夜のしじまを切り裂いて、サイレンが鳴り響く。
黒と白と赤のボディカラーの車達が、大通りを走り抜けてゆく。
誰かを捕えるためか、救うためか。
深夜のヒーロー達。ミッドナイト・ヒーローズ。
私達が暖かい布団の中で夢を見る頃、危険を顧みず、真っ向から悪と対峙する。
昨夜「警察24時」で見たよ。
こんな平和な日本でも、深夜の闇に紛れて様々な悪がはびこってるんだな。
怪我や病に苦しむ人達を救うため、一刻を争って現場へ向かい、生命のタイムリミットと対峙する。
最近だと「TOKYO MER」かな。
見たことはない、けど、正義感あふれるドラマだってことは分かる。
危機迫る現場から逃げ遅れた人達を命がけで救い、燃えさかる炎と対峙する。
昔「バックドラフト」って映画に感動したっけな。
アマプラで見つけたからウォッチリストに登録しといた。後で観よう。
彼らの活躍は深夜だけじゃない。
だけど、街が寝静まる安息の時間に、誰かの命を守るために自分の命をかけてくれるヒーロー達がいることを、忘れずにいたい。
クロレンジャー。
シロレンジャー。
アカレンジャー。
ミッドナイト・ヒーローズ。
今宵も助けを求める声に耳を澄ませ、闇に潜む諸悪を暴き出し、変身する術や必殺技は持たなくとも、日々戦っている彼らの活躍に、乞うご期待。
人生、不安ばかり感じてるような気がするけど、不安が解消されれば安心を得られる訳で、不安と安心はセットなんじゃないかと思う。
山がなければ谷は出来ず、その逆もまた真なり、だ。
不安が大きければ大きいほど、それが解消した時の安心感は強くなるし、何の不安もない日々に、安心出来る要素なんて生まれるはずもない。
山でも谷でもなく、起伏のない平地なんだから。
心から大切だと思える人に出会ったら、一緒にいる時の安心感とともに、失うことに対する不安が芽生える。
大切に思えば思うほど、安心も不安も大きくなってゆく。
両極端なのに、共存する訳だ。安心と不安は表裏一体。
守るべき存在が出来ると、強くなると同時に弱くなる。
人間ってホントにメンドくさ…もとい、素晴らしい。
先日、「きっとうまくいく」というインド映画を観た。
何か不安なことがあっても、「All is well (きっとうまくいく) 」を口ずさんで、気持ちを切り替えてゆく。
不安と安心が共存するのなら、考え方ひとつでスイッチ出来るはずだ。
そしてそのスイッチは、思いのほか単純な作りだったりする。
何だか心がとても軽くなった。
朝の電車でパニック障害が起きても…
All is well. きっとうまくいく。
職場で上司とモメて険悪になっても…
All is well. きっとうまくいく。
手術が必要な疾患が見つかっても…
All is well. きっとうまくいく。
不安を安心に変えてしまおう。
否定の「不」を取って心を寄せればいい。
All is well. 大丈夫、きっとうまくいく。
被写体が逆光なら、カメラマンは順光。
光が照らす方向によって、向かい合う二人はまるで正反対の姿を見せる。
だから人は、向き合ってばかりだと衝突するのかもしれない。
同じ方向を向いて並んで歩いていく方が、ともに太陽の光を正面から受けて、同じ気持ちで前に進めるのかも。
満月の夜に、月から見ると地球は逆光で暗がりの中、地球から見ると月は順光で真ん丸に照らされている。
この光の加減で、我々は美しい満月を見ることが出来る。
自分が逆光の時は、順光でよく見える相手のイイところを探すチャンスなのかもしれない。
たとえ普段はいがみ合っていたとしても。
だからたまには向き合うことも大切なんだな。
人それぞれ、いろんな側面を持っていて、それを頑張ってアピールすることもあれば、必死で隠し通そうとすることもある。
お天道様に顔向け出来ない、とまではいかなくても、あまり人目に付かないところにしまっておきたい自分を、誰もがいくつか持っているんじゃないかと思う。
そんな時、逆光でいることで心安らいだりするんだろうな。
いつも真っ向からスポットライト浴びて自分を演じるのはしんどいよね。
逆光とは、安らぎなり。
順光とは、輝きなり。
それが、私なりの解釈。
今、こうして書いてきて辿り着いたものでしかないけど。
もしかしたら、まるで見当違いのことを言ってたりして。
まあ、それに気付いたら、しばらく逆光で暗がりに潜んでよう。
いつかまた、真っ向からスポットライトを浴びる、その日まで。
こんな夢を見た。
どこまでも広がる海原の真ん中を、オールの無い小舟で漂っている。
見回すも島影は見えず、航行する船はおろか空を行く飛行機さえも見つける事が出来ない。
いつからこうしているのだろう。どうしてこんな舟に?
何も分からずに、ただ漂っている。
いつのまにか夜が来て、辺りは暗闇に包まれた。
夜空を彗星が流れてゆく。長く、白い尾を引いて。
そして、そのまま、水平線の彼方に、落ちた。
そこで目が覚めた。いつもと変わらない朝。
時計を見て、慌てて身支度を整え、学校へと向かう。
玄関でつまづき、転びそうになりながら。
家を出る時、両親は自分を見送ってくれただろうか?
空を見上げれば、長く、白い尾を引いて、夢の中で見た彗星が落ちてゆく。
ビルの向こうに消えた数秒後に、経験したことのない衝撃に身を包まれた。
体が粉々になる感覚。
自分という存在が、終わりを告げる。
そんな夢を見た。
たくさんのチューブに繋がれた、白いベッドの上で。
両親が泣いている。
登校途中の交通事故だったと誰かが言っていた。
もう二度と目を覚ますことはない、と。
「世界の終わりが来るとしたら、それを見届ける誰かはいるのかな?」
友達の一人がそう言って、肩を落とした夕暮れの河原で、
「大丈夫。終わりが来た後で、きっと誰かが目を覚ませば、すべては夢だったってことになるから」
そう言って笑ったのは、誰だったっけな。
小舟は海をゆく。
世界の終わりから逃げのびて、どこかに始まりを探し求めて。
今度目を覚ます時は、目の前に彼らの笑顔があることを信じて。
白く尾を引く彗星の軌跡を辿り、水平線の彼方の街に流れ着き、ここですべてを始めようと地に降り立つ。
長い漂流を終えて、この足で始まりの大地を踏みしめた時、薄れていた意識が、自分でもそれと分かるほどに覚醒していき…
そして、目覚める。
いつもと変わらない朝。
身支度を整えて家を飛び出す。
玄関でつまづき、転びそうになりながら。
振り返れば、呆れ顔の両親が窓の向こうで見送ってくれていた。
タイムマシーンについて考える。
車、机の引き出し、洗濯機。
映画やテレビの中では、いろんな形で登場するタイムマシーン。
個人的には、脳波をコントロールする帽子なんかをイメージする。
物理的に時を超えることはなくて、意識だけが過去へ、未来へ。
同じ世界に自分が二人いるのってホラーだし、絶対にタイムパラドックスが起きると思う。
例えば30歳の自分が10歳の自分に会いに行ったとして、その10歳の自分は30歳の自分に会ってるけど、30歳の自分は10歳の時に30歳の自分には会ってない。
いや、思い返せば会ってた、なんてオチもあるけど、だとすれば、自分の人生はすでに「30歳になったら10歳の自分に会いに行く」と決められてたことになる。
それはいつから始まったループなのか。
気まぐれで会いに行かない30歳はいないのか。
洗脳されたように行くことになるのか。
…ああ、訳の分からない考察に209文字も使ってしまった。
一言、「親殺しのパラドックス」で済む話だったな。
意識だけが過去や未来へ飛んで、自分を含む別時代の世界を俯瞰で見るような…そんな感じなら、トラブルも起きないんじゃないかな。
見に行くことは出来るけど、干渉することは出来ない。
自分が幽霊になった感じ。
それだったら、タイムマシーンの可能性もそれなりに広がったりして…?
あ、そーすると、俺が愛して止まない「バック・トゥ・ザ・フューチャー」を否定することになる…?
あの素晴らしいストーリーは、物理的に移動しないと成立しないよな。
やっぱり却下しとこう。
マーティはビフを殴るべきだ。ん?殴ったのはジョージ?
…うん、やっぱり行き詰まった。
タイムマシーンなんて、アインシュタインでもなくちゃ語ることは無理なのかも。
でも、いつの日か、本当にタイムマシーンが発明される未来があるなら、まだまだずっと先のことだと思うから、そこまでタイムマシーンに乗って飛べればいいのにな。
あ、これもタイムパラドックス…?