未知亜

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5/1/2025, 9:44:29 AM

ㅤ思った以上に風が強かった。頬に当たる髪が不快で、手首に掛けていたヘアゴムで縛る。こぼれた毛筋を何度か手で払った。意味が無いと知りながら。

ㅤ船尾に近い場所を選んで座っている。小さな渡し船だった。前の方には若者の集団がいて、なにやら騒がしかったからだ。
ㅤ目線の下で白波が立つ。顔を上げると、白い泡が真っ直ぐな線を描いていた。

ㅤ同じほうを向いたまま、あなたがなにか呟いた。その顔を覗き込むように、私は「なに?」と聞き返す。びゅうびゅうと吹き付ける風に、すべて飛ばされてしまいそう。
ㅤあなたは目を剥いてから、ちょっとだけ私を見た。聞こえているとは思わなかったのか、声を出したつもりがなかったのか。

「人の来た道も、見えたらいいのに」
ㅤゆっくりと噛み締めるように、あなたが言った。
「どんな速度で、どこに向かうのか。こんな風に、分かりやすく」
ㅤ真っ直ぐに伸びていた船の軌跡は、あなたが指差したと同時に、斜めにキュッと進路を変えた。


#100
『軌跡』

4/30/2025, 9:59:40 AM

ㅤ電話の向こうから、小さく溜息が聴こえた。私に向けたものなんじゃないだろうかって、まためんどくさい考えが浮かぶ。
「もうさ、いい加減考えんのやめたら?」
ㅤ疲れない?ㅤもう二年だよ?
ㅤわざとらしいほど冷たく、舞が言い放つ。
「……まだ一年と、八ヶ月」
ㅤ弱々しく答えて、私は鼻をかむ。
「もう好きになれない、でも、それ以上に嫌いになれない。そんなこといつまでも考えてないで、次に進みなさいっつってんの!」
ㅤ舞が私のために言ってくれてるのは、わかる。一年八ヶ月経っても、こんなに話を聞いてくれてることも。
「そうだよねえ……」
ㅤ言葉を濁す私の視線の先には、あの人にもらったハーブティのパッケージ。未開封のまま賞味期限が切れていた。
「好きにも嫌いにもなれないなんてのは、もう友だちですらないってことでしょ」
「……わかった。今から飲む!ㅤ抹消する!」
ㅤ一年以上期日切れの袋を引き裂いて、私は高らかに宣言した。
「なに?ㅤ話がまったく見えないんだけど?ㅤなにが始まんの?」
「好きにも嫌いにもなれない気持ちの、供養~!」
ㅤマグカップに勢いよくお湯を注ぎ、続いて氷をいくつかぶち込んで、私は思い切り変な音をたて、どす黒い液体を喉の奥に流し込んだ。


『好きになれない、嫌いになれない』

4/29/2025, 9:59:40 AM

「待って外明るくなってる!」
ㅤ間の空いた受け答えをしていた君が、急にはっきり喋りだして驚いた。言われて窓の方を向くと、カーテンの隙間から微かに光が漏れている。ちっとも気づかなかった。
ㅤだれかと喋っている間に夜が明けたなんて、初めてだ。なんか嬉しい。
ㅤ深夜ノリの妙なテンションですっかり眠気がさめてしまったのだが。
「そんなこと言って。忘れてるでしょ?」
「へ?」
ㅤ隣の顔が悪戯っぽく歪む。
「あんたのクラスの一限、田中だよ」
ㅤ出欠確認代わりにミニレポートを書かせる教授だ。マジかよ、よりによって!!
「あー……寝るわ」
ㅤ違うゼミなのになんでそんなに詳しいんだろうと思いながらも、鮮やかになる夜明けの光と共に、私は勢いよく床に突っ伏し、薄くなる意識に身を任せたのだった。


『夜が明けた。』

4/28/2025, 9:58:49 AM

ㅤ花の蜜のような、甘い香りがしたとき。
ㅤ少し離れた場所から視線を感じたとき。
ㅤ喧騒のなかでまっすぐ姿を捉えたとき。
ㅤなんとなく声が聴こえた気がしたとき。

ㅤ僕がどきどきする、ふとした瞬間(とき)。

『ふとした瞬間』

4/27/2025, 9:31:41 AM

ㅤじゃあね、今度こそ寝るから、おやすみ。
ㅤ今日もしつこいくらい言い合って、オンライの通話を終えた。転勤を言い渡されて三週間。三日と空けず話していても、いつも切る間際に寂しくなってしまう。慣れることなんか出来そうになかった。
ㅤ真っ暗になった液晶画面の前で、机に頭を懐かせた私は大きく息を吐く。
「……あいたいなあー」
ㅤどんなに離れていても愛があれば、なーんて綺麗事だよなあ。今日は誰とどんなこと話したのか、なにで笑顔になったのか、ずっとそばで見たくて知りたくて、どーしようもない……。
ㅤ突っ伏したままうだうだ呟いていると、微かに笑い声がした。私はバッと頭を上げる。暗転したとばかり思っていた画面に、困ったようなあなたの笑顔。
「えっ……なんで」
「接続不良かな。途切れたと思ったら繋がってた」
ㅤめちゃくちゃ恥ずかしい。どこまで声に出てた?ㅤ全部?
「連休さ、一回戻るよ。泊めてくれる?ㅤストーカーちゃん」
「え、だって休み取れないって——」
「遠い親戚に、ちょっと儚くなってもらおうかと」
ㅤ生真面目なあなたが、明後日の方を見て鼻の頭を擦りながらそんなこと言うのが可笑しかった。
ㅤさっきの言葉は訂正かな。どんなに離れていても、あなたの愛があれば私は絶対大丈夫。……だけど、やっぱり、時々は戻ってきて。


『どんなに離れていても』

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