空模様
今の時代、たった数秒でどこの天気も知ることができる。北海道だろうが沖縄だろうが。
それがいいことなのかどうかは、わからないけど。
卒業してから3ヶ月が経つ。
月に1度、第3日曜日。どちらからともなくメッセージを送り合っている。
晴れ。そっちはどうだ?
雨だよ。これから傘さして美容院。じゃ行ってくる。
4ヶ月目のメッセージ。
今月も晴れ。そっちは?
雨。
またか。大変だな。
いつも通り、他愛ないやりとり。
スマホをおいて、コーヒー片手にテレビをつける。
……あれ? ニュースで向こうも晴れって言ってるけど。
ネットで調べると、やっぱり晴れだった。
まさかと思い、先月、先々月の第3日曜日を調べてみると、送られてきた天気とは逆の天気だった。
ルール違反、ということでもないが、初めて月に2回目のメッセージを送る。
なあ、雨なのか。ニュースで晴れって言ってるけど。
しばらくして。
……バレたか。
なんだ?
だって最初に逆に言ったとき、あっさりと信じたから。面白くなっちゃって。いつ、気づくかなと……。
何だよそれは。
ごめんね。あと、それから、賭けをしてたの。
賭け?
そう。もし、半年経っても気付かなかったら、言わずにおこうって。忘れようって。でも4ヶ月目で気づいてくれたから言うね。好きだったの。高校の時。
突然の内容に固まった。でも急いで返した。
俺もだ。
良かった。……ええっと、どうしよ。
何と返していいか、こっちもまだ頭が整理できない。
でも次は俺の番だ。
来月も、逆の天気を言うつもりか?
ん?さあ、どうでしょう。
まあ、どっちでもいい。そっちに確かめに行く。
……うん。待ってる。
鏡
気に入らない日だった。
帰宅して顔を洗う。汗は消えても、不快な気持ちは微塵も消えなかった。
不機嫌な顔。洗面台の鏡に見慣れた顔が映っている。左右だけでなく、中身までも反対に写してくれたなら、さぞかし爽快な顔だったろうに。
憤懣を抑えきれず、鏡にドライヤーを投げつけた。イメージよりも小さな衝撃音だった。
散らばる破片。そのどれにも、さっきの不機嫌な顔が写っている。
暴れたところで何も無い。しかめっ面が増えただけ。
疲れ切った体で破片を拾い始めた。
そんな顔で見るなよ。 俺は鏡の中の愚か者に言った。
そもそも、俺は悪くない。悪いのはあいつだ。いつもあいつが悪い。
あいつさえ……、あいつさえ居なければ……。
4つ目の破片に手を伸ばしたとき、写っている顔が歪んでいるのに気付いた。今まで見たことのない笑み。悪意の笑み。
ちょうど、あいつを消すすべを思いついたときだった……。
いつまでも捨てられないもの
0325。
携帯電話を持ち始めたのは高校生の時だ。そこからしばらくして、スマホになったわけだが。
携帯電話の時はそこまで多くなかったが、スマホになってからは、認証の機会が圧倒的に増えた。
3月25日。初スマホに変えた当時の、彼女の誕生日。付き合ってくれと言うと、いいよ、と答えてくれた。
その日に暗証番号を0325に変えた。
あれからかなりの時間が過ぎた。
あの人はどうしているのだろうか。もう顔もはっきりとは思い出せない。
暗証番号を変えないのは、別に未練があるわけではない。忘れっぽい僕は、アレもコレも0325にしていた。要するに変えるのが面倒で……。
けど、今日を機会に新しいものに変えてみようと思う。
いや、変えるって言葉じゃ甘いな。捨てよう。0325をきっぱりと捨てよう。ふつう、暗証番号は『捨てる』とは言わないんだろうけど。
でも捨てます。捨ててみせます。めんどくさがり屋の僕の何かが、変わるきっかけになればいいな。
『捨てる』という言葉に、ちょっとだけ期待を乗せてみた、夏の朝。
追記。
台風一過、朝日ますます燦々と輝く。
閉め切っていた窓を開け、空気を入れ替える。絶好の掃除日和なり。
ホコリを払い、要らない本、要らない服、要らない暗証番号を捨てる所存で御座候。
皆々様に置かれましても、良き朝日であらんことをお祈りして、残暑見舞いとさせていただきます。
誇らしさ
これ、どうしたの。 一緒に風呂に入ったじいちゃんの、背中の傷跡をみて訊いた。
子供の頃、ちょっと怪我したんだ。 言ったのはそれだけだった。少し悲しそうな感じがしたので、それ以上は訊かなかった。
次の日。傷のことをばあちゃんに訊いた。
あれはね、兵隊の時の傷だよ、と言った。
かなりの大怪我だったらしい。
それでも死ななかったからね。帰ってきたからね。 ばあちゃんはしみじみと言った。
あんまり訊かないでやってな、と付け加えて。
ひどい記憶だから、思い出したくないんだろうな、とその時は思った。
僕の祖父母世代は、戦争の世代だった。当時のことを孫に話す人もまだ多かった。
でも思い返してみると、それまで僕は自分の祖父から、戦争の話をまったく聞いたことはなかった。
あとになって思ったのだが、戦争の悲惨な話を聞かせて、僕を怖がらせたくなかったのではないかと思った。
そう考えるようになってからは、なんとも言えない不思議な誇らしさを、自分のことのように感じながら、じいちゃんの背中を流した。
夜の海
山育ちの人間が海を見ると、なんと広いんだと開放的になる。それこそ、小さな悩みはまさに小さな悩みなのだと思わせてくれる。
ただ、それは昼の海の話。
静かな夜の海に来ると、その小さな悩みが視界の全てに広がっていくように思える。人も光も遮るものがなく、ただ広がっていく。気分転換にと浜辺を歩いても、いつの間にか悩みのことで頭がいっぱいになっている。
何を悩んでいるの? 並んで歩く彼女の言葉。
夜の海は悩みをとめどなく広げていく。でも、彼女のなんてことのないその言葉が、それを遮ってくれた。
なにも。
うそ。
うん。でもいいんだ。今日は悩むのは終わり。明日にする。
そう。 彼女が腕を絡める。
ねえ、どこまで歩くの?
そうだな。あそこの堤防まで。そしたら戻ろう。
ちょっと遠くない?
いや?
ううん、いいよ。
季節が進んで夜風に涼しさを感じるようになってきた。彼女の手の温もりが、心地よくて優しい。