夢見る心
あざやかな未来を夢見ると楽しくなる。でもそれも一瞬。自分の中から作り出したはずなのに、自分の身体から離れて現実世界に照らしてみると、本当に自分から生まれたものなのか疑いたくなる。よくもまあ、だいそれた怪物を飼っていたのものだと。
心の中で飼っていたとき、それなりに世話をやっていた。けど面倒くさがりの性格のせいで、時々餌やりをサボってしまう。どおりで成長が遅いわけだ。
それでもせっかく育てたから途中で投げ出すのも気が引けて。やれやれ、困ったものだ。
心身一如。心と体は一つという。夢はおそらく心の中にある。いい夢を育てるのはいい心。そして心と体は一つ。正直、心の鍛え方なんてわからないから、まずは体を鍛えようかな。サボってた筋トレを再開しよう。巡り巡って、夢にいい餌をやることになるはず。
たった今、腕立て伏せやってみました。昔は50回できたのに、5回しかできませんでした。ちょっと気合い入れて続けてみようと思います。年内に50回できるように夢見て頑張ります。
以上、現場からお伝えしました。
届かぬ想い
理解されない、あるいは同意されない、という意味で届かぬ想いというのはあるかもしれない。だが現代においては、着いていない、到達していない、という意味の届かぬ、はほとんどないのではなかろうか。既読スルー、なんて言葉もある時代だからね。
大昔、多くは、手紙ということになるだろうが、伝える内容も重要だが、それ以前に相手に届いたかどうかも肝要だ。届かなければ、どんなに優れた文章も塵と消える。
さて、ならば誰に手紙を託そう。屈強な大男か、それとも疲れ知らずの飛脚か。
紀元前3000年のエジプトでは、漁況を知らせるために漁船は伝書鳩を使っていたらしい。
鳩の配達人としての能力は、帰巣本能によるものだ。つまり離れたところから巣に帰る。その習性があるだけで、全く知らないところへ遊びに行くわけではない。
一般的には、カワラバトという種類だ。飛行距離は200kmとも1000kmとも言われている。小さい体ですごいよね。
でも人間の醜悪さは、その優れた美質を見逃さなかった。
軍鳩だ。戦時利用として古代から使われてきた。十字軍でも、第二次世界大戦でも使われた。第二次大戦では、イギリスでは32羽の軍鳩にディッキンメダルという勲章が授与されている。このことからも鳩がいかに優れた通信手段であったかがわかる。
優れている、となれば当然、敵としては
見逃すわけにもいかない。十字軍時代は鷹を放って、近代では銃で撃ち落とした。当たり前だが、鳩に戦意はない。巣に帰ろうとしただけ。戦争はやっぱり愚かだね。
こんな話だけだと悲しくなるので、明るい話も。
漂流するノアが方舟から鳩を放つと、くちばしにオリーブの枝をくわえて帰ってきました。オリーブは知恵や平和の象徴。洪水は終わったよ、ここから頑張ろうね、という感じかな。
届いても届かなくても、届けようとするその中身は、やっぱり明るいほうが良い。たとえ届かなくても、わくわくするからね。
神様へ
ヨハネの福音書 第12章 24節
まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地におちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな日を結びます。
神様、僕はこの節に心を打たれました。
粒は自分。粒のままで消えるのか、誰かの為に何かを成して消えるのか。ここで素晴らしいのが、たとえ粒が畑に落ちてもそれだけでは意味がない無い、ということです。
次の生命を導くには、粒が、殻を破って芽を出さなければならない。殻に閉じこもったままでは、次の世界には繋がらない、と言うところです。
僕はどうしても自分の殻に閉じこもりがちになってしまいます。他人との付き合いが上手くないので。
これからは、殻を破って、できるだけたくさんの出会いを求めていきたいと思います。ありがとうございます。
今日は天気が良いので、神社に参拝に行こうかな。ええっと、まず、大神宮に行ってそれから天満宮、それから日吉神社、そのあと春日神社、あっ、商売繁盛の稲荷神社も行かなきゃ。出会いは多いほうが良いよね。たぶん。
快晴
布団干しなさい。 年上の彼女が言う。
来週でいい。 うつ伏せで目を閉じたまま答える。
先週も言ってた来週が今日なの。そして今日は晴れなの。わかる?
……はい。 渋々起き上がり、干し始めた。
不思議だ。面倒くさいから別にいいやと思っていたけど、澄んだ光を浴びていると、心も清々しくなる。きっと布団もふわっふわになる。干して良かった。
布団干すには最高の日だね。
もう終わったの。早いね。じゃあついでにクロゼットの中掃除しよう。もう着ない服も捨てちゃってね。
それは来週でいいや。
だめ。
どうして。
どうしても。
……はい。 これまた渋々取り掛かった。
普段そこまで気にしていなかったが、こんな服あったっけ、というようなものがいくつも詰め込まれていた。これはもう着ないな、これも着ない、これは……洗濯してから決めよう。作業を始めてみると自分でも意外なほどテキパキ進む。日の光を浴びたおかげかな。
終わった。
あら、もう?早いじゃん。
晴れだからね。
なにそれ。
いつもより体が軽い気がする。早く動きたくなるって感じ。
大げさな。 と言いながら彼女がコーヒーを淹れた。
それ飲んだら、買い物に行こ。新しいお皿。
それは来週でいいや。
だめ。
……はい。 ゆっくりとカップを空け、渋々靴を履いた。
皿なんてなんでもいいのに。口には出せないけど。などと考えながら並んで出発する。
不思議だ。若干、重い気持ちだったのに、歩みは軽やかに進む。一歩進んだら、次の一歩はもう少し広い歩幅で歩きたくなる。もっと広く、もっと早く。前に前に。すごい。快晴バンザイ。
ちょっと。
ん、なに。
歩くの早い。
そう?
うん。もっとゆっくり。
ゆっくり?
ゆっくり。歩くのはゆっくりでいいじゃん。 彼女のほうから改めて手を繋ぎ直した。
わかったよ。 歩みの熱が収まってしまう残念さはあったが、別のなにかが胸を熱くさせた。
日差し強いね。
うん。でもゆっくり歩こ。
……はい。
遠くの空へ
東京からモスクワまでは、およそ7500km、飛行機で約10時間ほどらしい。
以前、引退後のゴルバチョフが日本のテレビ番組に出演したのを見た。東京の印象はと聞かれて、空がとても綺麗だと言っていた。当時のモスクワは、いつも曇っていたそうだ。車の排気ガスで大気汚染がひどかったらしい。近年、道路の拡張があったらしいが果たして何かの効果があるのだろうか。
こちらの感覚からすると、東京の渋滞もそれなりのものに思えるのだが。
おそらくゴルバチョフは、環境の観点だけではなく、簡単に言えば街の様子を見て綺麗だと言ったのではないだろうか。冷戦が終結しいよいよ新時代へと思われたが、言わずもがな、プーチン帝政は隆盛を極めている。モスクワの闇は昼夜問わず、と言ったところか。
日本では、少なくとも一般人が暗殺されることはまずないだろう。この一点だけを見ても、街の人々の雰囲気は違うのかもしれない。
空は空だ、と僕は思う。泣きもしないし笑いもしない。空に表情があるように例える人もいるだろうけど、結局は人なのだと思う。朗らかな人には空の機嫌も良く見えるのだろう。そうじゃない人にはその逆に。
いつかモスクワの空も、本当に機嫌が良い日が来るといいですね。
ちなみに、今日のこちらの空は快晴です。元気にタイヤ交換頑張ります。