未知亜

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4/30/2025, 9:59:40 AM

ㅤ電話の向こうから、小さく溜息が聴こえた。私に向けたものなんじゃないだろうかって、まためんどくさい考えが浮かぶ。
「もうさ、いい加減考えんのやめたら?」
ㅤ疲れない?ㅤもう二年だよ?
ㅤわざとらしいほど冷たく、舞が言い放つ。
「……まだ一年と、八ヶ月」
ㅤ弱々しく答えて、私は鼻をかむ。
「もう好きになれない、でも、それ以上に嫌いになれない。そんなこといつまでも考えてないで、次に進みなさいっつってんの!」
ㅤ舞が私のために言ってくれてるのは、わかる。一年八ヶ月経っても、こんなに話を聞いてくれてることも。
「そうだよねえ……」
ㅤ言葉を濁す私の視線の先には、あの人にもらったハーブティのパッケージ。未開封のまま賞味期限が切れていた。
「好きにも嫌いにもなれないなんてのは、もう友だちですらないってことでしょ」
「……わかった。今から飲む!ㅤ抹消する!」
ㅤ一年以上期日切れの袋を引き裂いて、私は高らかに宣言した。
「なに?ㅤ話がまったく見えないんだけど?ㅤなにが始まんの?」
「好きにも嫌いにもなれない気持ちの、供養~!」
ㅤマグカップに勢いよくお湯を注ぎ、続いて氷をいくつかぶち込んで、私は思い切り変な音をたて、どす黒い液体を喉の奥に流し込んだ。


『好きになれない、嫌いになれない』

4/29/2025, 9:59:40 AM

「待って外明るくなってる!」
ㅤ間の空いた受け答えをしていた君が、急にはっきり喋りだして驚いた。言われて窓の方を向くと、カーテンの隙間から微かに光が漏れている。ちっとも気づかなかった。
ㅤだれかと喋っている間に夜が明けたなんて、初めてだ。なんか嬉しい。
ㅤ深夜ノリの妙なテンションですっかり眠気がさめてしまったのだが。
「そんなこと言って。忘れてるでしょ?」
「へ?」
ㅤ隣の顔が悪戯っぽく歪む。
「あんたのクラスの一限、田中だよ」
ㅤ出欠確認代わりにミニレポートを書かせる教授だ。マジかよ、よりによって!!
「あー……寝るわ」
ㅤ違うゼミなのになんでそんなに詳しいんだろうと思いながらも、鮮やかになる夜明けの光と共に、私は勢いよく床に突っ伏し、薄くなる意識に身を任せたのだった。


『夜が明けた。』

4/28/2025, 9:58:49 AM

ㅤ花の蜜のような、甘い香りがしたとき。
ㅤ少し離れた場所から視線を感じたとき。
ㅤ喧騒のなかでまっすぐ姿を捉えたとき。
ㅤなんとなく声が聴こえた気がしたとき。

ㅤ僕がどきどきする、ふとした瞬間(とき)。

『ふとした瞬間』

4/27/2025, 9:31:41 AM

ㅤじゃあね、今度こそ寝るから、おやすみ。
ㅤ今日もしつこいくらい言い合って、オンライの通話を終えた。転勤を言い渡されて三週間。三日と空けず話していても、いつも切る間際に寂しくなってしまう。慣れることなんか出来そうになかった。
ㅤ真っ暗になった液晶画面の前で、机に頭を懐かせた私は大きく息を吐く。
「……あいたいなあー」
ㅤどんなに離れていても愛があれば、なんて綺麗事だ。大丈夫だと思ってたのに、今日は誰とどんな話をしたのか、なにがあなたを笑顔にしたのか、もっとそばで見たくて知りたくてどうしようもない。
「ストーカーかよ」
ㅤ突っ伏したまま呟くと、微かに笑い声がした。私はバッと頭を上げる。暗転したとばかり思っていた画面に、困ったようなあなたの笑顔。
「ストーカーなんだ、咲ちゃん」
「えっ……なんで」
「接続不良かな。途切れたと思ったら繋がってた」
ㅤめちゃくちゃ恥ずかしい。どこまで声に出てたのかあまり記憶がなかった。
「連休さ、一回戻るよ。泊めてくれる?ㅤストーカーちゃん」
「え、だって休み取れないって——」
「遠い親戚に、ちょっと儚くなってもらおうかと」
ㅤ鼻の頭を擦りながらそんなこと言うのが可笑しかった。生真面目なあなたが愛おしい。
ㅤさっきの言葉は訂正かな。どんなに離れていても、あなたの愛があれば私は絶対大丈夫。……だけど、やっぱり、時々は戻ってきて。


『どんなに離れていても』

4/26/2025, 9:51:18 AM

「こっちに恋」「愛にきて」
ㅤ見れば見るほどクソダサなキャッチコピーだった。
ㅤ短いフレーズがいくつも並んだプリントを机上に戻し、俺は眉間を指先で揉んだ。

ㅤ初夏のキャンペーンのキャッチフレーズを社内公募してみたのだ。いわゆるブレストという手法だった。
ㅤ募集時点では良い悪いはジャッジしない。とにかくできるだけ数を出すこと。誰とも被らない案を多く提出した上位5名にギフトカードを与える、と。そしたら、予想を軽く超えたえげつない数が集まった。

「まだ見てらしたんですか?」
ㅤ春から経理部に異動になった小柳君が半笑いで話しかけてきた。受け取った決済依頼の書類を手に、俺も半笑いを返す。社内便で送付も出来るのだが、彼女はこうして直接書類を持ってくることが多かった。元部署の様子が気になるのだろう。
「いや、よくもここまでと思ってさ。見てよ最後のやつ、オヤジギャグかよ」
ㅤ昭和の終わり生まれの俺でも使わない。
「ふーん。私はこれ、嫌いじゃないですけどね」
ㅤ大きな瞳がキョロリと動く。
「愛に雪、恋を白。なんてスキーのコピーもありましたしね。古すぎて新しいというか。恋と愛の境目ってなんだろうなあとか、ちょっと考えちゃいました」
「へえ……」
ㅤその発想はなかったな。
「まあ、このまま使うのは無理がありそうですけど。もしかしたら著作権的にも——」
「小柳君、ありがとう。他の人にも意見聞いてこの方向考えてみる」
ㅤ俺のなかに、とあるイメージが浮かんできた。うまくハマれば面白いことになりそうだ。
「部長のその顔、あたし結構好きですよ」
「……へ?」
ㅤ小柳君が、うふふと笑う。
「遠く経理から応援してますね~」
ㅤびっくりする台詞を残して小柳君が去っていくのを、しばし呆然と俺は見送った。

『「こっちに恋」「愛にきて」』

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