も無事に戻ってきた。
…無事に?
何故か、日々何かに怯えているような気もするが…。
どうした?と聞いても、作り笑いするだけで何も言わない。
数日後、海岸に死体が上がった。
見覚えのある顔。
借金の取り立て屋だ。
…なるほど。
いよいよ、この島から逃げ出す計画を立てなきゃならないようだ。
至る所に監視カメラが仕掛けられている、この島から。
朝から雨降り。
心もどんよりだ。
雨のせいか、朝の電車は混んでて、なんだか調子悪くて途中下車してしまった。
駅のホームで次の電車を待って乗る。
何やってんだ、俺は。
今日の心模様はどんよりだ。
まあでも、一日はこれからだな。
こんな朝のことなんて、気が付いたら忘れてる。
いつまでもホールドしない。
心模様なんてコロコロ変わって、いつの間にか青空が広がってるもんだ。
我ながら能天気な気もするが、心模様も脳天気も晴れ渡っていれば、きっとそれだけで楽しい一日に変わる。
満員電車で痴漢されている女子高生を助けて、ホームに降りて逃げ出そうとする男を羽交い締めにして駅員を呼んだ。
最終的には警察もやってきて、詳しい事情を説明した上で「被害者の方は?」と聞かれ周りを見回すと、女子高生と思っていた被害者がカツラを放り投げ、そこには加害者の恋人だという男が立っていた。
要するに、そーゆー二人のそーゆープレイだったらしい。
恨めしそうな目で二人に睨まれた。
…え、俺が悪いの? 二人の邪魔をしたの?
警官は、公衆の場でそのような行為は控えるように、と厳重注意して、二人を解放した。
ホームに残された三人。
「あ…なんか、すみませんでした」
とりあえず、頭を下げる。
さっきまで女子高生だったはずの男が、
「私達の愛の形に、何か問題がありますか?」
真面目な顔で訊いてくる。
「いや、そんなことは…ただ、ちょっと想定外だったもので…」
「あなたの想定内に収まるつもりはありません」
「はあ…そりゃそーですよね」
社会通念ってのは、正しいのか。
それに反していたら、非難されてしかるべきなのか。
そんなはずはない。
人は多種多様で、それぞれの持つ正しさは数限りない。
社会通念的にたとえ間違いだったとしても、あの二人が幸せの片鱗をそこに見い出すのであれば、それは他の誰にも否定することは出来ない。
ただ、家でやれ、家で。
「私達はね、誰にもバレないように、こっそりと楽しんでいるんです。あたかも本物の痴漢のように」
いや、そんなんだから他の人の目に怪しく映るんじゃ…という言葉を飲み込む。
俺が声を上げなければ、彼らは至福のまま、愛を深めていた訳だ。
人の恋路を邪魔する奴は、馬に蹴られて何とやら、だ。
いや…家でやれよ、家で。
二人が電車に乗るのを見送る。
何となく、一緒に乗るのは気が引けた。
次の電車を待って乗り込み、目的の場所へ。
永田町駅で降りて、出頭命令のあった最高裁判所へ向かう。
俺の彼女への愛の形。
それは、いかなるものにも邪魔されない、究極の愛。
ところが、国家権力に邪魔された。
ストーカー規制法に触れるという。
愛の形は十人十色じゃないのか?
本気で愛したら、ずっと一緒にいたいと思うのが当然じゃないのか?
今日の二人に出会って、社会通念的にたとえ間違いだったとしても、幸せの片鱗がそこに見い出せるのであれば、それは誰にも否定出来ないはずだと改めて思った。
もちろん、これだけの愛を注がれている彼女がそれを拒むはずがない。
人の恋路を邪魔する奴は、馬に蹴られて何とやら、だ。
この裁判が終わったら、君の家に行くから。
待っててね。
月曜朝の不安はいつものように、心のどこかしらに居座ってる。
もう何千回も繰り返してきた月曜日。
当たり前のようにやってくる月曜日。
特に何がある訳でもない。他の曜日と何ら変わらない。
それでも、自由で楽しい週末を過ごして、たぶん昨日の夜辺りからずっと、不安の雫が心に少しずつ落ち続け、朝を迎えた今、それがいっぱいになって零れ落ちる。
そんな感じ。その雫の成分は分からない。
そんな時は、今日がいつもと変わらない普通の一日だと自分に言い聞かせる。
こんな日をもう数え切れないほど過ごしてきた。
その積み重ねで今ここにいる。
もっと積み重ねよう。もっと経験値を上げよう。
少なくとも、右も左も分からない初めての日々はもう過ぎた。
あの頃の不安に比べれば、きっとこれは幻みたいなもの。
すべてがうまくいく、とは思えなくても、すべてが何とかなる、とは思えるくらい生きてきた。
思い込みを取っ払って、まあいいかをモットーに、足るを知れば最強だ。
そうすれば、もしもまた初めての場面を迎えても何とかなる。
何とか出来るなら、これからも生きていける。
だから、今日という日も、この月曜日の朝もやり過ごそう。
ほら、いつもと変わらない満員電車。
職場に着いたら皆に挨拶して、ワクワクはしないけど、それなりにやりがいのある仕事に取り掛かろう。
その頃にはもう、今朝の不安はどこへやら。
やっぱりあれは、ただの幻なのかもしれない。