言葉にできない
大谷、大丈夫かな。
今朝のニュースでは、実は6億ではなく24億だったそうだ。
以前の記者会見で淡々と説明していたが、言葉にはしてみたものの、本当の感情は整理できていないのではないだろうか。銀行口座の管理まで任せるくらい、信頼していた相手に裏切られた。大谷にとっては、金額よりもそちらのほうが大きいんだろうな。
比べて申し訳ないが、僕も学生時代、仲違いしたことがある。クラスメートだったが、突然何かが合わなくなった。どちらが悪いということでもなかった気がする。原因は何だったかな。はっきり思い出せないということは、きっとくだらないことだったのだろう。
友情が崩れ去るのは悲しいね。恋人と別れることはあっても、友人と離れることはないと思っていたから。
もう何年も会っていない。もし会えたら、あのときの仲違いは何だったのか、笑って訊けるぐらいの時間はたったはずだ。
……はずなのに。なんて声を掛ければいいか、言葉が全く浮かんでこない。
暗いな、僕は。
金曜だし今日はカラオケにでも行こうかな。
ヴェネツィアのゴンドラ漕ぎのおじさんを見習って。陽気にさ。
歌は良いね。もう言葉があるから、自分の心から絞り出さずに済む。
さて、何を歌おうか。明るい歌がいい。春だしね。
春爛漫
コタツで寝てばっかりの猫が、活動的になってきた。自室で読書をしていると、外に散歩に行くぞ、と僕を誘ってくる。
畑の手前には桜、奥には梅の木がある。愛猫はいつも桜を素通りし、ひたすら梅の木を目指す。こちらが立ち止まってよそ見していると、早くしろ、啼いてと急かしてくる。
目的地に到着するやいなや、素早く登り、お気に入りの枝に抱きつく。それから、何か異常は無いか、と鋭い視線で監視を始める。さすがに梅の花は散ってしまっているが、見張りの仕事は返ってやりやすいのかもしれない。こうなったら、僕が呼んでも簡単には降りてこない。やむ無く、僕は草むしりをして降りてくるまで時間をつぶす。
どうしても抜けない草があった。残しておくのが気がかりで、鍬を使って処理した。ついでに土の様子を見てみようと近くを掘ってみると、妙な物体が出てきた。
蛙だ。冬眠していたのだろう。日に当たらなかったせいで全身真っ白だ。つんつん、とつついてみると、ピクッとして目を覚ました。が、まだ動きが鈍い。あれ、もう春ですか、みたいな感じ。うん、春ですよ。
そんなことをしていると、彼女が満足して木から降りてきた。ようやく帰れる。部屋に戻ったらココアを飲もう。昨日買ってきたクッキーも食べよう。
と、思っていたら、彼女が桜の木の前で立ち止まった。どうしたんだろう。登りたいのかな。
登るか?と訊きながら、抱き上げて枝先の花に近づけてみた。クンクン、と鼻で様子をうかがう。すると、よくわからん、って顔で降ろせとジタバタする。このわがまま猫め。
降ろしたらすぐ家に入るのかと思ったが、彼女はその場から動かなかった。じっと桜を見ている。
風は緩やかに吹いている。眩しい光が彼女の目を細め、白いヒゲをキラッと輝かせる。
うん、春爛漫。
誰よりも、ずっと
昨日は雨だった。東京では、せっかくの桜も葉桜に変わったらしい。桜前線がこちらへたどり着くのはこれからだが、蕾は保ってくれただろうか。
20分ほど車を走らせると、桜の名勝がある。週末は県外ナンバーが長い渋滞を作るので、行くなら平日だ。と言っても、駐車場に止めるわけではない。そばの道を通るだけ。別に観桜料を惜しんでいるわけではない。少し離れたところからほんの数秒間、スピードを落として眺めるのが好きなのだ。
樹齢1000年を超える枝垂れ桜。太い幹が分かれて四方に枝を広げている。観覧者は近寄ると必ず、木の周りをぐるっと一周する。上の通路から見て、降りて下から見て、1番よく見えるところを探すのだ。でもなかなか1番は決められない。逆にそこが魅力なのだろう。
高校生の頃にそばで見たことがあった。もちろん観桜料を払って。
表皮だけ見るとさすがに老いを感じたが、それでも毎年満開の花を咲かす。まさに姥桜って感じだ。なにしろ1000年だからね。1000年前は平安時代だ。そこからずっとこの町の人びとを見てきた。1000年だよ、すごいよね。
この姥桜には、人の歴史はどんなふうに見えるのだろう。きっとこの町で誰よりも詳しいんだろうな。いい人もいただろうしそうじゃない人もいただろう。これからもずっと見続けるのかな。そうであって欲しい。
僕のことはどう見えるのだろうか。よくいる普通の男か、何か特別な男か。まあ前者だろうけど。
変な話だ。観るのはこっちのはずなのに、どう見られるかこっちが気にするなんて。
久しぶりに今年は近くで見てみようかな。靴も磨いて、ちゃんとネクタイを結んで。
これからも、ずっと
休日に約束していたけど、雨が億劫で、今日は会わなくてもいいかなって思ってしまう。たかが雨ごときで。好きなはずなのに……。
自分の気持ちが変わったのかなと思っていたけど、会って笑顔を見せてくれると、やっぱり好きなんだと思い直す。
でもいずれまた、心が揺らいで信じられなくなる時が来るんだろうな。信じられなくなるのが、彼女のことか、それとも自分自身のことか、どっちかはわからないけど。
こんな心、いつまで続くんだろう。一緒にいる間は、ずっと続くのかな。それはそれで悪くないかもしれないな。
できれば、僕が自分自身をもっと信じられるようになりたい。どんなに揺れても、一緒にいる、っていう毎日が微塵も揺れないくらいには。
沈む夕日
子供の頃は、夕日の刻にバイバイした。ちょっぴりの寂しさと、どうせまた、明日会える安心感を抱えながら。
大人になると、夕日を意識することも少なくなった。その時間も大抵何かをしているからだろう。
それに、バイバイするのも夕日が沈んでからだ。その日のバイバイの時も、ずっとのバイバイの時も。
夕日ってどんなだったっけ。オレンジ色のゴムボールが地平に溶けていくような。そんな感じだったっけ。
今日は見てみようかな。昔のことを思い出せるかもしれない。できれば楽しい思い出ならいい。
ただ、さっきの天気予報によると夕方は曇りかもしれない。見えなかったら、帰りにサーティワンでオレンジソルベを買おう。爽やかさがいい思い出を運んでくれるかもしれない。