思いつくままに説明を終えて息を吐く。時系列も出来事も細部はかなりあやふやで、ああこんなにも覚えてなかったんだって初めて気づいた。
部屋のなかがやけにしんと感じられた。空調の低音がぶうんと唸って止まる。
「お話、ありがとうございました」
白衣の襟をいじって、目の前の男は眼鏡を押し上げる。
「思ったのは、この人、すごくキツそうだなって」
あなたもどこかで分かったから、今日ここに来てくださったんですよね?
その瞬間、私は崩壊した。
「終わりが見えなくて、きっと不安でしたよね。でも、不安がないことには、何をすれば安心なのかも分からないですから」
まだなにも解決してないのに。引くぐらい泣きながら、同時に不思議な安心で心が満たされていくのが私にははっきりわかった。
『安心と不安』
撮ったばかりの画面のなかで、金色にたなびく穂が彼女の向こうに陽を受けて輝いていた。逆光だと変に目を合わせすぎずに被写体に向き合える気がする。
「今みたいな景色ってさ」
空を見上げ髪を押さえて君が言う。
「朝がくるのか夜になるのかわかんないね」
いつのまにか夜の紺が色を深め、昼の名残の桃色が彼女の指の先で境目を溶け合わせている。
「好きなんだよなあ」
輪郭を際立たせた幻想的な写真から目を上げる。街灯がパッと点いて逆光ではない世界で君と目が合う。
『逆光』
夢の中で僕らはひっそりと抱きしめ合っていた。
互いをこれ以上壊さないように
互いにこれ以上苦しくならないように。
ぎゅっとすればするほど
あなたがいなくなりそうで。
桃色に染まる空を見ながら
細い身体をただ抱きしめていた。
あんなふうに怒ったのは
つい期待してしまったから。
あそこまで詰ったのは
自分の延長みたいにいてほしかったから。
目が覚めたいま
こんなにも切ないのは
果てしなく広い宇宙で
あなただけだと思い込んでしまったから。
『こんな夢を見た』
しんとした空間に密やかな振動が起こる。シャーペンを走らせていた手を止めて、君が画面を覗き込んで笑った。
――ごめん、行くね。
小さな声で囁いて君が荷物をまとめ始める。聞こえない振りをすると、君はさっきより近づいて
――ごめん、行かないと。
と肩に手を触れる。あたたかな息が耳の後ろにかかる。
辞書のたくさん並んだ書棚のあたりを見て、私は聞き分けよく頷く。
放課後の図書室で背中をまた見送った。タイムマシーンがもしもあったら。あの子より先に出会っていたら。あんなふうに君を呼び出すのは私だったのかなとか思う。
『タイムマシーン』
既読のまま返事の途絶えたトーク画面をどのくらい見ていただろうか。今夜はもう眠ったのかもしれない。急に持ち上げてデレたり、突き放してみたり。誘導尋問にまた引っかかった。譲るつもりで言った言葉に君は容赦なく頬を張る。「私を利用しないで」と。
あなたと言葉を交わす夜はね、何も手につかなくなるよ。急に喉を噛まれ逃げ出した手負いの獣。こんなにもドキドキしてこんなにも心細い。弱いように見せて君は決して傷つかない人だから。道を間違えるのはいつでも僕だった。
箱を開いても開いても新たな箱の出てくる感じ。僕も大概懲りないな。あなたのいる水面はきらきら輝いて手が届きそうに見えるのに、実際はあまりに遠いんだ。
治ったはずの傷口から紅色が流れつづける。だらだらと水底へ滲んで溶けて、痛みもなく命を削る。それすら愉しんでいるのだろうか。ほかでもない僕自身が。
煌めく水面を僕は見上げる。今夜が特別な夜になる。君の友だち登録をそっと解除した。
『海の底』『特別な夜』