⚠︎創作
「泣かないよ、僕は」
「本当に?」
「うん、泣かないよ」
「僕が死んでも?」
「うん。泣かない」
へえー。魂が抜けたような声を出して男は息を吐いた。男は白いベッドの上に寝転がっている。痩せ細った腕には点滴がつけられ、皮膚に薄く浮き出た血管が痛々しさを強調していた。
「そもそも、君は死なないよ」
「そう言ってくれるのはキミだけだ」
「死なないから、僕は泣かない」
「あははっ。余命宣言もされてるのにか。僕はもうね、いつ自分が死んでもいいって思ってる。けれどね、一つだけ心残りがあるとしたら」
「…だからそんな話しないでよ」
「それは、キミなんだ」
寝転がった彼は、白くて狭いだけの病室の、窓枠を見ていた。そこに、小さな白い花瓶がある。そこに一本、花が挿さっていた。一本、ただ一本だけ刺さるその真っ赤な花は、誰も彼のお見舞いに来てくれない男に同情したのか、看護師が用意したものだった。
いつからか、男は花と会話するようになっていた。幻聴だろうがどうでもいい。男の唯一の友達は、その名も知らない花だった。
「僕が居なくなってしまったら、キミは枯れてしまうからね」
「…君と話せなくなった僕に存在意義はあるの?」
「あーあ、僕、お願いしようかな。看護師さんに。僕が死んだら、骨と一緒にあの花埋めてくださいーってさ。その辺の庭に。あははっ」
「想像なんてしたくないよ。君が居なくなる想像なんか」
「キミと僕、どちらが先に居なくなるだろう。僕は自分で水をやることもできないし」
あーあ、一緒に枯れられたらよかったのに。男はそう呟いた。花は、一ミリたりとも動かない。
「…じゃあ僕が枯れなかったら、君も死なないでいてくれるの」
「うん、そうだね。キミが枯れたなら僕はつまらない。だから自分でコレを抜いてでも死ぬよ」
男は点滴の刺さっている箇所を指差した。その指は命の燈が消えかかっているかのようにかすかに震えている。
「前言撤回。やっぱり僕は泣く」
「へ?」
「君が死ぬ前に泣く。そうして、自分に水をやれたなら、僕はもっと長生きできるでしょう。そしたら君は、死なないでいてくれるでしょう?」
「花って、泣けるの」
「正論言わないで!!」
男は、ベッドの上から手を伸ばしても届かないその花瓶に、めいっぱい指を伸ばす。窓の外から差し込む太陽の光を透かして見るように、指の間からその赤い花を見た。あまりに太陽が眩しく煌めいて、目を細める。目に滲んだ涙は、眩しさのせいであってほしかった。
⚠︎創作微BL
「キミのこと、もっと知りたい」
「…は?」
いきなり、手を掴まれた。あ、この人、こんなに手柔らかかったんだ。ていうか、彼と話したこともない。だって、だって、僕はクラスで最底辺の通称陰キャと呼ばれるものだし、なんだって、彼は──
「あれ、神宮寺先輩だ」
「生徒会長…!今日は髪分けてるんだね」
「そいえば〇〇大受けるらしいよ」
「は?!やっぱすごいね…」
「神宮寺くんの隣にいるの誰?」
「今日もかっこいい……見てるだけでいい」
「隣にいるのうちのクラスのあいつじゃん。なんで一緒にいんの?……名前なんだっけ」
そう、今僕の手を掴んでいるのは神宮寺。この高校の生徒会長。そんで、イケメンで、統率力もあって、祖父が学園への寄付をしているとかで。
ここは購買だ。お昼時、たくさんの人が集まる購買で僕はたまごサンドを買う予定だった。たまごサンドに手を伸ばそうとしたら、後ろからにゅっと手が出てきて、それが神宮寺──彼の手だった。……どういうこと?僕が一番理解できていない。
「あっ、あの…….僕たち、注目、されて、ます…」
僕は必死に喉の奥から絞り出した声でそう告げた。神宮寺先輩は焦ったように、あっ、ごめんね。そう言って僕の手を離す。僕の指の先が、たまごサンドに届いた。
「良かったらさ、ご飯、一緒に食べない?」
「へ?なんて?」
「キミのこと、もっと知りたいから!」
そう言った神宮寺先輩は、誰もが見たことがないような顔をしていた。顔を真っ赤に染めて、恥ずかしそうに、目を瞑りながら。だから僕は思わず、はい…と肯定の返事をしていたのだ。
「えっほんと?!」
「あの…これ、買ってきていいですか」
「っあ。うん!じゃあ、そこで待っているから」
先輩の瞳の中はまるで宝石箱のように輝いていた。僕とご飯を食べることがそんなに嬉しいのだろうか。僕のことを知りたいって、一体なんだろう。
僕は様々な人から注目が集まってることを気にして、長い前髪をさらに手で押さえ顔を隠しながらレジに並んだ。たまごサンド。いつも見ているたまごサンドが、やけにキラキラに見える。
「神宮寺先輩、待ちましたか」
「……!!僕の名前、知ってたの?!」
「ええ、それは…生徒会長じゃないですか」
神宮寺先輩は、あはは、恥ずかしいなと頭を掻いて笑いながら言った。彼の手にはお弁当が握られている。屋上行こうよ、そう言われて僕は無言で着いていくしかなかった。
「あの…僕のこと知りたいって、どういう…」
「ごめんっ!突然だったよね、びっくりしたよね、でも僕、キミと話してみたくて!」
先輩は申し訳なさそうに胸の前で手を合わせた。なんで、僕みたいな陰キャでスクールカースト最下位みたいなやつに、声をかけたんだ。僕の頭の中はハテナマークでいっぱいである。
「……僕は、たまごサンドが好き、です」
僕の手の中に収まっている、いつもよりキラキラと輝いてみえるたまごサンドを視界の端にとらえながら僕はそう言っていた。先輩は優しく笑って、僕も好き。そう言った。
⚠︎微ホラー
愛と平和なんていう、見ただけでも幸せになれそうなその言葉。僕はそれに、飽き飽きしている。
僕は妄想が好きだ。数学の授業、化学の授業。どれもこれもつまらない。視界の端にとらえた教室のドア。そこからいきなり刃物を持った大男が現れる。教壇の上に立っていた先生がはじめに襲われて、倒れる。生徒は皆パニックになり、次々と襲われていく──その前に立ちはだかる僕。
まあこんなふうに、学校にテロリストが入ってくるやら、クラスメイトがゾンビ化して僕と美少女だけが助かるだとか、そんな妄想ばかりして遊んでいる。
愛と平和、何故僕がそんな言葉を頭の端で思ったのかというと、今が倫理の授業中だからだ。
皆さんが考える愛と平和とは?──なんの授業なんだろう、と思う。こんなことを考えて何になる?中学生かよ。
ありきたりなことを、とりあえず書いてみようと思う。愛と平和。うーん。愛の反対語は憎だろう。愛憎がなんちゃらとか言うし。
平和の反対は…?戦争?
僕は白紙に、誰のことも憎まず、戦争が起きないこと。そう書いた。だからなんだと言われそうだがそんなことはどうでも良い。
このつまらない日常に、何か起きてくれないだろうか。愛と平和なんて、そんなもう日常にありふれているようなことは良いのだ。逆に、憎とか、戦争とか、そういう要素が少しは欲しいと思ってしまうのも許して欲しい。戦争を望んでいるわけではないが、それでも、何か面白いことが起きないかな、僕はずっと日常に変化を求めている。
「えー、ではプリント回収しますよ。後ろから集めて」
窓際の後ろの方の席の俺は、妄想の世界から慌てて抜け出し、後ろを向いて男子からプリントを受け取った。それを、前に回していく。視界の端に、雲ひとつない青空を切り取ったような窓枠が映る。
ビチャ。
窓にナニカが付着した、それは、血飛沫のような赤黒い色で、鳥のフンであることはなさそうだ。僕は目を擦った。ここは三階だ。何が起こったらこんなところに血飛沫が飛ぶ?
その瞬間、僕は見た。黒髪が、真っ逆さまに落ちていく。白い顔が、こちらを向いている。しっかり、こちらを向いて、そうして、それはまるでスローモーションのように。
口が動いて、こう言った。
『お前のせいだ』
⚠︎微BL
「過ぎ去った日々は、もう戻ってこないのですね」
やけに大人びた声。同じ歳のはずなのに、いつも敬語を使って話す俺の友達は、何かのアニメの影響でも受けているのだろうか。俺はずっとそう思っている。頭が良くて、眼鏡をかけていて身長が高いクラスメイト。変な奴。クラスメイトからはそんな薄っぺらい印象である。
現に近くにいたクラスメイト数名が、こちらを不思議そうに見つめた。
「ああ、そうだな。…よく分かんねえけど」
三月なのに、指先が凍えるほど寒い。三月の一番初めの金曜日、高校で行われることは卒業式。その前日に卒業生をさりげなく祝うように降った雪は少し積もって、革靴を汚すので俺は酷く嫌な気持ちになった。
俺は制服の裾を握りしめる。女子に告白されてボタンを全部持っていかれる?──馬鹿な。そんな漫画みたいなことは起きない。実際、式が終わったあとこうやって、立派な立て看板がある三年間通い詰めた高校の玄関口で、親の迎えを俺は待っている。
彼は、何故いるのか?俺に聞かないで欲しい。多分彼も親の迎えを待っているのだと思う。分からないけど。
周辺では、女子生徒が「写真撮ろ」なんて言って、女子同士で楽しそうにはしゃいでいたり、部活の後輩から花を受け取って両目に涙を浮かべていたりするクラスメイトも見かけた。俺にはそんな青春は、この三年間存在しなかった。平凡で、楽な三年間、だったと記憶している。
彼と無言のままだとどうしても気まずくて、「大学どこ?」なんて聞いてみようとしたけれども、落ちたと言われたらどうしようというところまで考えて、口を固く噤む。ひゅうと風が横切って、前髪を揺らした。
俺はどうしようか、そろそろ本格的に気まずいので一人になろうと違う方向に歩き出すと、焦ったように彼は、丸めて脇に抱えていた卒業証書を突然両手で広げた。
「何してんの?」
「見ていてください」
ビリビリ。
「────は?」
「破りました」
「は?」
「破りました。見ましたか?」
「い、いや見たけど…お前…何して」
「………要らないと思って」
「え?」
彼の手は、震えていた。寒いから?怖いから?緊張しているから?震える理由なんてそんなものだろう。
「あはは、お前、どうしたの。卒業証書だよ、それ」
「君が居なかった三年間は、要らないと、思って」
「……………」
「過ぎ去った日々は戻らないけれど、でも僕は、君と卒業したかった」
彼の手には、もう一枚卒業証書が握られていた。そこに書かれた名前は、正真正銘俺の名前。
「クラスで浮いていた僕に優しくしてくれたのが君でしたね。…でも、君はあの夏に、死んでしまった」
「…お前、ひとりで話してるって、意味悪がられてるよ。………ごめんな、二年と、半年間も。気味悪いよな、幽霊が見えるだなんて、さ。」
「君が居なかった三年間、僕は要らないんです。今までも、これからも」
ビリビリ、粉々に砕かれた彼の卒業証書が冷たい風に舞う。それは昼間の煌めく太陽に当たり泥と一緒になって溶けた雪の上に落ちた。みるみるうちにそれは紙の硬さを失い、溶けていくみたいに地面に舞い散った。
「……じゃあ俺のもさ、破ってよ」
「ダメです」
「え、なんでよ」
「君のお母さんに渡すって約束したでしょう。君が居なかった三年間の証、僕は要らないけれど」
彼は、一歩こちらに近づいた。やめろ、やめろって。これ以上、俺の心に触れないで。
「君が僕の瞳の中だけに居た三年間は、消さないで欲しいから」
腕がぎゅっと背中に回された。確かに、彼の体温は存在している。悴む指先が湯気に触れてじわじわと暖かくなっていくみたいに、俺の肌は熱くなった。でも彼は、体温なんて感じられていない。俺のことが見えていたとしても、俺の肉体は、そこにはもう無いから。
あからさまに変な態勢なんだろう。彼が空間に向かって抱きついている絵面を見たクラスメイトは、「あいつ最後まで変な奴だな。幻覚見えてる?」なんて悪口を言う。
「…ごめんね」
「謝らないで欲しいです」
俺は、そっと彼の背中に腕を回した。彼は、その体温を、感触を感じることが出来ていないであろう。それでも僕は、僕にだけしか分からない彼の体温を、そっと胸の中に抱きしめた。