夜景
ベランダでキャンバスと向き合う。
夜のビル群。都会は好きじゃないけど、この景色の美しさは認めざるを得ない。
楽しそうに描くのね。 ワインを片手に彼女が言った。
楽しい。
どんなところが?
例えば、窓明かり。
窓明かり?
うん。あの最新のビルのあの部屋で、どんなかっこいい仕事してるのかなとか、光がない部屋は、今日は残業の人はいないのかな、とか考えるのが楽しい。
ふうん。どれもおんなじ光に見えるけど。
夢がないねえ。でも……。
でも?
みんな絶対に違うよ。みんなそれぞれ特別の光。そう思うと、都会にいる時の時間がただ流れるだけじゃなくて、何かの意味があるって思える。
あなたって、なんだか小難しいことばっかり考えるのね。
変?
かもね。でも嫌いじゃないわ。 そばのランタンを揺らしながら彼女が言った。
この光も特別?
そう。特別。
どんな特別?
僕がいて、君がいる。そういう特別。
なるほど。
ふふっと彼女は笑った。それから部屋から椅子を持ってきて側に座った。その日の夜景を描き終わるのを、ワインに酔いながら静かに待ってくれた。
花畑
赤、ピンク、白、青、紫、オレンジ、黄色。
色あざやかな花畑。
家族旅行かカップルのデートか、理由はそれぞれ。でもおんなじなのは、訪れた人はみんな、鮮やかさに目を奪われている、というこ
と。
そんな中。
花たちの間を、小さな影が蠢く。
時に悠然と闊歩し、時に猛烈に走り出す。
赤、ピンク、白、青、紫、オレンジ、黄色。
そんなこと知ったことか。光り輝く色たちの間を、したり顔の黒猫が進んでいく。
おい、黒猫。お前は花を観ないのか?
僕が小声でささやくと、
にゃ、と小さく鳴いて一瞥し、その場で寝そべってしまった。
ここにいるってことは、花が好きなのか、それとも、まったく意に介さず、ということなのか。
百花繚乱、千紫万紅の中の、一匹の黒猫。
周りに流されない強さ。埋れない強さ。
お前はすごいな。 そう言って僕は彼の頭を撫でた。
空が泣く
自分が薄情とも思わないけど、でもちょっとそう思う時もある。
ロシア・ウクライナ戦争が始まった当初、悲惨な映像を見て胸が痛んだ。ユーチューブで偶然見つけた、昔の反戦の歌を聞いて涙が出てきた。
でもいまは、そんなこともなくなってしまった。長期間だから慣れてしまった。ひどいヤツだな。
言い訳するつもりじゃ無いけど、おんなじような人、たぶんいると思う。
僕はもう泣けない。代わりに空が泣く。
空が泣いたら、忘れちゃダメだというサイン。
そういうことにする。
君からのLINE
こんばんは。 何事かと思った。夜中、彼女からのLINE。とりあえず返信。
LINE苦手って言ってなかったっけ。
うん。ちょっといろいろあって、話したくて。でも寝てたら悪いからLINEにしてみた。
ああ、そう。なに?大丈夫?
それがさ、空き巣に入られた。
ええー。大丈夫?
うん。
何か取られた?お金とか。
お金は置いてないから大丈夫だったけど。
けど?
冷蔵庫のプリンがなくなってた。
……。
ちょっと。既読ついてますけど?
……。
電話の着信が来た。僕は恐る恐る出た。
やっぱりお前かー。 夜中とは思えない大声だった。
ごめん、昼間行ったら見つけたから。
楽しみにしてたのにー。1日の最後、プリンがあると思ってバイト頑張ったのにー。
ちょっと声大きいよ。夜中だから。LINEにしよ、ね。
わかった。 ブチッと通話が切れた。
そこから延々と、怒りと謝罪のメッセージが繰り返された。
LINEが苦手って言ってたけど、とてもそうは思えない速さで返事が来る。
でもLINEでまだ良かったなぁ。目の前だったらと思うと……。
とにかく明日、謝りに行こう。特製の極上の限定の、無添加無着色の、匠の技が光る、全米ナンバーワンのプリンを持って。
2個、いや、10個持って行こう。
命が燃え尽きるまで
グッド・ウィル・ハンティングのウィルハンティングみたいな、数学の天才には僕はなれない。だって中学の数学の先生の教え方が下手だったから。
スーパーマンにもなれない。だってもう電話ボックス自体がほとんどないから変身できないし。
ダーティハリーのハリーにもなれない。だって44マグナムなんて、破壊力が強すぎて、刑事の銃としてはどうなの?って感じだから。
だから、映画みたいなドラマチックな日々が訪れないのは、周りのせい。全然僕のせいじゃない。
……命が燃え尽きるまで、こんなふうに思い続けるわけにはいかない。
だから、物語を書こうと決めた。決めたんだ。
誰のためでもなく、誰かのせいにするつもりもなく。
ただ、自分の命が燃え上がるために、と。