届かぬ想い
理解されない、あるいは同意されない、という意味で届かぬ想いというのはあるかもしれない。だが現代においては、着いていない、到達していない、という意味の届かぬ、はほとんどないのではなかろうか。既読スルー、なんて言葉もある時代だからね。
大昔、多くは、手紙ということになるだろうが、伝える内容も重要だが、それ以前に相手に届いたかどうかも肝要だ。届かなければ、どんなに優れた文章も塵と消える。
さて、ならば誰に手紙を託そう。屈強な大男か、それとも疲れ知らずの飛脚か。
紀元前3000年のエジプトでは、漁況を知らせるために漁船は伝書鳩を使っていたらしい。
鳩の配達人としての能力は、帰巣本能によるものだ。つまり離れたところから巣に帰る。その習性があるだけで、全く知らないところへ遊びに行くわけではない。
一般的には、カワラバトという種類だ。飛行距離は200kmとも1000kmとも言われている。小さい体ですごいよね。
でも人間の醜悪さは、その優れた美質を見逃さなかった。
軍鳩だ。戦時利用として古代から使われてきた。十字軍でも、第二次世界大戦でも使われた。第二次大戦では、イギリスでは32羽の軍鳩にディッキンメダルという勲章が授与されている。このことからも鳩がいかに優れた通信手段であったかがわかる。
優れている、となれば当然、敵としては
見逃すわけにもいかない。十字軍時代は鷹を放って、近代では銃で撃ち落とした。当たり前だが、鳩に戦意はない。巣に帰ろうとしただけ。戦争はやっぱり愚かだね。
こんな話だけだと悲しくなるので、明るい話も。
漂流するノアが方舟から鳩を放つと、くちばしにオリーブの枝をくわえて帰ってきました。オリーブは知恵や平和の象徴。洪水は終わったよ、ここから頑張ろうね、という感じかな。
届いても届かなくても、届けようとするその中身は、やっぱり明るいほうが良い。たとえ届かなくても、わくわくするからね。
4/15/2024, 10:55:00 PM