通りをバイクが遠ざかる音が聞こえて、どうやら少し眠れていたと知る。書きかけになった文字を読み返しながら、飲み忘れた錠剤を水で流し込んだ。
斜めに皺の寄った、クリーム色の便箋。君の好きな花だと思って買ったやつだ。
ㅤ名前の思い出せないそれをそっと撫でる。面と向かって言えそうにないから手紙を書いたのに、肝心なことは最後まで伝えられそうにない。
悩んで苦しんで波にさらわれそうになる度、しっかり立ち向かったり、ふわりとやり過ごしたり。そんな君をいちばん近くで見れた僕は、やっぱり幸せだったと思う。
ㅤ限りある時間のすべてをともに歩いてこれたこと。傍に居ることが叶わなくても、その事実が消えることはないから。
ㅤ永遠なんて、ないけれど。そんなものになっちゃ、いけないけれど。君らしくいられる君を、この先もずっと、僕は勝手に好きでいるよ。
『永遠なんて、ないけれど』
ㅤ涙には理由があると思ってた。
悲しい涙。悔し涙。怒りの涙。孤独の涙。そして、うれし涙。
あなたと夢の中で同じ部屋に泊まっていた。前にも二人でここに来た時の話をあなたはずっとしていて、そんなこともあったねと私は頷いて聴いていた。
「朝ごはん食べに行こうよ」
とあなたが笑って立ち上がったところで、なぜか私の目からすうっと涙が零れて、それで目が覚めたのだった。
『涙の理由』
掲げるようにして運んだトレイをテーブルに置くと、ふたつ並んだマグカップの片方を、取っ手が目の前に来るように君はくるりと回してくれた。礼を言って引き寄せると、
「いいよいいよ、こないだのお礼なんだから」
君は向かいにすとんと腰を下ろす。ふわりと舞った髪の毛から甘い香りがして、目の前の黒い液体を僕はひと口流し込んだ。
「で? 話って?」
黒い瞳がじっとこちらを見た。テーブルの上で、お揃いのマグカップからゆらゆら湯気が立ち昇る。彼女は猫舌なのだった。
「うん、あのね」
コーヒーが君の適温まで冷める頃、どんな僕らになっているだろうか。
『コーヒーが冷めないうちに』
ㅤ鈴の鳴るような凛とした音に私は頭を起こした。慌てて窓外を見れば、最寄り駅まであと二駅だ。
ㅤ鈴のようだと思ったのは、ドア横に立つ乗客のキーホルダーが、リュックと袖仕切の間で揺れてはぶつかっていたのだった。銀色の猫だった。
ㅤドアが開き、リュックを背負った人が降りていく。冷たさを増した風が、ふわりと車内を浸す。ただとてつもなく、淋しい夢を見ていた。
ㅤ隣でゲームに興じる若者が、肘を私にゴリゴリ押し付けてくる。淋しさの底で泣く私の幻影が、私からぐんぐん遠ざかる。
ㅤ姿勢を正す振りで肘を押しやり、零れた涎をそっと拭った。
『パラレルワールド』
あなたの左の手首から、電子音がピピっと響く。手持ち時間が減ったのか、歴史がひとつ重なった合図か。
離れようとした頬を両手で挟んでこちらを向かせ、愛しいやわらかさを食みながら私は考える。
時計の針が重なって。ゆらゆら浮かぶ、昨夜と今夜のあわい。
『時計の針が重なって』