茜は祈った。ベッドの淵に手を乗せて。今日授業で見た、自分よりも小さな女の子がやっていたように指を組み合わせて。
神様。もしいたら、いますぐ戦争をやめさせてください。人と人がどうして殺し合わないといけないの。どうしてもやりたいなら、国のえらい人どうしでやったらいいじゃない。なんのつみもない小さなこどもや、生まれたばかりの赤ちゃんまで巻きこむなんてひどすぎる。どうか神様。いますぐ戦争をなくしてください!
茜の指先は込められた想いと力で白くなっていた。いままでこんなに一生懸命何かを願ったことはなかった。お母さんに「そろそろ寝なさい」と言われてもやめなかった。空のどこかにいるであろう神様へ届けようと、心を尽くして祈った。
祈り疲れた茜が温かなベッドで眠りについた頃。
モニターの前に神が戻ってきた。
『神様へ』
工事中のアスファルトを覗き込んだ小学生が、ランドセルのフックに吊った給食袋を後ろ手にポンポン叩く。足元でたんぽぽが揺れていた。
それで思った、金曜日かと。
一緒に眺めたものなんて数えるほどだったのに。何を見ても耳にしても馬鹿みたいにあなたを思い出す。
泣きたいくらい青い空とか。
『快晴』
がむしゃらに信じるもののほうに歩いてきた。それしかできなかった。駅から溢れてくる人波に逆らって泳ぐ。何者でもない夜がまた明ける。
ねぐらに帰る烏。
忘れ去られた洗濯物。
道路に沿ったつつじの花。
どこか遠くへ行きたくなるよ。
『言葉にできない』『遠くの空へ』
ガタガタと揺すられる窓の向こうに沈む夕日を見ていた。右肩がだんだんと重くなっていく。
「すみません。ネギが落ちてました」
小学校二、三年生くらいの男の子が料金箱の前に立ち、奥に手を突き出している。信号待ちだろうか。停留所ではない場所でバスは停車していた。
運転手と会話を交わした少年が、斜め前の席に戻ってくる。「運転手さん、なんだって?」と尋ねる同年代の子どもの声がする。
周りの大人たちが聞き耳を立てているのが判った。こういうときの、なんというか空気がほわんとなる感じが苦手だ。
「捨てときますねって」
特に残念がるでもなく、少年たちはゲームの話題に戻っていった。
ネギの落とし主は帰宅後そのことに気づいただろうか。切れ端程度だったなら、彼か彼女だかの人生になんの影響も及ぼさなかったかもしれない。たぶんそんなことのほうが、多いだろう。これからも、ずっと。
悲しいのかホッとしたのか自分でもよく分からないでいると、隣から声がする。
「どしたの?」
ぼんやりした目であなたが訊いた。
「着いた?」
いつの間にか深い藍青に染まった世界で、あなたの瞳にネオンサインの緑が煌めく。青臭いネギの香りがした。
『君の目を見つめると』『沈む夕日』『これからも、ずっと』
ホームに降りる頃にはすっかり日が落ちていた。予報通り雨はやんで、どこまでも曇り空が続く。
改札を抜けてから、手に持ったままの折りたたみ傘を一度開いて畳み直した。湿気を吸ってしなびたキャベツのようになった布地に均等に折り目を施してスナップを留める。季節の変わり目なのだからある程度降るのは仕方ないとしても、去年こんなに降っただろうか。君とであって出掛けた同じ季節に、雨に降られた記憶はなかった。
たった一年。
君とであってまた離れるのに費やされた短いとは言えない歳月。いろんなことがありすぎて、今までと同じ呼び名ではとても釣り合いが取れなかった。
雲が風に流されていく。切れ間に小さな光が瞬く。一番星を探しながら手を繋いだ同じ道で。
厚い灰色のにあの日見た夜空を思う。シャラシャラと星の鳴る音が、はぐれてなお私に告げる。
君を知るための孤独なのだと。
『星空の下で』