エイプリルフール
家のヤカンをこすったら、ジーニーが出てきてさ。
ふうん。
願いを言え、っていうから言ったんだ。
なんて。
君が僕のこと好きになってくれるようにって。
ふうん。
どう。効果ある?
さあ。ないんじゃない。元々好きだし。
そっか。ジーニーめ、エイプリルフールだから嘘ついたな。とんでもない奴め。
そうかもね。
……元々好きだし?
なにが?
さっきそう聞こえたけど。
ああ、言ったかも。
そうなのか?
さあ。エイプリルフールだし。
そっか。
うん。
……映画行く?
行く。ん、
なに?
手、繋がないの?
繋ぎます。
幸せに
誤解してるみたいだから教えてあげる。
トマトジュース(無塩)をぐびぐび飲む僕に、トマトの精霊が話しかけてきた。
トマトのこと。
トマトがなに?
トマトはね、果物なの。
野菜だろう。
それが誤解なのよ。確かに公的な分類では野菜になるけど、でも果物なの。
根拠は。
私がそう言ってるから。わたし、トマトの精霊だから。
イマイチ説得力がないな。 つれない僕の態度を見て、精霊は目に涙を浮かべた。そして大声を僕にぶつけてきた。
だって、小さい子どもたちはみんな、野菜嫌いって言うんだもん。おいしいのに。だからトマトは果物なの。絶対そうなの。
わかったよ。いいよ、それで。泣くなよ。 僕はティッシュを精霊に差し出した。精霊はそれで鼻をかんで、
あなた、なんでそんなにごくごく飲んだの?
美味しいから。
えっ?本当?
本当。
野菜だと思ってたのに?
うん。
へえ。そうなんだ。 精霊は途端に笑顔を浮かべた。
じゃあ、トマトは野菜でもいい。
なんだよ、果物じゃなかったのか。
うん。野菜。
はあ、と僕はため息をついた。
まあ、どちらでもご自由に。
うん。トマトは野菜。 精霊はもっと笑顔になった。
ありがとう。わたし今、すごく幸せな気分。
大げさな。僕は何もしてない。ジュース飲んだだけ。
うん。でも、ありがとう。
何気ないふり
電車に乗った。午後4時20分発。下り列車。座ることはできなかったが、まだそこまでの混雑ではなかった。
つり革を握り、揺れだした体を支える。夕飯何にしようか、などと考えながらぼうっと車内を見渡すと、少し離れたところに和服の御婦人が立っているのに気付いた。
風呂敷で包まれた荷物を片腕で抱え、もう一方はつり革を掴んでいる。髪は真っ白だったが、背筋はすっと伸びている。凛として、というのはこういうことなのだろう、そんなふうに思った。
婦人の前の席には、高校生らが座っていた。今日のテストがどうとか、部活がどうとか、そんな話をしていた。
一見、楽しそうな会話に見えたが、ひとりの学生はどこかそわそわしているようにも見えた。本当は、グループにあまり馴染めないのかな、などと勝手に思っていたがそうではなかった。
あの、どうぞ。 と言って、その学生は婦人に譲ろうとしたのだ。突然の行動に、友人も驚いている様子だった。
あら、ありがとうございます。婦人は笑顔で返し、着席した。
位置は入れ替わったが、学生達の会話は元通り再開したようだった。立ち上がった学生も楽しそうに参加している。
おそらく、最初から譲りたい気持ちはあったが、友人にからかわれるとでも思ったのだろう、あえて気にしないように振る舞っていたのではないだろうか。
自分だったらどうしただろう。あの高潔そうな立ち姿には、返って失礼なのではと、及び腰になったかもしれない。何事もなかったように知らんぷりしていたかもしれない。
電車が止まった。彼らの目的地はまだ先のようだ。彼の清々しさに気後れし、僕は逃げるように下車した。
ハッピーエンド
推理小説ばっかりだね、と年上の彼女が言った。
どおりで理屈っぽい性格なわけだ。
うるさいな。じゃあそっちは何読むの。
もちろん恋愛小説よ。
面白い?
面白い。読んだことないの?
ある。でも僕には合わない。
どうして。
ハッピーエンドって決まっているから。決まっているのがつまらない。そうじゃないのもあったけど、そういうのってはっきり言ってイマイチなんだよね。無理やり別れました、って感じで話としてぎこちない。そんで別れた場合は、それでもいい恋でした、明日からまた頑張りますってパターン。いつものパターン。もうわかりきってる。
ほら、やっぱり。
なにが。
理屈っぽい。
うるさいな。
などと言い合いながら、買ってきたショートケーキを食べた。
さすがランキング1位のケーキね。幸せ。
うん、イチゴも美味しい。クリームも甘さ控えめ。美味しい。他のも食べてみたいな。
ね、また明日も行く?
いや、それはさすがに。でもそのうちまた行こう。
1日の終わりに美味しいケーキを彼女と食べた。これはこれでハッピーエンドか。
食べ終わったら、お皿洗っておいてね。あ、あとお風呂入る前にちゃんと掃除してから、お湯入れて。それから、明日燃えないゴミの日だから袋にちゃんと別けておいて。あと、冬物ぜんぶクリーニング出しておいてね、割り引き、明日までだから。それから……。
さっきまでのハッピーエンドな気分はどこへ……。ええっとハッピーエンド、ハッピーエンド。
ん?
ハッピーなエンド?
それともハッピーがエンドなのか?
そんなことより早く皿を洗わなきゃ。やることいっぱいだから……。
見つめられると
突然の来客に面食らった。十代の女の子を家の中にいれるわけにもいかず、とりあえずファミレスに入った。
僕が席に着くと、彼女が隣に滑り込んで座った。
なんで隣に。向かいに座りなよ。
逃げませんか。 問いつめるような目で言う。
逃げない。だから前に座ってくれ。
わかりました。 彼女は静かに移動した。
時刻は午後3時。客も少ない。比較的穏やかな店内だった。
何か食べるかい。
いえ。コーヒーだけで。
じゃあ僕も。 オーダーしてコーヒーが運ばれてくるまで会話はなかった。いや、正確にはコーヒーが届いたあとも、彼女は沈黙したままだった。
一口飲んで、僕の方から切り出した。
それで、御要件は。
母を好きでしたか。 コーヒーの水面を見たまま、彼女が言った。
なぜ、そんなことを。
彼女は視線を上げた。そして絞り出すような声で、
知りたいんです。どうしても。教えてください。
真っ直ぐな瞳が僕を見た。似ている。あのときのあの人の瞳に。
ああ、好きだった。
本気で?
本気で。
彼女はまだ真っ直ぐ僕を見ている。だから僕も真っ直ぐ見返した。
そうですか。 あの、と言ってそこでようやく視線が外れた。こころなしか、戸惑いの表情に見える。
あの、母もあなたのこと本気だったと思いますか?
それは。 言葉に詰まる。それは僕の方こそ知りたかった。ずっと。
それは、お母さんしかわからない。でもおそらく、僕が思う程ではなかったんじゃないかな。だから、上手くいかなかった。
そうですか、と彼女が言った。先程よりは幾分、明るい声に聞こえた。僕は彼女の望む答えを与えてあげられただろうか。
突然、すみませんでした。
いや。……そうか、明日か。
はい。ちょうど日曜日で。お墓参りの前にお会いしたくて。すみませんでした。
いや。とだけ言った。そのあと何を言えばいいかわからなかった。
もっと、嫌な人だと思ってました。彼女が言った。初めて見せた笑顔だった。
そうか。
そんなに悪くない人だったねって、明日報告します。
そうか、とできるだけ笑顔で僕は言った。