『小さな幸せ』
とあるスーパーの手作りプリンが好きで、見かけると買ってしまう。
ちょっと硬めで玉子の風味が強く、カラメルは甘さよりも苦味が強い。
今みたいにプルプルとろりのやわらかプリンがまだ無い頃の、玉子と牛乳を感じる味だ。
今日も仕事帰りにスーパーに寄る。
野菜、肉、鮮魚コーナーを見た後にお惣菜を覗き、プリンの置いてあるところへ。
あったあった。
売り切れずに2個残っている。
え、半額シールが!やったー!
今日はいい日だ。
『春爛漫』
この暑さはなんなのか。
まだ3月だというのに、あまりに汗をかくので半袖に着替えた。
九州では30℃を超えているところもあると、テレビで気象予報士が言っていた。
今日だけではない。ここ数日だ。
もう一度言う。まだ3月だというのに……
やがて訪れる夏の盛りを思うとげんなりする。
いや、それよりも。
春は、どこへ行った?
春爛漫、程よい気候だ桜が綺麗、なんてのどかな春はどこへ?
帰ってこーい。
『七色』
❝初めてその人を見た時、全身が七色に光って見えた。
誇張や比喩ではなく、本当にそう見えたのだ。
別に私は、音や言葉に色彩を感じる共感覚の持ち主ではない。
他の人達は普通に光りもせず、色もついていない。
なのにその人だけ、浮かび上がるように七色なのだ。
いつもの私なら、不思議なこともあるものだとそのまま素通りしたと思う。
けれどその時は、その不思議な人を追いかけてみようと思ってしまった。
今ならきっと、そんなことはしない。
追いかけ、観察した結果、私は引き返せないところまできてしまった。
全身が七色のその人の、顔だけが見えないことにもっと注意を払うべきだった。
過去の私に言ってやりたい。
好奇心は猫を殺すのだと。❞
――部屋に残された手記はここで途切れている。
『記憶』
「私の記憶が確かならば」という言葉で始まる料理番組が昔あった。
和の鉄人、洋の鉄人、中華の鉄人。
熟練した料理人たちの手捌きは、見ているだけでも面白かった。
即座にメニューが頭の中で組み立てられ、手順や調理時間が計算され、極力無駄を排して作業が進む。
様々な献立が詰め込まれている頭だけでなく、長年に渡って調理してきた体もまた料理を憶えているのだろう。
そう、数え切れないくらい繰り返してきたことは、体が記憶する。
思わず現実逃避してしまったが、目の前の問題は解決していない。
足元には、事切れた男の死体。
背後から襲いかかられたので、思わず反撃してしまった。正当防衛ではあるが、過剰防衛でもある。
ふう、とひとつ息をつく。
大丈夫、この後の処理方法もちゃんと記憶しているから。
『もう二度と』
ここはどこ?
起き上がって辺りを見回すと、足に鎖が繋がれていた。
ジャラリと重たい音がする。
周囲は石造りの壁、今しがたまで自分が寝ていた簡素なベッド、同じく簡素な木の椅子。それだけ。
窓がないことに動揺した。
扉はある。木製で、鉄か何かの丸いドアノブがついている。
そこまで鎖が届くかどうか確かめるために立ち上がる。
ドアノブに手が届くか届かないかの絶妙な位置で、足が鎖に引っ張られた。
やっぱり、と落胆してベッドに戻ると、枕元に一輪の花が落ちているのに気がついた。
目立たない小さく可憐な青い花。
勿忘草だ。
花言葉は「真実の愛」。
そして「私を忘れないで」。
この花を取ろうとして急流に転落した騎士が、今際の際に恋人に捧げたという花。
嗚呼、初めて涙が頬を伝う。
あの人は殺されてしまった。
私の髪にこの花を挿してくれた、あの人は。
転生したという私の話を信じてくれて、運命を変えるために一緒に行動してくれた、あの人は。
もう二度と、あの微笑みを向けてくれることはないのだ。