ㅤ午前のショーが終わり、裏で着ぐるみの頭を脱いでだらしなく扇風機に懐いてたら名前を呼ばれた。振り向くと法子が立っている。え、なんでここにいんの?
「……ごめん、バイト先まで来ちゃって」
ㅤ白いワンピースには、小さな赤い花が散っている。レトロな昭和デザインが、清楚な雰囲気を醸し出していた。私には逆立ちしたって着こなせない。くそっ、やっぱり可愛い。
「あたしたち、絶賛国交断絶中じゃなかった?ㅤ法子の発案で」
ㅤ出来るだけ冷たく聞こえるように言葉を投げる。嫌な奴だ、私。
「だよね。でも……」
ㅤとにかく、ごめん!
ㅤ白いスカートのすそがひらりと揺れる。赤い花も一緒に踊る。私はただそれを見ていた。謝られるなんて思ってもみなかった。
「なんか、やっぱ、言いすぎたと思って!」
ㅤそういうとこだよ、法子。良くも悪くも真っ直ぐで、腹立たしいけどたまらなく羨ましくもある。
ㅤ傍に置いた着ぐるみの頭を、私は眺めた。星の形をした頭部。スターの王国から来た彼女は、子どもたちの願い事をなんでも叶えてくれるのだ。
ㅤ私はずっとあなただけの星になりたかった。法子が願うことを叶えてあげたかった。ただ、それだけだったんだよね。
ㅤさあ、星に願ってよ。『あなたとは友だちでいたい』って。大丈夫。私はもう二度と、夢を見たりしないから。
『星に願って』
ㅤ自分で歩くより高い位置で、右に左にと揺られる身体。なんだか面白くなって、私はクスクス笑ってしまう。火照った頬を夜風がやさしく撫でていく。
「やっぱさ、去年より小さくなったんじゃね?」
ㅤ前を向いたままで宏樹が呟く。そう言われても、私の身長はほとんど変わっていないのだ。
「あんたがデカくなったんでしょうが!」
ㅤ脚を蹴飛ばしてやるつもりが、目標を誤った。宙を切ったつま先の勢いで、私の身体が後ろに傾ぐ。
「わっ、暴れんなよ、酔っ払い!ㅤ落とすぞ!」
ㅤよいしょ、という声と共に上下に揺すられて、視界が一段と高くなる。抱え直された私はニヤリとする。落とす気なんてない癖に。
ㅤ宏樹にしがみついて、また空を見上げた。死んだ人はお星様になるって話は、母に聞いたんだったかなぁ。宏樹が生まれるよりずーっと前に。
ㅤ名前なんて碌に知らないけど、気づけばいつも星を探している。あの人が遠いところへひとりで旅立ってしまったこの季節は特に。
ㅤあちこち目を凝らしていたら、
「ちょっとじっとしててくれよ」
「……ごめん」
ㅤ叱られて、大人しく背中に頬を預けた。洗剤の香りが鼻先を掠める。息子は何も言わない。毎年甘やかされているなと私は思う。
ㅤ遠い昔、抱き上げて歩いた君の背中に、いつの間にか負われて。あの頃と変わらない家路を私は辿る。
『君の背中』
ㅤ吹く風の冷たさに閉じた目を、恐る恐る開いた。脚元の枝をしっかり掴んで背を伸ばすと、少し高い位置にある隣の樹を見上げる。
「がんばれー」
「おちついて!」
「だいじょうぶ、できるよー」
「下は見るなー!ㅤ前だけ見ろー!」
ㅤきょうだいたちは、みな離れた枝まで飛んでしまった。さえずる声がはるかに遠い。
ㅤ無言で頷くママに背中をトントンと叩かれ、広げた両腕をやみくもに動かした。さえずりが甲高くなる。ぼくの脚が思い切り枝を蹴る。
ㅤバランスを崩した身体がぐらりと傾いた。あっ!、と思った時には、きょうだいたちの叫びが……みるみる……遠く。
『……遠く』
ㅤ閉じた睫毛のうつくしさ。
ㅤはにかんだ頬のうちがわ。
ㅤ肌に零れる涙のプリズム。
ㅤ艶やかさを孕むメロディ。
ㅤ彩られる世界はまるで、
ㅤ花びらのやわらかさ。
ㅤわたしだけが、未来永劫——
『誰も知らない秘密』
ㅤ本のページをめくるうちに、空が白み始めていた。少し張った首にわたしは手を当てる。揉みながら左右に倒すと、ぽきりと乾いた音がした。物語の世界を旅するうちに、わたしはひとつ歳を取っている。
ㅤ昨夜ようやく迎えた本は、想像以上の秀逸さだった。これまで読んできたこの作者の史上最高を更新している。この世のすべてに感謝したい。
ㅤストーブを消して、窓を細く開ける。ひんやりした空気が頬を刺す。そんなことすら心地好かった。眠るのが勿体ない。初見の余韻は今だけなのだ。
ㅤ静かで美しいこの夜明けを、わたしは大きく呼吸した。
『静かな夜明け』
※個人的なことで恐縮ですが本日誕生日でした。
ㅤ数多の物語を読むことの出来る倖せな世界で
ㅤまた一年。