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4/7/2026, 3:23:16 PM

書く習慣:本日のお題「沈む夕日」

沈む夕日を見られるかどうかは、住んでいる場所による。

子どもの頃はかなり山に囲まれた地域で育ったので、朝日も夕日もかなり高く昇った状態のものを拝んでいた。都会では山がビルにすり替わる。のぼりたてや沈む直前の赤みを帯びた太陽を見たければ、東西の海まで出かけていくしかなかった。

今住んでいるのはまずまずの地方都市で、東西にそんなに高い山はない。

東向きのベランダで徹夜していると、だんだん紺色の夜空が青く明るくなっていくのが見える。やがて東から白んで、日の出とともに雲が金色に染まる。なんというかロココっぽさがある配色だ。澄んだ薄青と金色の空気を吸いたくなって早朝の町に出て、川沿いを歩いてファミレスでモーニングなどをキメるのもよい。

逆に夕暮れ時になると、空は私の一等好きなタンザナイトのような青紫色に染まる。茜色の雲がくっきり浮かんでいる日もあれば、全体的に金色のロココ雲になっている日もある。黄色が昏(くら)くなると書いて黄昏(たそがれ)と読むのは実に美しい言葉だと感じる。

川向こうのやや低い山々に沈む夕日を眺めていると、『遠き山に日は落ちて』という歌が思い浮かぶ。「遠くの山に日が落ちて、空には星が散らばる。今日の仕事を終えて、風が涼しくなった夕方にみんなで集まろう」みたいな歌詞だった気がする。小学校の下校時刻になるとこの曲が流れていた。一輪車がマイブームだった頃は、毎日この放送がかかるまでずっと校庭の鉄棒で一輪車の練習をしていた。

西にやや高い山があった地元では、暗くなるのが本当に早かった。夏至の頃であっても、空の色はまだ明るいのに太陽はとっくに沈んで見えなくなっていた。ちょっと外で友達とお喋りしていると、夕闇に紛れて寄ってきた蚊にビュッフェ会場にされたものだった。

今は足裏をアルコール消毒すると蚊に刺されにくくなるとかで、夕暮れ時に限らず夏場は常にアルコールウェットティッシュを持ち歩いている。

同じ季節の夕暮れであっても、時代と場所が変われば感じることも変わる。

伊勢物語に「月やあらぬ春や昔の春ならぬ我が身ひとつはもとの身にして」(月も春も昔とは違うそれなのか。変わらないのは自分だけで)という和歌が出てくる。自分だけどこか取り残された平安トリノコシティな和歌だ。
好きな人が去った屋敷で一人、花盛りの梅と月を眺めて詠んだものである。彼女がいなくなると世界が色褪せて見える、そんな気持ちが伝わってくる。

友人がいない夕暮れに、そこまでの悲しみは覚えない。そんな薄情なところが昔から変わっていないなあと我ながら呆れてしまう、春の夕暮れだった。

4/6/2026, 12:09:30 PM

書く習慣:本日のお題「君の目を見つめると」

「君の目を見つめると」というお題だが、敢えて鏡で自分の目を見つめてみる。先日「見つめられると」というお題ですでに犬カードを切ってしまったからだ。

まつげパーマをやったので、いつもより目がよく開いているように見える。カールしているまつげと、その後新たに生えてきたまっすぐなまつげが混在して、江戸時代の脱穀農具・千歯扱き(せんばこき)のようになっている。

本日の白目はやや青みがかっている。日焼けしたり寝不足だったり花粉症だったりすると充血するので、白目が青いのは私としては健康的なサインだ。しかし、できればもっと柔らかい印象の色であってほしい。無駄に目力があるというか、端的に言って怖い。

1ヶ月ほど前に眉にかかるくらいの長さに切ってもらった前髪はすでに2cm近く伸びており、今にも目に入りそうになっている。地元の方言でいうと「ぶしょったい」、だらしないとか不精であるとかいった意味である。そろそろまた切りに行かねばならない。

黒目の色は普通に黒い……と思っていたが、光を当てると既視感のある赤茶色に見える。もしも自分の顔を何かで作るとしたら、目の部分はカラメルソースにするのがよいと思った。

スマホのライトを当てたり外したりすると、瞳孔が縮んだり広がったりして面白い。現象としては知っているけれど、なんの意識もせず体が動くのは奇妙な感じがする。膝を叩くと足が跳ね上がる脚気検査の反射も好きなので、たまに手刀で膝を叩いて「おお、上がった上がった」と遊んでいる。

さて、自分だけでなく人の顔にも思うことだが、顔の美醜というのはよくわからない。歯列矯正は「揃った/不揃いな」歯並びという基準があるから理解できる。しかし、横顔のラインや鼻の高低などは、そういう価値観の存在を知るまでは全く意識したことがなかった。自分の横顔が美の基準から外れていても今まで困ってこなかったから、おそらく今後も造作に手を加えない顔で生きていくことになるだろう。

自分が困っていないことで悩んでいる人にどんな言葉をかけるのかは、本当に難しいところだ。私が気にしていなくても本人は気にしているのだし、「わかる。私も悩んでるから」と偽の共感をしても声で嘘だとバレそうだ。

そんなわけで、たいていの顔の悩みには「意外」と驚くリアクションをとるだろう。

ちなみに私の顔にはほくろが多い。顔の下半分のほくろを線で繋げると、口の下にもうひとつのスマイルラインが浮かびあがる。妹や気の置けない友人とほくろの話になったら、スマイルラインほくろの話で自虐するかもしれない。だが、今日この話を書くために久しぶりにほくろの存在を思い出したレベルで、ふだんは全く気にしていない。

日焼けを気にせず野原を転げ回っていた子どもだったせいか、頬にはシミもできている。しかし人体はそういうものだろう。肌荒れがあっても、痛みや痒みがなければ気にしない。

このように、私が自分の容姿の欠点を把握しつつも気にせずにいられるようになったのは、ひとえに時代が変わったからだ。美しさを強要されない時代になりつつあり、私のような人間には大変ありがたい。誰かが頑張ってくれたのだから、恩恵を享受するだけでなく、こうして少しでも追い風になれるようなことを書いておくべきだろう。

4/5/2026, 12:03:15 PM

書く習慣:本日のお題「星空の下で」

星空の下で、夜桜を見る。
しかし悲しいかな、下界の街明かりの上では星明かりがかすみがちである。
そんなわけで文明の力を借りてみる。スマホを空にかざすと、今見える星が画面に出てくる素敵なアプリがあるのだ。

アプリによると、今夜の空には乙女座のスピカなどがいるらしい。肉眼で見えた星の名前もわかった。「アークトゥルス」というらしい。ギリシャ神話みのある名前の星だ。

アークトゥルスをググってみた。太陽よりも古い星であるとか、おおぐま座を追いかけていくから「熊を護るもの(ギリシャ語)」というのが由来であるとか、スピカの和名「真珠星」に対してアークトゥルスのそれは「珊瑚星」と提案されたがあまり広まらなかったとか、知らない話がたくさんあって勉強になった。

そろそろ桜の季節も終わりである。

来年は街明かりの消えた深夜に星下の桜を見に行きたい。

4/4/2026, 11:19:28 PM

書く習慣:本日のお題「それでいい」

歳を重ねるごとに「それでいい」と思えることが増えた。

妥協とも言えるが、私としては妥協よりややポジティブだ。妥協は「本当は良くないけどここらで手打ちにするか」という一種の諦めがあるが、私の「それでいい」は「それで充分だ」と現状を認めて満足するニュアンスである。

今日の文章にしてもそうだ。
本日で記念すべき30個目の作品になる。
しかし特に気合は入れず、思いついたことだけを書いた。
なんなら寝落ちして、いつもの夜の時間ではなく朝に書いている。

最初に投稿した文章も「それでいい」の極みだった。
お題は「たまには」で、「たまには、別の道を歩いてみる」から書き始めた。まだ桜が咲く前の、春の初めの川のほとりを散歩する話だ。魚や鴨や柴犬を眺め、コーヒーを片手に歩いて家まで帰る、ごく短い文章だった。
その「たまには」の結びは、こうなっている。

"帰宅して服を脱ぐとき、白いシャツにコーヒーをこぼしているのに気がついた。

たまには、こういうこともある。

更に、ズボンのチャックも開いていた。

たまには、こういうこともある。"

私はかなり間抜けな部類の人間だが、それでいい。

4/3/2026, 2:46:39 PM

書く習慣:本日のお題「1つだけ」

1つだけ願いが叶うなら、一切の体調不良から解放されたい。老いに伴う体調不良がなくなるのなら、それは老化からも解放されるのではないか。死亡という究極の体調不良がなくなるのなら、それはもはや不死である。

『アナイアレイション -全滅領域-』という映画がある。隕石が衝突して異空間状態になってしまったエリアを探索する元軍人の生物学者と、3人の仲間たちの物語だ。

生物学者が「細胞分裂の回数に限界があるから老いる。それを解除できれば不死になれる」と語る場面がある。中学の理科や高校の生物の内容をほとんど忘れているので、かなり興味深い初耳情報として「へー」と感心してしまった。

しかし、無限に細胞分裂するエラーは癌なのではないか。
正確にコピーされた細胞なら、無限に分裂しても癌ではないので不死になれるのか。

不死になれなくてもいいから、なるべく病気も身体的な苦痛もない人生を送りたい。それが私のささやかで大それた、たった1つだけの願いである。

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