『永遠の花束』
願いが叶うなら吐息を白い薔薇にかえたい、と歌う曲があった。
そして逢えない相手を想って部屋中に飾るのだそうだ。
随分と気の滅入る部屋にならないか?
薔薇が美しければ美しいほど、哀しみが際立ちそうだ。
私だったら、そうだな。
その花を集めて花束にでもして、売って売って売りまくる。
虚しさの象徴なんて手元に置いておきたくないし、相手に対するムカつきを現金に換えて可視化する。
やがて一定の額を超えたなら、その相手を捨てる決心もつくだろう。
なんだ、こんなにも蔑ろにされていたのかと。
その後ようやく、笑えるようになるんじゃなかろうか。
よく笑顔を花に例えることがある。
花がほころぶような、とか。
逆に、花が咲く様子を花が笑うと言ったりもする。
どうせ咲かせるならそちらの方がいい。
そしてそれを胸にひとつずつ集めていけば、人生の終わり頃には、きっとなにものにも代えがたい花束ができているのだろう。
『やさしくしないで』
昔から、頼み事や相談という名の厄介事を持ちかけられることが多かった。
見知らぬ人に道を尋ねられることも本当に多い。
よく言えば無害、悪く言えば舐められ軽んじられやすいのだ。
もうこの歳になると、相手がこちらの手助けを前提に困り顔をして見せているのがわかるので、手伝いを申し出たりはしない。
あなたが嫌なものは、私だって嫌なのだ。
それで、あてが外れたと憤慨されようが、しつこくこちらに関わらせようとしてこようが、ばっさり切ることに躊躇いがなくなった。
そんな輩は私にとって害である。
罪悪感を持つこともない。
もう、あなたたちにやさしくしないで生きていけるようになった。
ようやく、だ。
『隠された手紙』
祭壇の前で組んでいた手を解き、顔を上げて周囲を見回す。
誰もいないのを確かめて、前から4列目の左端の席へと向かった。
教会へ来たのは、罪を告白するためではない。そこに隠されたものを回収するためだ。
椅子の裏を手で探ると、カサリと紙片が触れた。
手のひらの中に収まるほどのそれに目を走らせ、内容を頭に入れるとライターで火を点ける。
欠片が残らぬよう灰を揉んで風に飛ばしてから、そこを出た。
次の依頼は裏でいろいろ噂のある連邦議員の抹消。できるだけ自然な形でということだ。
いくつかの方法を吟味しながら、教会を後にした。
『バイバイ』
子供の頃は、とにかく外で遊ぶのが主流で、みんな夕方薄暗くなるまで走り回ってた。
今思うと不思議なくらい、ただぶらぶらしてるだけでも楽しかった。
おしゃべりの種も尽きず。
暗くなって自分の影も見えないくらいになって、ようやく家へ帰るのだ。
後ろ髪を引かれながら、なにをそんなに惜しむのかもわからずに。
黄昏時は彼誰時。
外が暗くて「彼は誰か」と問う時分。
さよならは改まった感じがして、さようならだともっと重たい別れな気がして、いつも友達に言うのはバイバイだったな。
『旅の途中』
人生を旅に例えることはよくあるけれど、それは行って帰って来る旅だろうか。
それとも行ったきり、どこか果てにある目的地へとひたすら向かう、片道の旅だろうか。
行って帰って来る旅ならば、もう折り返し地点を越えたなぁ。
終着点や目的地への片道の旅ならば、まだまだ目的地の影すら見えない。
そもそも、どこへ向かっているのかもわからない。
だから時々立ち止まって、ふうと深呼吸して周囲を見渡すようにしないと、と自分に言い聞かせる。
じゃないと迷走する自信があるから。
切れた縁や、消息も分からないほど疎遠になった人のことを想うと淋しいけど。
歩き続けている限り、それはしょうがないんだろうなぁ。