誰にも言えない秘密
目の前の空を魚が泳いでいる。種類は様々。名前は知らない。大きい時もあるし小さい時もある。一匹の時もあるし、群れの時もある。
幻覚だ。僕にだけ見える。
いつからかは忘れた。理由も知らない。見える日もあるし、ずっと見えないこともある。
突然現れたとしても、ああ、そうかと思うだけ。慣れた。
ただ、唯一、戸惑うことがある。巨大な一匹のクジラ。彼が現れると、必ず死に出会う。最初は祖父、十年後に祖母。その翌年、目の前で交通事故があった。知らない人だった。
彼はゆったりと進む。何にも動じず、ゆったりと。
見えるのは全体像だ。だから、かなり距離はある。
が、ある不思議な確信がある。
目だ。彼は僕を見ている。離れているから実際には見えないが、確信がある。視線を感じる。
なぜ、なぜ僕なのだろう。なぜ僕を見るのだろう。
6月6日。7時。
晴天の東の空を、巨大な尾を揺らしながら彼が泳いでいく。
狭い部屋
生き物がいると、生活に張りが出てくる。狭い部屋で生活していると尚更そう感じる。
犬や猫の場合は、伝えた愛情が返ってくるからわかりやすい。植物の場合は、花が開いたり枝が伸びたり、新葉が艶を輝かせたり。無言でも変化が見えて楽しい。
難しいのは、窓際の金魚鉢の住人だ。餌をやるときは反応があるが、それ以外はいつも変わらず。笑いもせず声もあげず。
可愛いと思うときもある。でも、やるせない気持ちになるときもある。小さな命をコントロールしている、小さな優越感に浸っているだけなのかも、と。
本当はこんな小さな鉢から出て、大河を旅したいと思っているのかも、と。
そしてたぶん、それは自分自身のことなのだ、と。
そんなことを考えながら、ごめんな、と言いながら鉢の中に餌を放つ。
失恋
自然に消えてしまった恋。どちらからともなく離れてしまった。追いかけることもその逆もなかった。ただ消えた。
友人は何も言わなかった。友人も若かったから。アドバイスも思いつかなかったのだろう。
そういう恋もあった。若かった。
という話を年上の彼女にした。
別れましょ。
え? 心臓が止まった。
どうして。
嘘。言ってみただけ。 彼女が笑顔で返す。
止まった心臓が動き出す。血流が再開するのを感じる。
なに、その嘘。やめてください。
追いかける?追いかけようと思った?
……思った。
よし。 と彼女が言う。
安心してね。振るときは、ちゃんと振ってあげる。これ以上ないってくらい明確に。はっきりと。心臓が止まるくらい。
……お手柔らかにお願いします。また止まっちゃうから。
正直
白状すると、僕は平気で嘘をつく。あまり意味のない嘘。まあどうでもいい会話、というか相手なんだろう。全く心が痛まず嘘を吐ける。
どちらかといえば、正直に話しているときのほうが、心が不安になる。こちらが正直に話しているから、相手もそうあって欲しい、と無意識に勝手に押しつけているような気がして。
それで上手くやり取りが出来ないと、イライラして。疲れるなぁ。
その点、猫はいいよね。絶対に正直しかないから。機嫌が悪い時は我慢せずに怒るし、機嫌がいい時はしっぽがピンとするし。
いいなあ。僕も猫として生きていきたい。
梅雨
梅雨は、なぜ梅と雨なのか。答えは単純で、梅が熟す頃の雨だから。
今朝、畑の梅の木を見てみた。ほんのり赤みがついた実がたくさんなっていた。なってはいたが、小さい。全国的に今年は小さいと聞いてはいたが、まさかこれほど小さいとは。まあ仕方ない。こういう年もあるさ。
梅林止渇(ばいりんしかつ)。一時的な困難を別の方法でしのぐ。
行軍中の兵士に、もう少しで梅林がある、と言って梅を想像させて唾液を出させ、それで喉の渇きをしのがせた、という三国志由来の故事だ。
実際に言ったのかどうかはわからないが、名将曹操ならば、と思わせる、中々に面白いエピソードで気に入っている。
ただ、自宅で梅を作る人ならわかると思うが、木から取ってそのまま食べることはまずない。基本的には梅干し、その他は梅酒、甘露煮、ジャム等々。何かしらの処理をしてから食べるはず。真っ赤に完熟したものなら食べることはできるが、それでもそのまま食べる人は僕は知らない。もちろん青梅はダメ。おすすめしない。
なのでもし曹操軍が本当に梅林に辿り着いたとしても、実際に口にすることは難しかったのではないか、と密かに思ってはいる。ちょっと大人げないかな。
さて、我が家の小梅たちはどうしてくれよう。食べられないと言うほど小さい訳では無いが、やっぱり少し寂しい。この困難は……。数で補おう。今まで1個食べていたのを2個にしよう。よし、これで解決だ。