『どこにも書けないこと』
個人的に、誰にも知られたくないことは、たとえ日記にでも書いてはいけない、と思っている。
自分の頭の中から出た途端、それは必ず誰かに知られるものだ。
SNSなんて以ての外だし、スマホ内のメモ帳だろうが、鍵付きだろうが意味はない。
どうしても文字にして吐き出したかったら、紙に書いて即座に燃やすくらいはしないと。
じゃないと、恐ろしいことになるからね。
え?都市伝説だろうって?
何を言ってるんだい、キミ。
僕の目がこうなった理由を知らないのか?
それに今日は、あの日じゃないか。
元は国民の権利であった、今となっては粛清対象を見つけるための……
『時計の針』
午前零時の少し前、部屋の隅でカチリと重い音が響いた。
中古屋で安く買った柱時計だ。
秒針の動きが妙にぎこちない。
普通、針は円を描いて進むものだが、この時計の針は何かを必死に押し退けているように見える。
一秒ごとに、針が震える。
まるで目に見えない何かに食い込んでいるかのような抵抗感。
盤面を覗き込むと、短針と長針が重なる瞬間、かすかに何かが潰れるような湿った音が聞こえた。
よく見ると、文字盤の隙間から赤黒い細い糸のようなものが滲み出している。
それは針に絡みつき、進みを止めようと抗っていた。
針は、時を刻んでいるのではなかった。
文字盤の裏側に閉じ込められた何かを、鋭利な刃先で切り刻み続けているのだ。
静寂の中、私は魅入られたようにじっとソレを凝視していた。
『ブランコ』
フランスの画家ジャン・オノレ・フラゴナールの代表作に、「ブランコ」というものがある。
ピンクのドレスを着た若く美しい貴婦人が、庭園でブランコに乗り、脱げたミュールが宙を舞う瞬間を描いたものだ。
一見、とても美しく麗らかな情景に思えるが、よくよく注意してみると意味が変わる。
中央の女性の足元には、茂みから彼女をのぞき見る愛人の貴族が描かれている。彼の目線は彼女のドレスの中。足の間だ。
また、左端のキューピッド像は秘密を隠すように人差し指を口に当てている。
ここまでなら、秘密の恋。
だが、それだけでは終わらない。
女性の背後には、ブランコを揺らすロープを掴む初老の男性。彼は彼女の夫だ。
彼の傍らに描かれた天使像の表情は驚き?それとも困惑だろうか。
夫の周辺は薄暗く光が差していない。光を浴びているのは自分の妻と、その若い愛人。
なのに、夫の口元は笑みを浮かべている。
夫は何を思ってブランコを揺らしているのだろう。
美しいのに、どこかゾワリとさせられる一枚だ。
『旅路の果てに』
銀河鉄道の終着駅は、拍子抜けするほど静かな砂漠だった。
「ここが、終点?」
私が問うと、車掌は無言で古びた切符を回収した。
足元に広がるのは、星屑が打ち寄せられたような銀色の砂だ。
空には赤くて大きな恒星がふたつ。
これまで数多の星を巡り、石嵐の都も雲の上の遺跡も見てきた。
テクノロジーが発達し、すべてが1と0で構築された場所も。
その旅路の果てが、この何もない場所なのか。
その場にしゃがんで、小さな光の粒を手で掬った。
サラサラサラサラ。
幼い頃の草の匂い、誰かに言えなかった謝罪の言葉、異国の空の下で食べたパンの味。
不思議といろんなことが取り留めもなく思い出された。
果てというのは、終点でもあり起点でもある。
ここからまた旅に出るのもいいかもしれない。
さて、次はどこへ行こう。
『あなたに届けたい』
「やっと、君に届けられる」
男は悦びに震える手で、その小さな小包を丁寧に包んだ。中身は、彼女がずっと「欲しい」と言っていたものだ。
二人が別れてから半年。彼女は男からの着信を拒否し、居場所さえ教えなかった。
けれど、そんなものはどうとでもなる。男は彼女の新しいアパートも、新しい恋人の存在も、すべてを突き止めた。
「君はいつも、僕に『心』が足りないって言っていたよね」
男は独り言をつぶやきながら、真っ赤なリボンを結ぶ。
彼女が去り際に叫んだ言葉を、男は一言一句忘れていない。
――あなたには人の心がないのよ!
あんなに欲しがっていたのだから、きっと喜んでくれる。
男は、数時間前まで彼女の隣を歩いていた新しい恋人のことを思い出す。
あそこから取り出した、まだ温かく脈動していたソレも……
翌朝、彼女の家の玄関前に置かれた箱からは、甘い香りに混じって、わずかに鉄の匂いが漂っていた。