ここではないどこか
① やらかした時に行きたくなる都合の良い場所
②やらかした奴を送りたいお仕置き場所
③自分ではどうにも出来ない時に行きたくなる場所
④自分の都合で想像される場所
⑤本当はどういう場所かわからない場所
⑥誰かに無理矢理送り込まれる場所
そうカードを見せながら言われたらどうするか?
目の前を歩く人々を見る。
今日の狩場は選び放題だな。努力もしない奴らに必死に生活している奴ら
希望通りにしてあげるんだから、楽しめないとな。
最後の魂の味が違うんだよな。
さてと誰とここではないどこかを味わうかな。
君と最後に会った日
また会えて良かった。次はいつ会えるかしら?
君は小首を傾げて僕を潤んだ瞳から溢れそうになるのを一生懸命堪えている。
初めて会った時から変わらないね。
スベスベツヤツヤだった黒髪が白髪に変わっても、笑い皺が増えてもきれいだし、かわいい。
泣かないで。僕はヨロヨロでもう自分では動けないから、君の涙は拭ってあげられないよ。
でも、次、生まれ変わっても君を見つけるよ。
約束だよ。また会えて嬉しいって言おうね。
この人生で君と最後に会った日は僕の命が尽きる日。
けんか別れしてなくて良かった。ありがとう。
僕の大切な君。まだこちらへ来なくていいからね。
またこの世で会いたいから。
繊細な花
毎日毎日、温度、陽当たり、湿度、風向き、栄養状態を確認している。この花はそれだけ手間をかけても枯れてしまう。何が足りないのか?愛情が足りないんだよ。
と、助言をもらう。そうか。固い蕾のままの花鉢を見る。愛情ってそれがなければ毎日の世話はできないのでは?腕組みして唸ってしまった。
彼女が遊びに来た。花鉢を見てからチラリとこちらを見る。そして、不服げに頬をふくらませる。
花鉢の側にある記録帳を見る。
事務的ね。これじゃ咲けないわ。
こちらを見て、ビシっと指を突きつける。
世話をしながら無表情、言葉のひとつもかけない、様子がおかしいって思うと根掘り葉掘り調べる、それも無神経にあちらこちら突っついて!
え?何を言っているんだろうか。心配だからだろう。
一言、言って欲しいだけよ。かわいいね、とか、今日はどうしたいって。
花に?そうか。ありがとう。君はかわいいのは当然だから言わなくてもいいよね?予定も決められるし、
そうか、話しかければいいのか。難しいなぁ。
感心して納得していたら、頬に強烈な平手打ちを食らった。そして彼女は潤んだ瞳のまま帰ってしまった。
何を間違えたのだろうか?
分からない。あっ、水やりしないと。繊細な花には世話が必要だからね。話しかけも足してみようか。
あぁ、彼女なんであんなだったんだろう。調べないと。
1年後
警告はされていたはずだ。
静かに人の動く姿を見るのが難しい焼けた大地、泥と漂流物の堆積し、異臭のする平野を見ながら呟く。
毎日、生活するのに精一杯だった。
けれど、楽しかった。たまにする外食での贅沢。ファミレスだったり、持ち帰り弁当のトッピング増しとか、コンビニスィーツ。一緒に美味しいねって言う明るい笑顔や、最後の一欠片を巡るジャンケン。
もう出来ない。
1人がいいと願ったあの日から今日で1年。
自分以外いない世界になった。
当たり前の世界は当たり前だからいいんだ。
誰かが文句言いながらも、道路を直したり、インフラ整備したり、作物作ったり、料理したり、洗濯したり、掃除したり、毎日、知らない誰かが働いていた。もう、誰もいない。それでいい!とあの日言ったのは自分。
簡単だった。
ボタンを押したら人工衛星が海に山に何個も落ちて、
エネルギー施設を破壊した。
もう誰もいない。知らない誰かも毎日の楽しみがあったんだよな。
望んだ世界が違うなんて贅沢だが、またループ出来るからいいか。もう、リセットボタンはないけど。
子供の頃は
自分は何故か特別な使命を受けて生まれてきたのだと妙な感覚があった。
家族との間も自分だけが違和感を感じていた。
よその家の事を知ったり、学校へいくようになるとその違和感は大きくなった。
まぁ、頭でっかちの世間知らずのコミュ障だっただけだと今は思う。そう、思う事が一番の落とし所だ。
亡くなった妹は友達がすぐ出来るタイプだった。
私にはそれは出来なかった。怖かったのかもしれない。
読書…本ばかり読んだ。分からない事は本を読んだ。
誰かに相談する事はいけない事のような気がした。
あまり裕福ではなかったが、食べるのは困らなかった。
でも、学費がかかるようになるとあまりいい顔はされなかった。高校は自分で奨学金申請をして、さも、親が書いたような顔で提出した。妹は中学を出てすぐ就職した。そうしたら、会社が合わなかったみたいだった。
精神科に通うようになり、休職した。
大学も奨学金を申請して後は受かるだけだったが、
ある日、浪人しても生活費はいれろと。予備校も塾もそんな雰囲気じゃなかった。
結局、国立一本だったがダメだった。進路指導の先生に就職するといって、探してもらって今の会社に潜りこめた。
それから、妹の病院や退職の話は何故か私が対応していた。弟は高校には行かず専門学校に行くとなったが、学費は私が工面した。
両親のこの頃の記憶があまりない。
結婚する時、費用は全て自分で用意して、参列する家族の衣装も買った。祖母が母に祝儀を預けたと言っていたが、私の元には来なかった。
もらっておいたからってその事だったのか。
会社で、母がいなくなったら生活ができないから困ると言っていたらしいとか余興のカラオケで別れの歌を散々歌い、自分の舞台にしていたと聞いた。自分の娘にする態度かと言われていたらしい。
どうしていい話しを思い出せないのかな。
きっと楽しかった事もあったはずなのに。きっと楽しかった後に何かあったんだな。誕生日に妹にだけ、ケーキを買ってきたのは父で弟だけ幼稚園にいれたのは母で
雛人形も鯉のぼりもなかった。
定年を迎える今になってもこんな事思うが、両親はきっと、人と上手く付き合えなくて知らない事が多かったのではないか?真面目だけど…子供らしい子供じゃなかったし、お姉ちゃんだから我慢しなきゃいけないと勝手に思ってたから、きっと扱いにくかったのかも。
子供の頃は と、いうか養われていた時も、そう言えば周りから浮いていたから、一緒か。まぁ、いいか。
子供いなくて良かった。同じ事になったらかわいそう。