雫
家族や友人がいつも笑顔だったなら、毎日がどんなに幸せであふれることだろう。
その笑顔が、家族の友人、友人の友人にも広がったら、きっとその友人の友人にも広がるだろう。
そうやっていつか世界中が笑顔の毎日になるといいな。
隣人とも笑顔でテーブルを囲めば、争いもなくなるかもしれない。
一滴潤乾坤
いってきけんこんをうるおす
ひとしずくが、天地に雨の恵みをもたらす。
そっか。
まずは僕が笑顔になろう。誰かじゃない。僕自身が最初のひとしずくになるんだ。
何もいらない
ウォームアップを済ませてスタートラインに立つ。誰もいない真夜中のトラック。自分のタイミングだけで走り出した。
2周だ。僕は800mのみやっている。いや、やっていた、か。大会前に、靭帯を痛めて出場できなかった。最後の大会だった。
100mを超えた。痛みはない。オープンコースに入り中に位置を取る。ここでいい位置を取れるかが800mの鍵だ。前回の大会ではここで失敗した。というより、相手が上手かった。あいつ、なんて名前だっけ。
思い出せない。が、均整の取れた体格と力強いストライドは覚えている。速かったな、あいつ。
そんなことを考えていると、いつの間にか目の前を疾走する影が浮かんでいた。
あいつだ。あいつの背中だ。僕はまた、あいつの背中を追っている。
頭の中で鐘がなる。1周目を超えた。おそらく自己ベストを4秒ぐらい上回っているはず。だが、以前、あいつは僕の前を走っている。わずかに体を傾け、軽やかにコーナーを過ぎていく。僕も離されずに食らいついていった。
調子はいい。おそらく今までで1番。怪我さえなければおそらく、全国にも……。いや、今はいい。今は目の前の背中を見ろ。それだけに集中しろ。
あいつに悟られないように、ゆっくりとギアを上げる。じわりじわりと距離を詰める。
最後のコーナーの手前で仕掛けた。もう一つギアを上げ、からだ一つ分、外に出た。まだだ。まだ追い抜かなくていい。プレッシャーをかけるだけ。僕に気付いたあいつがほんの少し、フォームを乱した。いける。
直線で完全に並んだ。ラストスパート。ここからは、技術も駆け引きもない。肺も心臓も悲鳴を上げたがかまうものか。今度こそ勝つ。それだけだ。
ラスト50m、まだ並んだまま。もう少し、もう少しだけ速く。速く。
フォームが崩れた、と思った。地面を蹴るはずの足が、空回りしたような感覚。どうした。なにがあった。急いで呼吸し脳に酸素を送る。
ゴール直前で倒れた、らしい。今になって、靭帯がまた痛みを訴えてきた。またお前か。まったく。
荒い呼吸のまま大の字になって空を見た。月がぼんやりと光っている。
ああ、また負けたか。やっぱり速かったな、あいつ。そういえば、まだ名前思い出せないな。北高だっけ、それとも西高だったかな。まあいいや、もう会うこともないだろうし。
足が痛い。とっても痛い。歩いて帰れるかな。親にはなんて説明しよう。また病院か。嫌だな。
でもいい走りだった。間違いなくベスト。
高校で辞めるつもりだったけど、結局、自分にはこれしかないのだ。走るだけでいい。走っているときだけは、自分が自分でいられる。走ることさえできれば、何もいらない。
なかなか落ち着かない呼吸をしながら、しばらく空を仰いでいた。
もしも未来を見れるなら
子供の頃に、誕生日会をしたことがある。家に友達を招いて食事したりテレビゲームをしたり。7,8人だったと思う。
誕生日なので、みんなプレゼントを用意してきてくれた。当時はミニ四駆というものが流行っていたので、種類は違ったが、3人がミニ四駆だった。
僕は嫌な顔ひとつせずに、用意していた笑顔とありがとうを返した。
用意していた、というのは、実は3人のうちのひとりに、事前に中身を知らされていたからだ。
僕同様に、彼らも初めての誕生日会のプレゼントだった。何を贈ればいいか話合ったらしい。ただ、話し合ったところで結局は田舎の子供だ。アイデアのバリエーションは乏しい。実際、ミニ四駆の他は、全てプラモデルだった。
知らせてくれた彼は、おそらく気を遣ったのだろう。僕が同じプレゼントを見て、残念がる顔をみんなに見せないようにと。
彼の気遣いに応えねばならないし、プレゼントは似たようなものばっかりだったし。誕生日会は疲れるな、と思い、以降は家族だけで過ごすようになった。
もしもプレゼント箱の中身がいつもわかってしまったら、もう絶望しかない。どう反応しようかそれを考えるだけで頭痛がする。
それに物が欲しいわけじゃない。大人になると、贈ってくれたという事実が1番大事に思える。
本当にそう思う。
無色の世界
2026年に、ついにサグラダ・ファミリアが完成するという。およそ150年の工期。すごいよね。
映像ではとんがりの外観を見る機会が多いが、サグラダ・ファミリアの内部も必見だ。まるで妖精の世界に入り込んだようなきらめく空間。荘厳なステンドグラスが圧倒的な光彩を生み出している。
ステンドグラスは大きくわけて2種類ある。ステンドグラス風と本格的なステンドグラス。
ステンドグラス風は1枚のガラスに絵の具などで色を付ける。
本格的なステンドグラスは、複数の色ガラスを鉛枠などで繋ぎ合わせる。当然、こちらのほうが手間暇かかるが、それだけの特別な輝きがあるのだろう。
色ガラスとは、ガラスに金属を混ぜて作る。こう一言で言ってしまうと簡単に出来そうだが、実際には、わずかな条件の違いで色合いが変わってしまうものらしい。それこそ150年も前なら、全く同じものを作るのは今よりも容易ではなかっただろう。
だが逆に、その微妙な色合いの違いが、透過する太陽の光に深みを与えているのかもしれない。
僕はまだ行ったことはないのだが、生きている間に必ず行きたいと思っている。
という話を年上の彼女にした。
普通の透明なガラスじゃあダメだったの?
え?それはちょっと。そもそも、教会や聖堂のステンドグラスは、聖書を説明するっていう役割があるんだ。イエス様をドラマティックに演出する、みたいな感じで。サグラダ・ファミリアはあまり宗教色は強くないみたいだけどね。
無色透明のガラスだと神様の説得力がない?
かもしれない。
ふうん、神様も努力してるんだね。と彼女が言う。
で?
で?とは?
なんでこんな話してるの?
ええっと。一緒に旅行行きませんか。サグラダ・ファミリア。
早く言いなさいよ。回りくどいよ。話が長い。
……僕なりに努力してみたんです。
桜散る
理想どおりにはならなかったとき、受験の失敗や恋に敗れたときに、桜散ると例えられることがある。
散るという言葉だけ見ると悲しさだけが強調されるように思えるが、その前に桜、が付くと、それだけではないように感じる。単純にいえば、人生の美しさ、と言ったところか。それがあるからこそ、散る悲しさにさえ愛おしさを感じる。受験失敗したけど頑張ったよね、とか、またいい人に会えるさ、なんて言葉が無価値ではないのはこういう理由があるのかなと思う。
花がなぜ散るのか。それは、開花してしばらくすると花弁の根本に離層という細胞層が生まれることと関係している。離層が形成されることで、花びらがくっついている部分の細胞間物質が分解される。これにより、花びらが離れていく。
ええっと。
離層が理想を引き離す……。
おあとがよろしいようで。