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1/31/2025, 5:09:45 AM

『まだ知らない君』

差出人のない手紙を受け取って、君はさぞかし気味悪く感じていることだろう。
だけど、破り捨てるのはちょっと待ってほしい。
これから私が語るのは、君の将来に大きく関わることだから。

まずこれを書いている私は、未来の君である。
信じられないのも無理はない。私だっていきなりこんな手紙を受け取ったら、今の君と同じ反応をするだろう。

だから……そうだな、私が未来の君であることの証明に、明日君に何が起こるか書こうと思う。
この手紙を破くなり燃やすなりするのは、それを確認してからでも遅くはあるまい。

明日、君は通学途中に衰弱しきった猫に出会う。
なんとなく見過ごせなかった君は学校へ連れていき、保健室の養護教諭と共にその猫の世話をするだろう。
下校時にはその猫を抱いて、ある橋のたもとを通りかかる。

その時聞こえる声に、返事をしてはいけない。
できるなら、そこを通らないでほしい。

でも、きっと君は私の忠告には耳を貸さないだろうから、声をかけられる前提で話を進めよう。
不思議な声に驚いた君は、思わず相手に問いかけてしまう。
――お前は誰だ、と。

大丈夫、まだ最悪の事態には陥っていない。
その後のやり取りで危ういところはあるが、君はなんとか家へ帰れるだろう。
それから先のことは、その時また君へと届く私からの手紙を読めばいい。

まだ何も知らない君へ。
君の未来が少しでも明るいものになるように、私はこれを送る。

1/30/2025, 7:13:41 AM

『日陰』

白線の上だけ歩いて、はみ出てはいけない。
黄色いナンバーの車を10台見たらラッキー、途中で緑色のナンバーを見たらゼロからやり直し。
霊柩車を見たら親指を隠す。

子供の頃にはいろんな決まりがあった。
それもいつの間にかみんなの間に広まって、まるでゲームかなにかのように面白がってやる類の。

そのうちのひとつに、こんなのがあった。

日陰から日陰へ移る時には、10歩以内でないと影に飲み込まれる。

それが流行った時には、みんな下校途中に建物のある道を選んでいた。
ある時、私は友人と別れて一人になり、ふとその決まりを思い出して日陰を渡り歩いて帰ろうと思い立った。

なぜその時そう思ったのかは覚えていない。
それに思い立ったということは、普段はやっていなかったのだろう。
それくらい緩い、気が向けばやってみる、くらいの“決まり”なのだ。

大股で三段跳びみたいにジャンプしながら10歩以内におさめたり、余裕で数歩で渡ったり。順調に進んでいたが、国道を渡るところでほとんど日陰のない場所に出てしまった。

国道の向こう側には日陰がある。
ジャンプしながら渡っても10歩では難しそうだった。
もうやめる、という選択肢はなかった。そんなこと、思いつきもしなかった。

私はドキドキと不安に脈打つ鼓動を抑え、一歩を踏み出した。
呪文でも唱えるみたいに、歩数を呟く。見えないなにかに、祈りでも捧げるみたいに。

1/29/2025, 8:43:55 AM

『帽子かぶって』

今日も今日とて、寒いなあ。

夏場の帽子は日差しを避けるため。
冬場の帽子は寒さをしのぐため。

こんな寒風吹きすさぶ中を歩くには、毛糸で編んだニット帽。
ベージュ、オレンジ、白にピンクに黒などなど、いくつか持っている。
形は耳まで覆うやつがいい。

それをスポッと被ってマスクもつけたら、頭部と顔はなんとかなる。
裏起毛の暖かさ重視の服を着て、いざ!

今週発売の季節限定アイスを買いに。

1/28/2025, 7:46:56 AM

『小さな勇気』

ずっと気になっていた店があった。

雑居ビルの1階の角、薄暗くて日当たりの悪い場所にある小さな喫茶店。

古書店街に行く度に、その路地を通って駅に向かっていた私は、チラチラと店の様子を窺いながらも入る勇気が出せずにいた。

2月のはじめ、寒波がきていてこれから雪が降るかもしれないという日。
いつものように後ろ髪を引かれながらも通り過ぎようとした私に、強い北風が吹きつけた。
低層ビルの間を通った風は思いの外勢いがあり、煽られた私はよろけて膝をついてしまった。

寒いし、痛いし、恥ずかしいし――なんかもう、いいや。

妙なスイッチが入ったのか、小さな勇気というよりは蛮勇のような勢いで、私はこれまでずっと横目で見るだけだったその店に足を踏み入れた。

カランコロン、と軽やかなベルの音。
薄暗いけれど暖かい店内。
寒かったので、紅茶とホットケーキを頼んだ。

ほんのり甘い香りに顔を上げると、昔ながらのシンプルでまあるいホットケーキが3段重なっていて、上にはアイスクリームディッシャーで掬い取られたらしい丸いバターが乗っている。
蜂蜜とシロップのどちらがいいか尋ねられたので、シロップにした。

ナイフがふんわりとした抵抗の後、飲み込まれる。バターの僅かな塩気とシロップのやさしい甘さ。
どこか懐かしく感じる味だった。

紅茶を一口飲んで、ほうと息をつく。
入ってよかったなぁ。

1/27/2025, 2:54:57 AM

『わぁ!』

「わぁ!」
部屋へ入るなり、短く感嘆の声を上げた弟子を微笑ましく見る。

ダマスクスの白睡蓮、水蝋樹の花、カミツレ、真紅のアネモネ、スミレ、柘榴の花、エグランタインの薔薇、水仙。
色とりどりの花に目を奪われたようだ。

これから花弁と花粉と蜜を分け、エキスを抽出していく作業を始めれば、こんな可愛い反応はすぐに消えるだろう。
二、三日後には「うわぁ……」と、うんざりした顔をするかもしれない。

まあ、花の美しさを楽しめるのも今のうち。
それに、心根が曇っているか澄んでいるかも、これからの作業に影響するのだ。

まずはお茶でも淹れようか、と未だわぁわぁ言っている弟子を放って竈に向かった。

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