『静寂に包まれた部屋』
数日前から、妙な噂が広まっていた。
近いうちに世界が終わるのだとか。
核兵器によるものか、巨大な隕石によるものか、宇宙からの侵略によるものか、そのどれでもない未知の事態が起こるのかもわからない。
そのせいなのか、今日は平日にもかかわらず休みとなった。
不思議なことに、全国一斉に学校も会社も官公庁も休みである。
理由は知らされていない。
それがまた噂の信憑性を増し、人々が戦々恐々と周囲を伺っている気配がする。
外にいてもピリついた空気に疲弊するので、部屋に籠もることにした。
喧しいのでテレビはつけない。
溜まっている未読の本でも読もうかと本棚の前に移動すると、不意に窓から指す陽射しが翳った。
空に大きな、いや、空一面を覆うほどの巨大な足の裏が、ゆっくりとこちらに振り下ろされようとしている。
皆気づいているはずだが、声を上げる者は一人としていない。
私もまた、静寂に包まれた部屋の中で、ただ呆然とそれを見ていた。
『別れ際に』
別れ際にこんなことを言うのは気が引けるけど、最後なので言わせてもらう。
ああ、いや、別れたくないとかそういう話じゃなくて。
君のその精神力に感心してる。
なんのことか解らないって顔してるね。無理もないと思う。君はまったく気づいてなかったから。
君の好きな色はなに?
君の好きな花はなに?
君の好きな曲はなに?
戸惑っているね。
昨日までは淀みなくスラスラ言えたことが、今はまるで思いつかないんだろう?
ちなみに、昨夜の電話でなにを話したか覚えている? え? 電話をした覚えがない? ああ、そうか、それも残らないようにしてたっけ。
いや、いいんだ。
これでもう、君に用はないよ。
それじゃ、サヨウナラ。
『通り雨』
「窓の外の景色におかしなモノが見えた話はしたかしら?
形はないけど対話ができる生き物や、巨大迷路と化したジャングルジムの話は?
……そう。
それじゃきっと、夜空に瞬く星ぼしから聴こえる声の話もしてないわね」
その人は、ふぅと息をつくとティーカップに口をつけた。
「大したことは何もしていないのに、日々の雑事に取り紛れて、こうしてお話する時間がなくなるのよね」
わかる。自分のためのたっぷりとした時間なんて、そうそう取れるものじゃない。
「もっと時間がほしい。もっとお金がほしい。そんなことを言い続けて、一生を終えるのかもしれないわ」
それを寂しいと思うか、そんなものだと笑うのかは、人それぞれなのだろう。
そこへ、飛び込むように男性が駆け込んできた。入口で肩を払っているのを見るに、おそらく通り雨にでも降られたのだろう。
男性は「珈琲、ホットで」と、ひとこと言うとカウンターに座った。
そしてスマートフォンを取り出して何かの遣り取りをした後、ふと気がついたように私に触れた。
「これは、なんて言う観葉植物?」
ティーカップを置き、サイフォンで珈琲を淹れ始めたあの人が答える。
「ガジュマル。精霊が宿る木ですよ」
『秋🍁』
秋の夜の静けさは、まるで恋の入口のよう。
きらめく夏の陽射しとは違い、気がつくとそこにあって、一歩踏み出せば深く深く堕ちてゆく。
あの人の部屋の明かりを確かめて、今夜もまた来てしまった、と小さく溜め息をつく。
人恋しくなる季節。
独り寝が長く感じられる夜。
スマートフォンを取り出して、あの人へと繋ぐ。
「もしもし? あたしメリーさん。今、あなたの家の前にいるの」
『大事にしたい』
「《暑さ寒さも彼岸まで》その言葉を我々は信じて今日まで耐え難きを耐えてきたのです!
それなのに、なんですか! 明日はもう彼岸の中日になろうというのに、未だ熱中症警戒アラートが発令されている! これをどうお考えなのか教えていただきたい!」
私は握った拳を机に叩きつけた。痛い。
「そう言われましても、このところの気候変動には貴方がた人類が大きく関わっているのではありませんかな。その責をこちらに押し付けないで頂きたい」
彼岸(秋)がヒンヤリとした目つきでこちらを睨む。その冷気を環境に還元してくれ。
「我々は約500万年前から存在している。だが、高温化はここ十数年での急激なものだ。我々だけが原因ではあるまい」
睨み合うばかりで、先程から話し合いは遅々として進まない。
「まあまあ、私共彼岸の期間は7日間あるわけですから、彼岸明けまで様子を見るということで如何でしょうか」
彼岸(春)がのんびりした口調で言う。
「お前はいいよな、酷暑に比べれば命の危機を感じさせるほどの気温ではないのだから」
拗ねた口調で彼岸(秋)が言うのは気安さからか。
この辺りが治めどころであろう。
「分かりました。それでは彼岸明けまで様子を見ることにします」
私の言葉に場の空気がほっと緩む。
「しかしながら、私たち日本人が金科玉条の如く毎年口にしてきた言葉《暑さ寒さも彼岸まで》は、大事にしたいのです」
よろしくお願いします、と彼らに頭を下げた。