別れ際に
たぶん、もう会わない。今日の、いまのこの時間がふたりの最後の時間。前からずっとそんな気配がしていた。
まだ隣りにいるのに、もうポッカリと胸に穴が空いている。
彼女のほうから口を開いた。
じゃあ、ここで。
ああ。
……さよなら。
さよなら。
男らしく、礼儀正しく言ったつもりだ。でもそんなものは胸の穴には無意味のようだった。
さよなら、の前の、彼女のわずかな沈黙。
別れ際に彼女が残した、そのわずかな沈黙が、ずっと頭を離れない。
通り雨
普段なら駅から病院まで歩いていく。けど今日は、運悪く雨。健康のために歩かなければならないが仕方ない、と自分に言い聞かせて、地下鉄に乗り換える。これで10分ぐらい早く着く。
改札を出ると……。
なんとまあ、鮮やかな秋の青空。建物に残る雫に朝日が反射する。きらきらの町。
通り雨だったのか。
通院の憂鬱が、半分ぐらい消えてくれた。
異常なし。エコー検査も経過良好。前みたいに勝手にお薬やめないでね、と医師に釘を差されながらも、ほっと胸をなでおろしてエントランスへ。
っと、雨、か。また通り雨かも。でも、まあ……。
近くのコンビニでビニール傘を買い、隣の薬局で処方薬を買った。駅へ歩く。
アイム スィン ギィンザ レイン
ジャスト スィン ギィンザ レイン
傘をさして歩きながら、小さく口ずさむ。
すれ違う人に聞かれないようにしないと。いや、聞かれてもいいか。
治療が終わるまで、いつもこんな帰り道ならいいな。
秋
ふたりでよく歩いた 映画館への道。
数日会わなかっただけなのに、街路樹はあっという間に紅に変わってしまった。
たったそれだけのことなのに、少し不安になる。
ひとり、いつもの場所で待っていた。
すみません、これ、落としませんでしたか? 後ろから声をかけられた。
いえ、私のじゃな……。
振り返ると彼が立っていた。チケットを2枚持って。
そうですか。でもよかったら一緒に見ませんか。ちょうど2枚ある。
視線が合うと、お互い笑顔になった。
ナンパですか。
ええまあ。 後ろ姿に惹かれて。
それはそれは。
なんてことない会話が温かい。芽吹いた不安も溶けていく。
窓から見える景色
トリミング、という技法があります。これは、見える全体を描くのではなく、その一部を拡大して描くことで、描きたいものを強調することができるのです。
例えば、クロード・モネの、《日傘をさす女》という作品があります。中央に傘をさす女、モネの妻と言われていますね。背景は白い雲のある空と、草原。つまり、屋外ですね。
当たり前ですが、実際には空と大地の方が圧倒的に大きいです。ですがこの絵の主役は明らかに女であり、空や草原ではありません。
なので、背景の美しい空と草原は大胆にトリミング、つまり切り捨てられています。そうすることで、主役である日傘の女の存在感が際立っているわけです。
……起きなさい、鈴木くん。まだ授業は終わってませんよ。佐藤さん、起こしてあげてください。
どこまで話したかな。ええっと、そうです。つまりですね、トリミングされたものは、強調されて見える、印象が強くなる、ということなんですね。
先生。
はい、渡辺くんどうしましたか?
それが何なんすか?
はい、いまから言いますよ。皆さん、窓を御覧なさい。じゃあ田中さん、何が見えますか。
え?ええっと。体育館と校庭。あとは、フェンス。その向こう側のコンビニとガソリンスタンド。あとは近所の家。です。
そうですね。どう思います?それ?
どうって、まあ普通?
うむ。山本くんはどう思う?
同じです。というか、ありきたりというか、ごくありふれた景色だと思います。
他の皆さんも同じ意見かな?……うんうん、
そうかもしれませんね。
そこでです。窓というものを見てみて下さい。よく考えてみると、景色をトリミングしてると言えませんか?景色は無限に続くのに、窓枠に切り取られている。そして見えるものは、ありふれた普通の景色。
つまり皆さんは、普通のものを、強調されて見ているわけです。いいですか、普通、ですよ。それを毎日、毎日、見ているわけです。
何が言いたいかというと、これからの長い人生、同じ窓ばかり見ていてはいけませんよ、ということです。ぜひいろんな窓を見て下さい。
窓がトリミングして見せるものは、とても強力な力を持っています。ありきたりのものばかりを見ていては、自分の人生もありきたりのものだ、と無意識に思い込んでしまいます。
だから、いろんな所に行ってみてください。いろんな窓を覗いてみて下さい。それがきっと、人生に豊かな拡がりをもたらしてくれるはずです。
キーンコーンカーンコーン。
おっと、時間ですね。それでは皆さん、私の最後の授業に参加してくれてありがとう。皆さんもこれから、それぞれ新しいステージで頑張って下さい。あっ、鈴木くん、起きた?鈴木くんも頑張って下さい。では。
形のないもの
1番最初の誕生日は? 悩みがあるという友人に、ラーメン屋で訊いてみた。
確か、コンビニのパン。
パン?いつの話?
中学生の時。
ふむ。次は?
CD。高1の時。
次は?
高2。キャップ。6千円の。次は高3。ペアリング。
へぇ、高校生でペアリングか。次は?
ブレスレット。その次はピアス。その次はコンサートのチケット。SS席の。
あとは?
旅行。国内。海外。
ふむ。なんというか、すごいというか、順調というか。
僕の素朴な反応を見ると、友人は頭を抱えて、
うわあ〜、やっぱりお前でもだめかー と、大絶叫した。
し、静かにしろよ。周りの客に迷惑だろ。何だよ、何をそんなに悩むことがあるんだよ。
だってもう、エリちゃんへの愛をどう形にしていいか、全然わからないんだー。
……。手編みのセーターとかいいんじゃないか……。
友人は、はっと頭を上げ僕の手を握った。
そうか!それがあったか。よし、さっそく毛糸を買いに行こう。特上の毛糸をな。お前も一緒に来てくれ。いやー、やっぱり親友は頼りになるなあ。
……どういたしまして。あ、お姉さん、すいません、追加で餃子お願いします。……お前の奢りな。
せめてこのぐらいは食わなきゃやってられん。