『紅茶の香り』
苦しくなったら、たくらみ事を。
復讐や仕返しを頭の中で企てて、その方法や手順をひとつひとつ詰めてゆく。
まずは前提から。
周囲にも復讐相手にも気づかせないやり方か、周囲には発覚せずに相手に思い知らせるやり方か、周囲にも相手にも構わずやりたいようにやるか。
それから内容と程度。
物理的にか、社会的にか、精神的にか。
物理的なら、犯罪になるほどのことか、ならないレベルか。
社会的なら、悪評程度か、職や立場を失うほどか。
精神的なら、ちょっと傷つくくらいか、立ち直れないほど打ちのめすか。
一番簡単なのは、周囲にも相手にも構わず、捕まることすら気にしないやり方だけど。
「どうしたの? 飲まないの?」
親しげなふりをして、これまで私を貶め傷つけてきた相手。
あなた今、私の頭の中で散々な目に遭うところなのよ。
ティーカップを手に取り、一口飲み込んでハッとした。喉を焼くような痛みにカップを取り落とす。
辺りに広がる紅茶の香りの向こうで、相手がニヤリと笑ったのが見えた。
『愛言葉』
2020年代に凶悪強盗事件が急増し、警察や警備会社は頭を抱えた。
そこで従来の生体認証や音声解析技術を研究し、より高度なセキュリティシステムへと転化することに成功した。
建物や敷地に立ち入る際は住人や持ち主に呼びかけると、その音声に含まれる親愛の情が解析され、セキュリティ解除対象かどうかジャッジされる。
悪意あるものは侵入できない。
つまり、愛情の有無が鍵となるのだ。
人々はそれを合言葉ならぬ、「愛言葉」と呼んだ。
かつてない画期的なシステムだと注目を浴びたが、程なくして人々はそのシステムを取り外してしまった。
それまで仲良くしていた者が解除されない事態が相次ぎ、思わぬ形で互いの心の内を曝け出したのだ。
友人や親戚だけでなく、家族でさえも家に入れない者が続出したという。
『友達』
1.まず、自分の好きなものや興味のあるものを集めて粉々にし、石灰と水でよく捏ねてから、「種」を埋め込み放置します。
2.たまに話しかけたり、食べ物や飲み物を置いて様子を見ます。
3.このとき、日向に置くか日陰に置くかで陽キャと陰キャに分岐します。
4.日向に置いてから日陰で放置したり、その逆をすると、少々複雑な性格になるので要注意です。
5.形が出来て起き上がったら、名前をつけることをお勧めします。
6.はじめのうちはぎこちなくても、次第に好きなものの話で打ち解けるでしょう。
7.時には喧嘩をするかもしれません。
8.そんな時はすぐに切り捨てず、互いに歩み寄りましょう。
9.どうしても許せない、相容れない、そんなこともあるでしょう。袂を分かつのも致し方ありません。
10.ただ、同じ「友達」は二度と作れませんので、それだけはご了承ください。
(「友達の種」説明書より抜粋)
『行かないで』
私の朝はいつも同じだ。
家族を起こし、身支度をさせ、朝食を並べて送り出す。
食器を洗ってかたし、ゴミを捨て、洗濯機を回し、その間に掃除をする。
郵便バイクのエンジン音に、外へ出てポストを覗く。ダイレクトメールの類をシュレッダーにかけ、必要なものは家族ごとに振り分けて置いておく。
こういった無数の日々の小さな労働は、やることリストとして組み上がっている。その項目に頭の中で線を引いて消してゆく。
それらは私の1日のすべてを支配している。
「あなた、誰?」
不機嫌そうな小さな子が、リビングの真ん中に突っ立って、こちらをきつく睨んでいた。
どこかで見たことがあるような。
「どこから来たの?」
黙って、ただ責めるように私を見ている。
嫌な感じだ。
見ているとモヤモヤしたものが、胸に溜まっていく気がする。
その子はスタスタと私の横を通り過ぎ、洗ったばかりの洗濯物を床に落とした。
それだけではない。仕舞った皿も、仕分けた郵便物も、片づけた部屋の物も、全部床にぶちまけて、地団駄を踏むように踏みつけている。
まるで、なにもかもが気に入らないとでも言うように。
「待って、行かないで」
踵を返したその子の、特徴ある走り方。
あれは私だ。
遠い昔の小さな私。
片づけが嫌いで、何か新しいことがやりたくて、蔑ろにされるのが許せなくて、もっと自分を見てくれと、全身で叫んでいた頃の。
『やわらかな光』
ほのかに白く光る真珠を幾つか、それとカミツレの花のエキス、緑柱石の欠片、獣蝋の削り粉、匂い消しに金木犀の花粉。
薬鍋をぐるぐるかき混ぜながら窓の外に浮かぶ月を見る。
今日は1年で一番大きな満月が昇る日だ。
北方ではすでにジャック・フロストが山を下りてきたとか。
今頃はきっと少年の姿で冷えた空気を振り撒いているのだろう。年の暮れには青年の姿、春先には老いた姿となり、最後は雪解け水として消えてゆく彼を想う。
さあ、仕上げにとっておきのものを注がなくては。
火から薬鍋を下ろして、窓辺に置く。
この熱が冷める前に、1年で一番大きな満月のやわらかな光を鍋の中へ。
上手くできたら、彼にも分けてやろう。
もしも気に入って彼が居座ったら、寒波が続いてしまうけど。