私は人間でいたいんだ。
「どうしてこんなことをやっているんだろう」
馬鹿みたいに熱中して。その頃は楽しかった。だからその道で生きていけると、幸せにやっていけると信じた。
いつか、楽しいよりも先立つものがあって。矜持か、意地か、期待、責任、生活? 「やらなければいけない」理由、「やりたい」気持ちよりも優先されるべきであろうと、大概思われる感性が。
そうして掲げた理由は、ともすれば義務となって。
いつからか。向き合うことが苦痛となった。
辞めたい。逃げたい。誰だ、こんなことをして生きていけると言ったやつは。昔に戻れるのなら、過去の自分に、大ばか野郎、悪いことは言わない、絶対にやめておけと言うのに。
分かってる。それでやめられるやつは幸せだ。そうして、それでやめられるやつは、こんなところまで来はしない。
「痛い、苦しい、血反吐を吐いて、涙を流して、歯を食いしばる、そうして前を睨んでくそったれと吐き捨ててまた歩き出すのは、どうして」
"どうして"? そう…そう思うなら、まだお前は見たことが、ないんだな。そうだね、いつも思うよ。「どうしてこんなことをやってるんだろう」。そうしてその時は、やめられない理由になった義務たちがつらつらと頭の中に浮かんで、「ここでやめたら」、なんてうつ病まっしぐらみたいな言葉が浮かぶんだ。
でもね。そんなボロボロの状態で、もう一歩、あと一歩だけ、歩を進めることが、できたなら。
自分が生み出したものを、他人が愛してくれる瞬間が、訪れる。
奇跡みたいなんだ。
好きだの一言で、拍手の一つで、どうしようもなく泣けてくる。持ち得る全てを投げ出して良いと、思えてしまう。
そうだよ。掲げた義務は、どんなに立派でもそれらしくても、言い訳だ。結局僕たちは、ただその時のために、その瞬間が愛おしくて、忘れられなくて。やっぱり馬鹿みたいに熱中している。それだけなんだ。
いいかい。苦しいよ。そりゃあもう、人に勧められないくらいに。
だからその苦しさを君に強要することはできない。そうして苦しさから逃げられるのなら、そうするべきだ。そうできる君は、幸せだ。
でもね。もし、君が後に引けない理由だけを引っさげて、今尚耐え難い苦痛の中にいて、そうしてその苦痛が永遠に続くものだと、絶望しているのなら。
もう一歩だけ、どうかもう一歩だけ、死に物狂いで歩いて。
ああ。もしそうして進むことができたなら、そうして君が次なる苦痛に身を投じると決めたのなら。その時は、感想を教えてくれ。きっと君は、馬鹿みたいな笑顔で、「ろくなもんじゃない」っていうんだろうけれど。
【もう一歩だけ、】
"例えばある日、この世の慈悲の無さや、自分の限界を唐突に知ってしまうことはないか"
友人を騙した。家族を殴った。であるのなら、返す刀で鋭い一閃を食らうことは、つまるところは自業自得であろうと言うのに。嘘を付かれて。価値観や人間性を頭ごなしに否定されて。「自分は」と嘆くばっかりだ。
責められやしない。きっと誰だってそうなのだ。
そうして酷く傷付けられて。大人になってしまったのなら、傷付けられた自覚はとうになく、悲しさは苛立ちとして消化されてしまうから。行き先はベッドの中でも、もちろん唯一無二の誰かの腕の中でもなく、しけた酒場と、チューハイの齎す泥酔の中にしか、ない。連れがいれば止められるほどの量の酒を入れて。帰り際に肩をぶつけてきた誰かに八つ当たりをして。
翌日の昼頃、目を覚ます。朝から入れた、友人との約束をすっぽかしたことを自覚する。
「どうせ雨だからいいよ。また行こうな」
なけなしのフォローが、1時間も前に来ていて。
惨めで、惨めで、仕方がなくなる。そうして唐突に悟るのだ。
どうしたって世界は自分に優しくない。けれど等しく自分も他人に優しくなどはない。ならばお前の嘆く不幸の一切は、いつかお前が先に手のひらを返し、そうして述べられた手を、小蝿のように振り払った罰である。
泣けるだろうか? 嗤えてくるか。思うに一切の激情はなく、泣けもせず嗤えもせず、もう一度酒を煽る気分にもなれず、かといって気分転換などとうに望めない。あらゆる現実逃避は虚しさを何倍にも膨れ上がらせて、結局は、曇天の日の暗い部屋で、湿度の高いような、息の詰まるような部屋で、ぼんやり天井のシミを数えている。
ああ、鬱屈。鬱屈というのだ。いつかの人生のある日のことか。曇天、雨も降らない曇天の日の。想像に易いだろう? 人生が曇る日なんて、誰にとっても。
どうしたって良く在れないんだろうな。
遠くで、雷が鳴った。
【遠雷】
「たっくんが、いじわる、したー!!したのー!!!」
「あした、えん足だったのに…」
「ポチ死んじゃった。なんで?」
「わかんない、でも、優勝できたから、…みんなありがとう」
「お母さんには関係ないでしょ!もうほっといてよっ!!」
「 」(目の前の男性が、銀の指輪を左の薬指に差し出す)
「ああ…可愛い、可愛い子。これからよろしくね」
ずっと、枯れなければいい。悲しくても、嬉しくても、ずっとずっと豊かな人生を、たくさん。
【なぜ泣くの? と聞かれたから】
私は今日、愛すべき存在を知った。
隣立つ存在を愛おしいと思った。そうしてそれは、穏やかな朝の朝食のように、暖かく、優しいものでできた感情だと思っていた。
故に愛は「育む」と言うのだろう?
情動に焼かれる夜を越すこともあるだろう。なれど素晴らしい絆と信頼の上に、互いが互いを認め溶け合う瞬間が、決して理性のない獣の所業が作り出したものだとは思わない。一等輝かしい生命を生み出すための儀式でもあるのだから。
私はずっと、幸せであった。そう心の底から信じていた。
今日までは。
妻は血濡れた部屋に居た。彼女の足元に倒れ伏している人間を知っていた。妻がずっと、憎く思い呪っていた人間だった。開口一番こういった。
「どうして」、と。
ここは私の店であり、仕事場だった。妻には今日は休みで級友と釣りに行くと伝えていた。
ならば、この惨劇は決して、偶然起きた悲劇なんかじゃないのだろう。彼女は、全て分かって、全てを仕組んだのだ。だから私に、この場にいない筈の、そうして全ての罪を擦り付ける筈だった相手に、どうして、と言ったのだ。
ああ、 私は。
「本当に君のことを愛していたのだ」
馬鹿みたいだ。怒りの一つも湧いてこない。きっと静かな眼をしていた。少なくとも彼女にはそう見えた。そんな筈がないのに。
泣き崩れるか、いっそ私も殺してしまうか。きっと悩んだ、そういう悲痛な顔をした、だから。
「隠してしまおう」
私は言ってやったのだ。まだ君を愛している、と。その言葉の代わりに、そう、言ったのだ。
「私は全て、黙っていよう。店はしばらく休みにしよう。ちょうど良かった、魚は一匹も釣れなかったんだ。空のクーラーボックスは沢山、積んである」
そうして震える彼女に、理解の及ばない怪物を見る彼女に、手を述べた。
「どうした? やらないのかい。私は君を愛しているから。君の願いならばなんでも叶えてやるとも。でも当の本人にやり過ごす気がないのなら仕方がない。血濡れたままでも困るというものだ、警察を呼ばなければね」
まって、待ってだめ、それはっ。
可哀想に、そんなに怯えた声を出して。けれどダメだよ、大きな声を出してはいけない。そんな情けない声を出されたら、私は。
考えるふりをして、口元を覆うように手を当てた。口角が上がりっぱなしで下がらないのがいけない。いいや、そんな情けない声を出す君がいけないんだ。そんな声を出されたら、全て欲しくなってしまうだろう。
白状しよう、しようとも。それは素晴らしい快感であった。きっと"タガ"が外れたのだ。罪と隣立つ、ただ私だけに助けを乞い願われるこの最中、私の被虐心も加虐心も自尊心も興奮も、全て、全てが満たされた。
未だ取り乱し混乱する彼女を、優しく抱きとめる。さながら家族を守る父親のように。何も間違ってはいない。私は本当に、心の底から、彼女のことが愛おしいと、本当の意味で愛していると、今初めて思ったのだから。
「ああ、大丈夫。大丈夫だとも。何があっても、私は、君の、味方だ」
震える手が、冷たい手が、必死に私のジャケットを握った。君は、君はもう二度と、この手を離せないだろう。
私は今日、愛すべき狂気を知ったのだ。
【!マークじゃ足りない感情】
宣伝していいですか?いいですよね?
僕このテーマ前に書いた……結論は「ばなな!」です()