ある人は意地っ張りだと嗤った。ある人は頑固だと呆れた。
拘りが強いね、と言った人もいた。それは理解じゃなくて、自分の中で、全く逆の、「違う生き物」というラベルを貼る言葉なんだと知っていた。
誰だって譲れないものの一つ、持っていると思っていた。
自分の掲げる言葉は正しいとも思っていた。
だって、そうでしょう。どうしてみんな、妥協できるの。どうしてみんな、「こうした方がもっとずっと良くなって、みんなのためになるのに」と解って、何もしようもしないの。
それなのに。みんな思ってるはずなのに。
「もっとちゃんとやろうよ」
「まじめにやろうよ」
「その方が、絶対にいいものが作れるから」
嗤われ呆れられ、ついには嫌われて、一人二人と離れていった。
ある日とうとう、悲しくなって泣いた。
些細なきっかけで、それは例えば小指をぶつけたとか、お風呂の水を抜かれたとか、そういうことだったけど。しょうもなくて、なさけなくって、馬鹿みたいで、でもそんなことで泣いたと思われるのも嫌で、声を殺して嗚咽を漏らした。
人と分かり合えないとか、それはつまり感性の話で理解されないとか、言葉が正しい意味で通じない、とか。もう、宇宙人と喋ってるみたいな気持ちになる。でもって、宇宙人同士でコミュニケーションが取れているところを私は見て、宇宙人は私の方かしら、きっとそうなのねなんて思う。
そう思うと、もう、この世界にたったひとりぼっちみたいな気さえしてくる。真っ暗な闇の中に、ひとりぼっち。怖くて悲しくて寂しくて、どうして、こんなに近くに人がいて。声が届く範囲で言葉を掛け合って、だのに独りだ、なんて思わないといけないんだろう。
『もっと、上手く生きる方法があるのに、それを知ってるのに、そうした方がもっとずっと良くなって、自分のためになるのに』
みんなのために? 自分のために? 本当に?
もうわかんない。あきらめて折り合いを付けてヘラヘラ笑って生きればいいじゃん。やり方はわかるでしょう、そうできるでしょう。なんにも、正しいとか、その方がいいとか、もっとずっと良くなるとか、無視してさ。なーんも気が付かないふりをして生きていけば。
なのにどうしてこんなに歯を食いしばっているのだろう。
本当に、馬鹿みたいだ。意地っ張り、頑固。そうかも。そうだよ。
どうしたって私は私だ。イヤなものはイヤだ。
怖い。悲しい。苦しい。辛い。でも、ヘラヘラ笑って気が付かないふりをして、虚しいのは、もっとイヤだ。
だったらもう少し、もう少しだけこの暗くてひとりぼっちの世界で、戦ってみる方がマシだと思えたんだ。
一つ灯った。確かに灯った。
プライド、或いは矜持と、そう呼べることを願ってる。
【消えない焔】
私は人間でいたいんだ。
「どうしてこんなことをやっているんだろう」
馬鹿みたいに熱中して。その頃は楽しかった。だからその道で生きていけると、幸せにやっていけると信じた。
いつか、楽しいよりも先立つものがあって。矜持か、意地か、期待、責任、生活? 「やらなければいけない」理由、「やりたい」気持ちよりも優先されるべきであろうと、大概思われる感性が。
そうして掲げた理由は、ともすれば義務となって。
いつからか。向き合うことが苦痛となった。
辞めたい。逃げたい。誰だ、こんなことをして生きていけると言ったやつは。昔に戻れるのなら、過去の自分に、大ばか野郎、悪いことは言わない、絶対にやめておけと言うのに。
分かってる。それでやめられるやつは幸せだ。そうして、それでやめられるやつは、こんなところまで来はしない。
「痛い、苦しい、血反吐を吐いて、涙を流して、歯を食いしばる、そうして前を睨んでくそったれと吐き捨ててまた歩き出すのは、どうして」
"どうして"? そう…そう思うなら、まだお前は見たことが、ないんだな。そうだね、いつも思うよ。「どうしてこんなことをやってるんだろう」。そうしてその時は、やめられない理由になった義務たちがつらつらと頭の中に浮かんで、「ここでやめたら」、なんてうつ病まっしぐらみたいな言葉が浮かぶんだ。
でもね。そんなボロボロの状態で、もう一歩、あと一歩だけ、歩を進めることが、できたなら。
自分が生み出したものを、他人が愛してくれる瞬間が、訪れる。
奇跡みたいなんだ。
好きだの一言で、拍手の一つで、どうしようもなく泣けてくる。持ち得る全てを投げ出して良いと、思えてしまう。
そうだよ。掲げた義務は、どんなに立派でもそれらしくても、言い訳だ。結局僕たちは、ただその時のために、その瞬間が愛おしくて、忘れられなくて。やっぱり馬鹿みたいに熱中している。それだけなんだ。
いいかい。苦しいよ。そりゃあもう、人に勧められないくらいに。
だからその苦しさを君に強要することはできない。そうして苦しさから逃げられるのなら、そうするべきだ。そうできる君は、幸せだ。
でもね。もし、君が後に引けない理由だけを引っさげて、今尚耐え難い苦痛の中にいて、そうしてその苦痛が永遠に続くものだと、絶望しているのなら。
もう一歩だけ、どうかもう一歩だけ、死に物狂いで歩いて。
ああ。もしそうして進むことができたなら、そうして君が次なる苦痛に身を投じると決めたのなら。その時は、感想を教えてくれ。きっと君は、馬鹿みたいな笑顔で、「ろくなもんじゃない」っていうんだろうけれど。
【もう一歩だけ、】
"例えばある日、この世の慈悲の無さや、自分の限界を唐突に知ってしまうことはないか"
友人を騙した。家族を殴った。であるのなら、返す刀で鋭い一閃を食らうことは、つまるところは自業自得であろうと言うのに。嘘を付かれて。価値観や人間性を頭ごなしに否定されて。「自分は」と嘆くばっかりだ。
責められやしない。きっと誰だってそうなのだ。
そうして酷く傷付けられて。大人になってしまったのなら、傷付けられた自覚はとうになく、悲しさは苛立ちとして消化されてしまうから。行き先はベッドの中でも、もちろん唯一無二の誰かの腕の中でもなく、しけた酒場と、チューハイの齎す泥酔の中にしか、ない。連れがいれば止められるほどの量の酒を入れて。帰り際に肩をぶつけてきた誰かに八つ当たりをして。
翌日の昼頃、目を覚ます。朝から入れた、友人との約束をすっぽかしたことを自覚する。
「どうせ雨だからいいよ。また行こうな」
なけなしのフォローが、1時間も前に来ていて。
惨めで、惨めで、仕方がなくなる。そうして唐突に悟るのだ。
どうしたって世界は自分に優しくない。けれど等しく自分も他人に優しくなどはない。ならばお前の嘆く不幸の一切は、いつかお前が先に手のひらを返し、そうして述べられた手を、小蝿のように振り払った罰である。
泣けるだろうか? 嗤えてくるか。思うに一切の激情はなく、泣けもせず嗤えもせず、もう一度酒を煽る気分にもなれず、かといって気分転換などとうに望めない。あらゆる現実逃避は虚しさを何倍にも膨れ上がらせて、結局は、曇天の日の暗い部屋で、湿度の高いような、息の詰まるような部屋で、ぼんやり天井のシミを数えている。
ああ、鬱屈。鬱屈というのだ。いつかの人生のある日のことか。曇天、雨も降らない曇天の日の。想像に易いだろう? 人生が曇る日なんて、誰にとっても。
どうしたって良く在れないんだろうな。
遠くで、雷が鳴った。
【遠雷】
「たっくんが、いじわる、したー!!したのー!!!」
「あした、えん足だったのに…」
「ポチ死んじゃった。なんで?」
「わかんない、でも、優勝できたから、…みんなありがとう」
「お母さんには関係ないでしょ!もうほっといてよっ!!」
「 」(目の前の男性が、銀の指輪を左の薬指に差し出す)
「ああ…可愛い、可愛い子。これからよろしくね」
ずっと、枯れなければいい。悲しくても、嬉しくても、ずっとずっと豊かな人生を、たくさん。
【なぜ泣くの? と聞かれたから】