『タイミング』
ここ数日、どうにもタイミングが合わなくて、文章を投稿しそびれてしまった。
――と、いう話を書こうと思ったところで、防災無線が鳴った。
《津波警報が発令されています。
ただちに沿岸や河川から離れ、高台へ避難しましょう》
電車待ちをしているところだった。
その電車も運転見合わせになり、バスを乗り継いで帰ることにした。
暑い中、家に辿り着いたところで、また防災無線が鳴った。
先に開設されていた避難所の他に、追加で避難所として開放された場所の案内だった。
うちは海から少し離れているとはいえ、完全に安全かと言われると断言できない。
100パーセントの安全などないのだ。
悩んでいると、外でご近所さんがアワアワしていた。
毎朝挨拶を交わす一人暮らしのおばあちゃんだ。
このタイミングでおばあちゃんに会うとは、きっと避難所へ連れて行けという何かの啓示だろうと、一番近くの公民館へ連れて行った。
そこで数時間過ごし、さっき帰宅した。
時計を見たら、ギリギリこの文章を投稿できる時間だ。
これもまたタイミング。
『またいつか』
この言葉を出して別れた時点で、“また”なんて来ないと今では思うようにしている。
相手が連絡してくれるのを待つだけの言葉だと、身に沁みたから。
どうしても会いたい人なら、自分から連絡するだろう。
自分からは積極的に動かない、けれど相手が連絡してきたら会ってもいい。
それくらいの距離感。
相手も、私も。
さよならほど潔くはなく、曖昧で優しくて狡い別れの言葉だ。
『星を追いかけて』
星新一。
言わずとしれたショートショートの神様だ。
奇抜なアイディア、意表を突く展開、多くの作品に散りばめられたユーモアとブラックさ、透徹した人間観察、たまに見せるゾクッとするほどのシリアスな一面。
小学生から中学生に上がる辺りで、私は彼の作品群に夢中になった。
新潮文庫で出版されたものを中心に、お小遣いの許す限り買い漁った。
大人になっても読み返すだろうし、なにより手元に置いていつでも読めるようにしたかった。
実際、こうして何十年経った今でも、私の本棚に彼の著作は鎮座している。
ボッコちゃん、殺し屋ですわよ、おーい でてこーい、生活維持省、不眠症、妄想銀行、霧の星で、狂的体質、マイ国家、妖精配給会社、鍵、処刑、殉教、セキストラ、人形、ゆきとどいた生活、午後の恐竜……
私は、未だに彼を追いかけている。
『今を生きる』
昔見た映画に『いまを生きる』という邦題のものがあった。
原題は『Dead Poets Society(死せる詩人の会)』。
ロビン・ウィリアムズ演じるキーティング先生と生徒たちとの物語だ。
映画の中でキーティング先生が生徒たちにある言葉を教える。
「Carpe Diem(カーペ・ディエム)」
ラテン語で、今を大切にし自分らしく生きろという意味らしい。
それが邦題に掛かっている。
――とまあ、その映画の話を続けてもいいのだけれど、気温35℃超えの今日は、なんにも考えがまとまらないのでやめておこう。
それよりも向こう一週間ずっと猛暑日だと天気予報で言っていたので、今、この夏をどう生き残るかですよ。
『special day』
今日は土曜日で土用の丑の日だそうな。