『通り雨』
「窓の外の景色におかしなモノが見えた話はしたかしら?
形はないけど対話ができる生き物や、巨大迷路と化したジャングルジムの話は?
……そう。
それじゃきっと、夜空に瞬く星ぼしから聴こえる声の話もしてないわね」
その人は、ふぅと息をつくとティーカップに口をつけた。
「大したことは何もしていないのに、日々の雑事に取り紛れて、こうしてお話する時間がなくなるのよね」
わかる。自分のためのたっぷりとした時間なんて、そうそう取れるものじゃない。
「もっと時間がほしい。もっとお金がほしい。そんなことを言い続けて、一生を終えるのかもしれないわ」
それを寂しいと思うか、そんなものだと笑うのかは、人それぞれなのだろう。
そこへ、飛び込むように男性が駆け込んできた。入口で肩を払っているのを見るに、おそらく通り雨にでも降られたのだろう。
男性は「珈琲、ホットで」と、ひとこと言うとカウンターに座った。
そしてスマートフォンを取り出して何かの遣り取りをした後、ふと気がついたように私に触れた。
「これは、なんて言う観葉植物?」
ティーカップを置き、サイフォンで珈琲を淹れ始めたあの人が答える。
「ガジュマル。精霊が宿る木ですよ」
『秋🍁』
秋の夜の静けさは、まるで恋の入口のよう。
きらめく夏の陽射しとは違い、気がつくとそこにあって、一歩踏み出せば深く深く堕ちてゆく。
あの人の部屋の明かりを確かめて、今夜もまた来てしまった、と小さく溜め息をつく。
人恋しくなる季節。
独り寝が長く感じられる夜。
スマートフォンを取り出して、あの人へと繋ぐ。
「もしもし? あたしメリーさん。今、あなたの家の前にいるの」
『大事にしたい』
「《暑さ寒さも彼岸まで》その言葉を我々は信じて今日まで耐え難きを耐えてきたのです!
それなのに、なんですか! 明日はもう彼岸の中日になろうというのに、未だ熱中症警戒アラートが発令されている! これをどうお考えなのか教えていただきたい!」
私は握った拳を机に叩きつけた。痛い。
「そう言われましても、このところの気候変動には貴方がた人類が大きく関わっているのではありませんかな。その責をこちらに押し付けないで頂きたい」
彼岸(秋)がヒンヤリとした目つきでこちらを睨む。その冷気を環境に還元してくれ。
「我々は約500万年前から存在している。だが、高温化はここ十数年での急激なものだ。我々だけが原因ではあるまい」
睨み合うばかりで、先程から話し合いは遅々として進まない。
「まあまあ、私共彼岸の期間は7日間あるわけですから、彼岸明けまで様子を見るということで如何でしょうか」
彼岸(春)がのんびりした口調で言う。
「お前はいいよな、酷暑に比べれば命の危機を感じさせるほどの気温ではないのだから」
拗ねた口調で彼岸(秋)が言うのは気安さからか。
この辺りが治めどころであろう。
「分かりました。それでは彼岸明けまで様子を見ることにします」
私の言葉に場の空気がほっと緩む。
「しかしながら、私たち日本人が金科玉条の如く毎年口にしてきた言葉《暑さ寒さも彼岸まで》は、大事にしたいのです」
よろしくお願いします、と彼らに頭を下げた。
『夜景』
「そこには綺麗な花畑が広がっていて、なぜか懐かしい気持ちになりました」
うっとりとどこか遠くを見るように、その人は言う。
私は返事をせず、夕飯を並べる手を止めない。
窓の外に広がるのは、湿度でうっすらと靄がかった夏の夜景だ。雑居ビルの隙間に薄汚れた路地裏が見える。花畑など、どこにもない。
「はじめはね、腹が立っていたんですよ。蝋燭を渡したくらいで、こんなことになるなんて思わないじゃないですか」
もう一度窓を見る。
夜景の手前、照明が反射して硝子に映し出された室内は、私の他に誰もいない。
「でも、あんなに綺麗な花畑を見せられたら、怒る気も失せてしまって」
私は返事をせずに夕飯を食べ始めた。
『命が燃え尽きるまで』
どうも、おばんでござんす。
Y君からのLINEで召喚されまして。ええ、こちらに伺うようにと。
なんですか、命が燃え尽きるまでを見届けたいとか。ははぁ、よくわかりませんが、つまりは誰かの死に目に立ち会いたいと、そういうわけですかな?
ちなみに『死神』はご存知ですかね? ええ、そちらもですけど、落語の演目のほうの。人間の命の火を灯す蝋燭を交換する話なんですけどね。
あぁ、あそこの蝋燭、ええとアロマなんとかのやつですかな、太くて立派なもんですな。それにちっとばかし火を点けてこっちにいただけますかな、ええ、そう、そんな感じで。
この立派な蝋燭がアナタ様の命の灯火だとして、それをこの小さくて細い蝋燭、たまたまアタシが持ち合わせてたヤツなんてすが、ええ、これね、仏壇なんかの燈明に使う、中でも一番小さくて細い、女性の小指ほどもないやつなんですけどね、これにその灯火を、こう、こうして移し替えると。
さあ、これで終いです。
どうです? これ、この灯火が消えた時がアナタ様の命が尽きる時ですな。
え? 冗談なんかじゃありませんよ。こっちだってそんなに暇じゃありません。はあ、なにをそんなに怒ってるんですかな。命の燃え尽きるまでを見届けたかったのでしょう?
いいですか、冥土の土産にお教えしますが、自ら火を点けた蝋燭を死神に差し出すなんて、そんなこと、お巫山戯や冗談でもやっちゃいけませんよ。
最初に申し上げましたでしょ?
アタシは召喚されたのだと。