イオリ

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6/30/2024, 10:11:18 PM

赤い糸

 学生の時から使っている鞄。ところどころ傷みはあるが、まだまだ十分使える。大事な相棒だ。

 朝。ファスナーを開いて準備する。

 万年筆。手帳。ハンカチ。

 水筒。文庫本。

 ナイフ、はいらないな。

 涙、も置いていこう。

 
 鞄を閉じ靴を履いた。

 今度こそ、赤い糸を見つけられるようにと願いながら扉を開く。

 ナイフなんかじゃなく、自分の手でまやかしの糸を切り裂いて。

 大丈夫。自分ならできる。

 涙は置いてきた。もう見間違えることはない。
 
 
  
 
 

6/29/2024, 11:13:44 PM

入道雲

 部活からの帰り道。偶然会った7つ年下のそろばん塾帰りの弟とふたり、自転車を漕いで帰宅中。

 中学校の裏山の上に、モクモク、モクモク、白い雲。

 兄ちゃん、あの雲、めっちゃでかい。

 早く帰るぞ。雨降るから。

 なんでわかるの?
 
 あれはそういう雲なんだよ。雷も鳴るぞ。

 えぇ~。 スピードを上げた僕に必死でついてくる弟。

 なぁ、兄ちゃん。

 なんだ。

 ポンデリング食べたい。

 ポンデリング?なんで。

 なんとなく。

 んん、と少し考えて、

 じゃあそこのコンビニで買う。

 だめ。

 なんで。

 そこのポンデリング、白じゃない。

 いいだろ、白じゃなくても。

 ヤダ。白いポンデリング食べたい。

 なんでだよ。

 なんとなく。

 またも、んん、と考えて、

 じゃあミスドまで行くか。

 うん。 弟はスピードを上げ、隣に並んでくる。

 ほら、危ないから横来るなよ。後ろにいろよ。

 うん。 弟が素直に下がっていく。

 お母さんには内緒だからな。

 うん。

 頭の中で財布の中身を確認する。千円札があったはず。大丈夫だろう。

 なぁ兄ちゃん。

 なんだ。

 じいちゃんにも買ってく?

 だめだって。お母さんにばれるだろ。

 あ、そっか。

  
 全く。手間のかかる弟め。と心のなかで独り言ち。とは言うものの、ついつい甘やかしてしまう、年の離れた弟よ。

 そんな夏の日。

 
 

6/28/2024, 11:33:56 PM



 夏ももう終わりね。 

 いや、これからです。 まぁた何か始まったよ、と思いながら、年上の彼女に返答した。6月末の夜。

 今年の夏もいろいろなところへ行ったわね。

 今年の夏はこれからなんだけどね。

 やっぱり海は良かったね。人が多かったけど、それも夏って感じで。ひと夏に一回は海行かないとね。

 はあ、そうですか。

 あとは、キャンプね。初心者だからテントじゃなくてコテージ借りて正解だったね。お風呂も冷房もついてたし。

 はあ、コテージですか。

 あと、滝ね。近づくと細かい水しぶきがかかるのよね。マイナスイオン浴びてるって感じで最高だったね。

 はあ、マイナスイオン。

 そうそう、その帰りに食べたあそこの有名なステーキ、美味しかったね。デザートのシフォンケーキもふんわりしてて、とろけちゃうんだよね。

 はあ、ステーキとシフォンケーキ。

 本当に、今年の夏は最高だったね。 彼女がこちらに笑顔を向けた。


 ええっと、ですね。 僕は一度咳払いをしてから切り出した。

 スケジュール的に、海かキャンプ、どちらか1つにしてもらえると助かります。もしキャンプの場合は、コテージではなく、ロッジ、もしくはバンガローを検討してもらえると、予算的にもありがたいです。

 次に、滝帰りのステーキ&シフォンケーキなんですが、マイナスイオンは家のドライヤーからも出ますので、そちらでお願いします。

 ステーキは、再来月に隣町にステーキ店がオープンするらしいので、そのクーポン取得まで待ってください。

 以上、よろしくお願いします。  

 ……シフォンケーキは?

 ええっと。これから材料を買ってきて作ります。

 作れるの?

 さあ。だから、手伝ってくれると助かります。

 ……うん、手伝う。

 
 身支度を整えて、外に出た。前日の雨の余韻を含んだしっとりとした空気。夏の始まりの空気。

 日差しが強い。うっすらと汗ばむ暑さだが、彼女の方から近づいて手を繋いできた。

 やっぱりさ、どこにも行かなくていいからどっか行こ?

 なにそれ。どういうこと?

 ずうっと車で走るの。どこにも止まんないで、ずうっと走るだけ。

 走るだけ?

 走るだけ。

 それだけ?

 それだけ。

 それなら……。

 それなら?

 ステーキぐらいならいいよ。今日だけ。

 よし。言ったね、約束ね。作戦成功。 彼女がニンマリと笑う。

 
 やれやれ。
 

6/27/2024, 12:05:20 PM

ここではないどこか

 体の脆さは受け容れよう。あきらめた。ここに置いたままで。

 けど心の弱さは、同じようには割り切れない。

 もし臓器移植みたいに体の中から心の弱さを取りだせたら、風船にでも詰め込んで、どこか遠くへ飛ばしてしまいたい。

 僕の心はほとんど弱さでできてるから、空っぽの心になってしまうけど。僕が僕でなくなるだろうけど。それでもいい。

 代わりに何を入れようかな。やっぱり強い心かな。

 両親にありがとうと自然に言える強さ。

 素敵だと思ったものを素敵だと言える強さ。

 いつも前を向く強さ。

 好きです、と伝える強さ。

 今思いつくのはこんなとこかな。


 あれ?書きながら思ったけど、こういうのって、少し頑張ればできそうな気がする。

 まだ弱い心を取り出してないのに。風船に詰め込んでないのに。

 
 僕の心は弱い、それは確実なはずなんだけど。でも、もしかしたらほんの少し、そうじゃないのかも。

 
 もう少し、もう少しだけ、この体にこの心があるのを許してやろう。
 

 

6/26/2024, 10:41:05 PM

君と最後に会った日

 成人式で久々に集まった。

 式が終わったあと、旧友十数人で食事会を開いた。

 姿は確認していた。ただタイミングが見つからず、なかなか声をかけられずにいた。結局そのまま、食事会は終わった。

 二次会でカラオケに行く、という事になった。目をやると、彼女は参加せずに帰るようだった。友人が行くぞ、と言ってきたが、不参加を伝えた。

 帰宅者がバラけそうになったのを見計らって声をかけた。

 なあ。

 なに。 彼女が振り返った。表情に驚きはない。こちらが声をかけるのを予想していたのだろう。

 久しぶりだな。

 うん。

 カラオケ行かないのか。

 行かない。明日早いから。行くの?

 いや。 

 そう。それで?なにかあるの?

 彼女の冷静な声に戸惑ったが、それでも目的だけは果たしたかった。

 これ、返すよ。 ポケットからピアスを取り出した。

 まだ持ってたの?

 ああ。本当は、最後の日に、卒業式の次の日だっけ、あのとき返そうと思ったんだけど、出来なかったから。

 ふうん、と言いながら彼女は受け取った。

 今さら返されてもさ、贈ったものなんだし。

 でもそういうの初めて貰ったから。アクセサリー。どうすればいいかわかんなくて。

 そう。 彼女はこちらをじっと見つめたあと、近くの排水溝に投げ捨てた。

 驚きの声が出る前に彼女が、

 あんたさ、生真面目過ぎ。だから悪い女に引っ掛かるのよ。 と言った。

 もっとさ、気楽にしなよ。まだ若いんだし。

 偉そうに。同じ歳だろ。

 そっか。そうだった。 彼女が笑った。今日初めてみた笑顔だった。

 じゃあ帰るね。

 ああ。

 カラオケ行ったら?たぶんみんな待ってるよ。あんたの音痴なミスチル。

 うるさいよ。 こちらも笑顔が出た。何かがすっと消えて軽くなった気がする。

 じゃあな。 

 うん。さよなら。お互い振り返った。

 駆け足で友人達を追いかけた。

 

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