『あなたへの贈り物』
普段は触ったこともない漢和辞典を開く。
ネットで流行りのものを検索する。
親戚や知人友人たちを思い浮かべる。
姓名判断のサイトを熟読する。
伴侶と二人でそれぞれの希望を出し合う。
両親や義両親から口出しされる。
――それに抗う。
唯一無二のものを贈りたいと思う。
なんとか幾つかに絞ったものを親友に見せる。
ダメ出しされる。
なんだコレは、落ち着け、と諭される。
唯一無二なのは名前じゃなくて、あなたそのものなのだと気づく。
もう一度、伴侶と話し合う。
ふたりでうんうん唸りながら、ありったけの願いを込める。
親となった私たちからの、
初めてのあなたへの贈り物は、
こうして決まったのです。
『明日に向かって歩く、でも』
部屋の隅で物音がし、思考が断ち切られた。
私の頭は、いつも決着のついていない考えで溢れかえっている。
あの時ああしていれば。
あの時こう言っていれば。
前向きに考えろと人は言う。
――どうやって?
心はぐちゃぐちゃで頭も働かない。
疲労で思考が停止し、ぼんやりするだけ。
とりあえず、日常生活を送らなくてはという思いだけで体を動かす。
まずは手を洗って、
血を拭き取って、
それから、
コレをどこかへ隠さなくては。
ゆっくりと立ち上がり、思案する。
起こってしまったことは仕方ない。
私は明日に向かって歩く、でも――昨日までとは違う世界が始まるのだろう。
『ただひとりの君へ』
みなさんは「手のひらの宇宙」理論を知っていますか?
ええ、こうして両手で何かを掬うような形にした時に発生する小宇宙のことです。
今となっては広く知られたこの理論も、もとはと言えばひとりの主婦が発見したものでした。
彼女は毎日家事をする中で、時折不思議な現象を感じ取っていました。
しかし言葉にできないその感覚を、誰にも言わなかったそうです。
言っても仕方がない。
誰も聞いてくれない。
頭がオカシイと言われるかも。
自分だけが気づいた物事というのは、人に話すには勇気がいります。
ましてや、彼女にはなんの肩書もありませんでした。
しかし真理とはそこにあり、それを発見するのに肩書も学歴も要りません。
例えば料理は化学です。
水を沸騰させるのも、肉や魚を炙るのも、我々が“味付け”と呼んでいる調味料による味の変化も、すべては化学です。
とするならば、彼女は優れた化学者なのです。
かといって、特別な人間というわけではありません。
普段送っている生活のすべては何かしらの作用や反応の集積なのですから。
鼻歌を歌うあなたは、原子と人体の深淵を覗くかもしれない。
原っぱに寝転んで雲を眺めているあなたは、地学や気象学を自ずと探求しているのかも。
そんな可能性を持った、ただひとりの君たちへ。
日々の暮らしをおくることで、この世界の真理はいつでも解き明かすことができるのかもしれませんね。
『風のいたずら』
それは風のいたずらだった。
ひとつの赤い風船が、風に飛ばされて小さな公園の樹木に引っかかった。
自力ではどうすることもできないので、中に詰められた浮揚ガスがなくなってしぼむまで、自分はここにいるのだろうと思っていた。
するとある日、ひとりの少年が赤い風船を見つけた。
彼は木によじ登ってそれを取り、やさしく話しかけた。
学校へ行くにも、雨の日でも風の日でも、少年は風船と一緒に過ごした。
あまりに仲良くしているので、周囲の人間は次第にヒソヒソと少年を遠巻きにするようになった。
少年を庇いたいのになにも出来ない風船は、ただゆらゆらと不安定に揺れるしかなかった。
そんなある日、いつものように穏やかに公園で過ごしていると、少年の同級生たちがやってきて、石を投げつけた。
咄嗟のことに、風船はふわりと少年の前へ出て、石に当たってパンッと軽い音を立てた。
自分は破裂したのだと、強い衝撃と共に悟った。
まるでスローモーションのように、驚愕した少年の顔がやがて悲しみの色に染まるのを見た。
このまま彼を独りにするのが怖くなった。
この町で、彼は上手くやっていけるだろうか。
もとはといえば、風のいたずらで始まったことだった。
ならば風よ、いま一度。
するとその時、一陣の突風が吹いた。
石を投げつけた子供たちが目を開けると、そこには少年の姿も、破裂した風船の欠片も見当たらなかった。
『あなたのもとへ』
このお題を見て、最初に頭に浮かんだのは大江賢次原作の『絶唱』という映画だった。山口百恵&三浦友和主演。
映画の冒頭は、厳かな結婚式。
夜に行われるそれは誰も口を開かず、静々と、どこか薄暗い。
物語はこんな感じ。
大地主の御曹司・順吉と山番の娘・小雪が身分違いの恋に落ちる。
大反対を振り切って駆け落ちした二人だが、やがて戦争が始まり順吉は戦地へと送り込まれてしまう。
帰りを待つ間に小雪は病に倒れ、戦争が終わって帰ってきた順吉の腕の中で息を引き取る。
順吉は実家へ戻るが、そこで小雪との結婚式を挙げるのだ。
そう、映画の冒頭で映し出されていたのは順吉と亡くなった小雪の結婚式。冥婚だった、というのが最後に分かる。
だから皆あんなにも涙していたのか。
祝言だというのに喜びに沸く様子もなかったのか。
で、映画の中ごろ、順吉と小雪がまだ幸せな恋人同士だった時、野山を自由に走り回る小雪に順吉が言う。
まるで山鳩みたいだ、と。
自分に会いに山へ来てくれた順吉を見つけて駆け寄る小雪は、溌剌としていて小鳩のようだった。
それがやけに印象に残っていて、今回のお題を見て、小雪の台詞のように感じたのかもれない。