ㅤ外に出た途端、君は空を指さした。
ㅤその先には大きな丸い衛星。
ㅤなんかいつもより、近くにある気がする。
ㅤ長い映画を観たあとみたいな顔で君が呟いた。
ㅤ首筋に残る紅い跡を月が照らしている。
『moonlight』
ㅤ声を聞いているうちに、涙が溢れてきた。震える声を気づかれても良かった。今更良いとこだけ見せるなんて出来ないもんね。
ㅤ誰しもそれぞれの正義を振りかざして、ただ幸せになりたいだけなんだってようやく分かった気がする。誰も悪くない。だからこそ、私はこんなにも辛かったんだ。
ㅤ大丈夫。いま君は誰かのものだってちゃんと知ってるから。誰よりも君に聞いてほしいと思ったんだ。弱音、今日だけ許してよ。
『今日だけ許して』
ㅤ浴衣から覗く丸い踵が、歩くたびに見え隠れする。右足の隅が赤く腫れている。
ㅤ交差点を渡った君は、手に掛けたビニル傘を広げた。角の向こうから現れた相手に笑顔で手を振る。
ㅤ雨に煙る街、寄り添う君と誰か。それは僕の見る夢の、僕なのかもしれない。
『誰か』
遠い足音。
何を言えばこの人に響くのか。分からなくて涙が出る。
遠い足音。
昔から碌な結果を運ばない。
夕暮れに帰宅する母親の空気。不機嫌さを孕んだ父の、圧倒的な戦慄。静かな部屋にぴしりと破滅の気配が走る。
そしていま、近付く足音。惨めな時間の始まり。
なにも出来ない自分を、思い知るのみ。
『遠い足音』
ㅤ最高気温が昨日より11度下がった。涼しいというより寒いくらいだ。長い長い、永遠とも思える夏が過ぎると、秋をすっ飛ばして冬が来るらしい。 四季は一体どこへ行こうとしているのやら。
「秋ってさ、2週間しかないよね」
電車のドアにもたれ、君は空を覗き込むように窓の外を見上げた。
「何情報よ、それ」
「え? 私調べかな」
目線を外に向けたまま、君が呟く。なるほど、一理あるなと思う。
以前は季節の移ろいをじっくりかみ締めていられた気がする。少なくとも、夏はこんなに過酷じゃ無かったし。けれどここ数年は、ある日ストンと気温が下がり、一気に冬になっていく。それこそ2週間くらい経ってから、あれって秋だったんだと分かる感じ。
ホームに降りた君は人波をよけて立ち止まり、すっと足を開いた。腰を落として手を広げ、すうぅと深呼吸する。
「なんかさ、ちゃんと受け止めたくなったよね、秋ってやつを」
なんたって2週間だけの季節だから。
いつものおかしな理屈に笑いながらも、君の隣で真似して腰を落とした。
『秋の訪れ』