あなたがいたから
観劇に来た。全く興味がない演目だったけど。行くよ、と言うから。年上の彼女が。
歴史あるというか、趣があるというか。少なくとも最新のホールではなかった。座席も少し古いタイプで。
ただ彼女の方はそんなこと全く意に介さず、幕が開く直前まで、ストーリーや役者の説明を爛々と僕にしてくる。うん、うん、と反応を絞り出す僕。
やがて照明が落ちていく。いよいよか、と前を向き直して驚いた。
前席にチェ・ホンマン級の大男が座っている。全て、とは言わないが、僕の視界の半分近くを侵食していた。これは……。
よし。決めた。完全に決意が固まった。
寝よう。3時間。静かに。
だって見えないから。しょうがないじゃん。もともと興味もなかったし。
僕は自分の決意の正当性を胸に、目を閉じて意識を闇に同化させていく。
っとその前に。
手を伸ばし彼女の手を握る。彼女もそっと握り返してくれた。
なんとなくいつもよりも温かく、近く感じた。近いというより、握った手が溶け合って1つになっていくような。不思議な感じ。暗闇のせいかな。
劇は見えないけど(もともと全く興味がなかったけど)、彼女は楽しそうだからまあいいか。
それから、チェ・ホンマンのおかげだな。あなたがいてくれたから、僕はぐっすり眠れるし、彼女の手は温かいし。
ありがとうチェ・ホンマン。ではおやすみなさい。
相合い傘
イギリスのデイヴィッド・キャメロン外相が、パレスチナを正式に承認する時期を前倒しする可能性があると示唆したらしい。
また、新しいパレスチナ当局を立ち上げ、パレスチナ人に政治的地平を与え、不可逆的な進展を示すことで、イスラエル人とパレスチナ人が異なる国家で共存する、二国家解決の実現が見えてくる、と。
キャメロン氏の発言が、英国の正式な政策になるかどうかはわからないが、もしそうなれば、近年、中東政策から存在感が皆無だった英国にとっては、国際的なリーダーシップの回復に寄与することは間違いないだろう。
とは言うものの、国家という線を引いたところで、両者の争いが完全に終結するわけでもない。まだまだ長い年月が必要となるだろう。結局は、民族や宗教や国家、よりも、隣人と挨拶しよう、握手しよう、というシンプルな感情が最後の鍵になる、はず。だって人間だからね。
風船に手を伸ばす少女。イスラエルとパレスチナ自治区を分断する分離壁に描かれた。
もしまた戦火が切られたら、血の雨に濡れぬよう、壁の少女を傘の中に入れてあげたい。
落下
3階のベランダに出て委員長が出てくるのを待った。
才色兼備の委員長は、小さい子供の頃から雨粒のように告白を浴びてきた。それらを完全拒絶するために、いつしか半天球のバリアを構築した。以来、彼女に告白しようとする者はいない。
だが、それも昨日までの話。
間もなくして、委員長の姿が現れた。歩く姿も可憐だ。
僕は用意していた1輪の薔薇を手に、意を決して飛び降りた。
僕ひとりの力じゃ無理でも、落下の勢いを利用すれば。あの無敵バリアも破れるはず。
真っ逆さまに落ちていく。体で落下の速さを感じたが、逆に意識の方はスローモーションになった気がした。輝く黒髪、上品な後ろ姿。はっきりと見える。もちろんバリアも。
拳を握り力を込める。絶対に破ってみせる。
スーパーパンチ。赤く輝く拳がバリアに届く寸前、もう一方の手で持っていた薔薇の花びらが、空気抵抗に耐えられず散り散りに飛んでいってしまった。
あっ、と花びらに気を取られて、ヒッティングポイントがずれてしまい、拳はバリアの球面を舐めて終わってしまった。
僕は勢いのままバリアに激突。その場で気を失ってしまった。
委員長はそんなことなど露知らず、優雅な足取りで離れていく。
あーあ、薔薇は余計だったな。次は箱入りのドーナツにしよう。これなら大丈夫。
未来
建物はどこか丸みを帯びていて、自動車は地面と空中を走っていて、ロボットが友達になっていて。
大人になったら、そんなドラえもんのような時代になっているのかと思っていたが、残念ながらもう少し時間がかかるらしい。
少なくとも、車の自動運転ぐらいは実用化していて欲しかったな。高齢の両親が、いつまでも外出を楽しめるように。
閑話休題。
近く都知事選があるそうだ。都民ではないので投票はできないが、もし自分なら誰に入れるかな、とここ最近毎日考えている。
東京はやっぱり特別だなと思う。他と比べて、人の流動が激しい。今回投票しても、次の都知事選にはもう別のところへ引っ越ししている、という人も多い。こうなると、自分の一票が軽く感じられる人もいるのかもしれない。じゃあ投票行かなくてもいいか、と考えるかもしれない。
そうなると候補者は、長期的な公約よりも、極めて近い未来の公約を出さざるをえない。敢えて悪く言うと、近視眼的な、という感じかな。
東京の街は、お世辞にも美しいとは思えない。なにより、狭すぎる。密集しすぎている。場当たり的な都市計画の末路。僕はそれが耐えられず、東京を離れた。
長期的な展望を掲げつつ、超短期的なシンボルで関心を集める。ともすれば相反するこの2つの地図を、バランス良く広げられるかどうか。候補者の手腕と覚悟に注目したい。
閑話休題。
部屋にある小さな地球儀をクルッと回してみた。確か、北極星から見て反時計回りだったな。1周、2周、3周……。よし。僕の地球は未来を先取りしているぞ。
1年前
高校は電車通学だった。田舎の路線だったので、3ヶ月もすれば、同じ時間の客の顔もなんとなく覚え始めた。
一目惚れ。3人組の女の子のひとり。いつも真ん中に座っている。制服から、隣の女子高のひとだとわかった。
電車通学に慣れ始めた僕は、もう一本あとの電車でもいいかな、と思い始めていたが、彼女見たさに、その電車に乗り続けた。
1年経って。
特になにも変らない。遠くから彼女の笑顔を眺めるだけ。帰りの電車が一緒になることもあったが、だからと言って何もなし。
1年前の自分と何も変わってないのではないか。恋だけでなくその他の全ても。
そんなふうに思ったあの頃。それもまた青春だよね。