今日までのすべてはきっと、ここにたどり着くための羽根みたいなものなんだよ。
偉そうに演説してるな、と自分でも思った。自分もここに来たばかりの頃は、いや、もしかしたら今でも、大したことは分かって無いかも知れない。だけど仮でもいいから今の悩みに名前をつけられれば、自分の手で扱えていつか解決できるんだと信じられる気がする。
無力感に泣くしかなかった夜も、眠れずに迎えてしまった朝も全部、無駄じゃない。
こうならいいのにって思ってしまうってことは、理想や目的地がちゃんと見えてるってことだから。いまはぐるぐるしていても、そのうちそこに舞い降りていける。そう信じるしか無いんだよね。
この世には知らないことがまだまだある。むしろ知らないからこそ、何にでもなれるから。
『透明な羽根』
少し離れて空を眺めていたら、「星が好きなんですか?」と穏やかに話しかけられる。厳格なほど距離を保ち、マグカップを手に年配の男が座った。名札には『ひろさん』と書かれている。
身体の左側が焚き火に照らされ不思議なほど温かい。向かいで、串に刺さったマシュマロが数本焼かれていた。出入り自由の居場所空間と銘打たれたこの場所は、気付けば季節外れのバーベキューを呈している。
話のきっかけは本当に些細なことだ。年齢や性別や、どんな悩みを持つかなど誰も先んじて聞こうとはしなかった。ささやかな、けれど確固たる信念というか、傷つけず傷つかないルールみたいなものを祐未は感じた。
『灯火を囲んで』
待ち望んだ晴れだから。羽毛布団を陽に干して、駅前のスーパーで、お湯を注いで作るスープと季節限定の生チョコを買い込んだ。湯たんぽと熊のもこもこ靴下も押し入れの奥から引っ張りだした。
これで向かい向かい撃てるはず。ヒトリボッチで過ごす季節を。
『冬支度』
深煎りは83度。
珈琲を淹れる時のお湯の温度だ。
珈琲豆の歴史とか産地ごとの特徴とか、行きつけのお店のおすすめとか、星の数ほど披露された知識のなかで、なぜか唯一覚えていることだった。
休日の朝は早起きして、熱心に道具を整えていた。珈琲一杯にどれだけ手間と時間をかけていたのだろう。注ぎ口が観葉植物の茎みたいに細いポットから、少しずつお湯を注いでは薄茶の雫が落ちるのを眺め、時が止まるようなこの時間が好きだなと、あなたは笑った。
『時を止めて』
ずっと下ばかり見て歩いていた。時折しゃくり上げてしまう声に、すれ違う人がなんとなく避けていくのがわかったけど、もうどうしようもなかった。
視界に、小さな色紙をバラバラと撒いたようなオレンジが映る。仄かな香りがふわりと鼻をくすぐった。立ち止まったあたしは、ようやく頬を拭う。
いわし雲を背に並んだ、秋の代名詞。それ以外の季節にはきっと誰も気に留めない、その花の花言葉は、初恋。
『キンモクセイ』