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子供の頃は


自分は何故か特別な使命を受けて生まれてきたのだと妙な感覚があった。
家族との間も自分だけが違和感を感じていた。
よその家の事を知ったり、学校へいくようになるとその違和感は大きくなった。
まぁ、頭でっかちの世間知らずのコミュ障だっただけだと今は思う。そう、思う事が一番の落とし所だ。

亡くなった妹は友達がすぐ出来るタイプだった。
私にはそれは出来なかった。怖かったのかもしれない。
読書…本ばかり読んだ。分からない事は本を読んだ。 
誰かに相談する事はいけない事のような気がした。

あまり裕福ではなかったが、食べるのは困らなかった。
でも、学費がかかるようになるとあまりいい顔はされなかった。高校は自分で奨学金申請をして、さも、親が書いたような顔で提出した。妹は中学を出てすぐ就職した。そうしたら、会社が合わなかったみたいだった。
精神科に通うようになり、休職した。
大学も奨学金を申請して後は受かるだけだったが、
ある日、浪人しても生活費はいれろと。予備校も塾もそんな雰囲気じゃなかった。
結局、国立一本だったがダメだった。進路指導の先生に就職するといって、探してもらって今の会社に潜りこめた。
それから、妹の病院や退職の話は何故か私が対応していた。弟は高校には行かず専門学校に行くとなったが、学費は私が工面した。
両親のこの頃の記憶があまりない。

結婚する時、費用は全て自分で用意して、参列する家族の衣装も買った。祖母が母に祝儀を預けたと言っていたが、私の元には来なかった。
もらっておいたからってその事だったのか。
会社で、母がいなくなったら生活ができないから困ると言っていたらしいとか余興のカラオケで別れの歌を散々歌い、自分の舞台にしていたと聞いた。自分の娘にする態度かと言われていたらしい。

どうしていい話しを思い出せないのかな。
きっと楽しかった事もあったはずなのに。きっと楽しかった後に何かあったんだな。誕生日に妹にだけ、ケーキを買ってきたのは父で弟だけ幼稚園にいれたのは母で
雛人形も鯉のぼりもなかった。

定年を迎える今になってもこんな事思うが、両親はきっと、人と上手く付き合えなくて知らない事が多かったのではないか?真面目だけど…子供らしい子供じゃなかったし、お姉ちゃんだから我慢しなきゃいけないと勝手に思ってたから、きっと扱いにくかったのかも。
子供の頃は と、いうか養われていた時も、そう言えば周りから浮いていたから、一緒か。まぁ、いいか。
子供いなくて良かった。同じ事になったらかわいそう。

6/23/2024, 1:11:26 PM