『愛と平和』
かつて「Love&Peace」は、我が国の国旗に書かれたスローガンだった。
しかし、百年目の建国記念祭を翌日に控えた現在、それはもっと具体的で、少しだけ面倒なものとして存在している。
路地裏の古道具屋の店主は、棚から落ちそうになった古い地球儀を片手で受け止めた。
それが彼にとっての「平和」の維持だ。
一方、隣のカフェでは、一人の青年が冷めきったコーヒーを前に、恋人への謝罪の言葉を必死に探している。
彼にとっての「愛」は、プライドを捨てて頭を下げる勇気の別名だった。
「愛も平和も、壊さないようにするのは一苦労だ」
店主は独り言をこぼし、地球儀の埃を丁寧に拭った。
窓の外では、ようやく仲直りした二人が、手を繋いで歩いていく。
そんなありふれた光景を、夕暮れがオレンジ色に包んでいた。
『ひなまつり』
子供の頃は、七段飾りの雛人形を出していた。
骨組みを組み立て、
緋毛氈を敷き、段ごとに、
親王である内裏雛(男雛女雛)、
三人官女、
五人囃子、
随身(左大臣右大臣)、
仕丁(三人の衛士)、
箪笥や長持、鏡台などの嫁入り道具、
左近の桜と右近の橘、
雪洞(ぼんぼり)などを飾る。
一室にドンと構えられたそれは、とても存在感があって美しかった。
お内裏様やお雛様が着ている着物の生地も、おすべらかしの髪に飾られた金の釵子(さいし)も、飽かずに眺めていたものだ。
出したり仕舞ったりは大変だったけれど、あの華やかな空間は好きだったな。
『バレンタイン』
ここ数年は、すっかり自分のためにちょっとお高いチョコレートを買うお楽しみの日になっている。
とはいえ、そんなに奮発もしないんだけど。
だって、ここ最近の物価高でチョコ高過ぎない?
夕方のニュース番組で、何万円分も買い込んでいる人達を見ると豪気ですなぁと思うが、無い袖は振れないのだ。
子供の頃は、大人になったら好きなものを好きなだけ買うんだ!と夢見ていたっけ。
ささやかなのに、なかなか叶わない夢である。
『花束』
その花屋の店主は、客の顔を見ない。代わりに客の胸の音を聴く。
「なるほど。少し寂しさが混じっていますね」
店主は慣れた手つきで、見たこともない形の青い花を束ね始めた。
この店で売っているのは、本当の植物ではない。誰かの感情を花の形にしたものなのだ。
手渡された花束は、触れると微かに体温のような温かみがあった。
病室で眠る父の傍らに、そっとその花を置く。
するとどうだろう。
花びらが一枚、また一枚と透き通るように消え始めた。
それと同時に、父の頬にほんのりと赤みが差してゆく。
「……来ていたのか」
父がうっすらと目を開け、私の手を握った。
花束はもう、跡形もない。
あの店主は言っていた。
「形がなくなる時、一番大切なものが残りますよ」
『スマイル』
スマイル0円。
そんな言葉も幾星霜。
少子化が進み、人件費を上げても働き手が集まらない今となっては、生身の人間を雇っているところなど極わずか。
工業などのオートメーション化された業務はそれで十分だったが、数十年が経つうちに、対人業務ではそれ以外のことに付加価値を求める声が上がり始めた。
会計処理やおすすめ商品の表示の際に、にこやかに笑いかけてほしい――そういう要望だ。
「ありがとうございました」
「よくお似合いですよ」
そういった言葉と共に、笑顔を。
人でなくても構わない。
ロボットでも、バーチャルキャラクターでもいい。
そのためには対価を払う、と。
そこから先は、いかに魅力的な笑顔を提供できるかが企業の課題となった。
笑顔を生み出すための研究費、開発費、設備費、その他諸々。
現在、もっとも価格の高い商品はスマイルである。