イオリ

Open App
6/15/2024, 11:04:08 PM

好きな本

 あれ?本、どうしたの。  無空間になった本棚を見て、年上の彼女が言った。

 全部売った。さすがにスペースが厳しくて。完全電子書籍男になりました。

 そう。まあスッキリしていいんじゃない。本棚も片付けるの?

 悩み中。

 何を。

 処分するかプラモデル飾るか。

 プラモデル飾るのも本飾るのも一緒じゃない。処分すれば?

 
 本を飾るって……。どちらにも興味の無い彼女には、どちらも同じに見えるらしい。
 
 だいたい、このプラモデルも限定品だぞ。たった一隻で宇宙を突き進む船。なんと美しい。

 まったく、男のロマンがわからん奴め、とは言えず、

 うん、処分する、と答えた。


 でもさ、そうなると、もうあなたに本のプレゼントはできないね。残念。

 ああ、そうかもね。まあ時代の流れというやつさ。

 時代ねえ。じゃあ次のプレゼントからは、最先端のものにしてあげる。ボタンとコードがいっぱいついてるやつ。

 僕、機械オンチだから難しいのは勘弁してね、と笑って答えた。


 全部売ったと言ったけど、嘘だ。机の中に十数冊しまってある。贈り物の本。僕の好きな、大切な本。

 

 

 

6/14/2024, 9:40:59 PM

あいまいな空

 メッセージの通知がきた。

 ごめん。急用出来た。待ち合わせ2時間遅らせて。


 ため息が出た。朝にあいまいな空を見て出たので、今日2回目のため息。

 ここ数週間、自分の中で何かが燻っていたのは確かだ。相手はそんなこと思いもしてないだろうけど……。

 
 2時間の間に、雨が降り出してくれればいいのに。

 今日はやめておこうって言いやすいから。


 

 ダメだよね、自分のあいまいな気持ちを天気に任せちゃ。

6/13/2024, 10:45:45 PM

あじさい

 あじさいは、土壌が酸性では青、アルカリ性ではピンクになるといわれている。この性質をいかしたミステリーものを、何回か見た記憶がある。

 要は、あじさいの下に死体が埋まっていて、そこだけ色の違うあじさいが咲いている、というものだ。

 それから、色が変わる、ということから心変わりする、人間関係が変化するという象徴にもよく使われる。

 当のあじさいは、そんなことに使われているのもいちいち気にはしないだろうが。

 あじさいの花びら(正確には萼が発達したものらしい)の瑞々しさと、ミステリアスな物語の対比。何度も創作に使われるのはこういうところに魅力があるのかなと思う。


 という話を年上の彼女にした。

 コーヒー淹れたよ。 彼女がカップを運んできた。

 ありがとう。 僕が手に取ろうとすると、

 ちょっとまって。 と言って、スプーンでブラックコーヒーをかき混ぜて、生まれた渦の中にミルクを流した。

 僕、ブラックでいいんだけど。

 ほら見て。茶色に変わったよ。

 うん、わかるよ。

 色、変わったよ。

 うん。

 いろ、変わっちゃったね。 彼女が虚ろな目でつぶやいた。

 な、なに?なんですか。どうしたの?

 ……プリン。

 あっ、と思わず声が出た。忘れていた。こっそり食べたから後で買い足しておこうと思っていたのだが。

 彼女は、今度は自分のカップをかき混ぜて、ミルクを入れようとしながらこっちを見た。 

 私のも変わっちゃうよ。ほら。いろ、変わっちゃうよ。もしかしたら、私の心も……。

 ごめんなさい、ごめんなさい。す、すぐに買ってきます。

6/12/2024, 11:19:08 PM

好き嫌い

 姉と2人でナポリタンを食べる。

 姉がテレビに目をやった隙に、ピーマンを箸でつまんで姉の皿に投げる。皿に視線が戻った姉は、何事もなかったようにピーマンを食べる。

 またテレビを見る。ピーマンを投げる。テレビから戻る。普通に食べる。

 またまたテレビを見る。

 いけるかな、と姉の皿に箸を伸ばし、ウインナーを摘む。姉をそっと確認する。

 顔はテレビに向いたまま。でもメガネの奥の視線はこっちを向いている。

 これはダメ。 少し責めるような口調で言う。任務失敗。

 うん、と僕は答える。

 ピーマンは?もうないの?

 あと一つ。

 姉はすっと箸を向け、僕の皿から緑の欠片をとって食べてしまった。そしてまたドラマの世界に入っていった。

 うん、お姉ちゃん大好き。

6/11/2024, 10:38:42 PM



 実家は田舎だ。山に住んでいる。子供の頃、レジャーや大きな買い物の時は、車で街まで行っていた。

 今は新しくバイパス道路ができたおかげで、街までだいぶ早く行けるようになったが、子供の頃はほぼ決まった道を行くしかなかった。

 その古い道路が都市部に入ろうかという辺りに、橋がある。そしてそれを渡ったところに精肉工場があるのだが、ここがちょっとした関門だった。

 匂いだ。橋を渡り始めてすぐ、猛烈な生臭い匂いが漂ってきていた。血と肉の匂い、というのだろうか、通り過ぎるまで息を止めようと思うほどの生々しい匂い。匂いだけでも子供の僕には苦悶だったのだが、それに輪をかけて、視覚からも責められた。

 橋には、5メートルほどの間隔でアーチ状の街灯が並んでいたのだが、そこにカラスの群れが止まっていたのだ。匂いにつられて来たのだろう、と両親が話すのを聞いて、カラスは怖い鳥だ、と子どもの僕は思い込んだ。

 匂いとカラスの恐怖に耐え、街での楽しい時間を過ごす。食事してカラオケをして買い物をして。

 あ、でも帰りも通るのだ、とふと思い出しては憂鬱になる。そんな子ども時代の思い出。

 

Next