イオリ

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3/12/2024, 10:07:25 PM

もっと知りたい

 コーヒーを淹れてくれた。

 おいしい?

 うん。

 うそでしょ。

 どうして。

 だってただのインスタントだよ。ふつうの味でしょ。

 そう思うなら訊かなきゃいいのに、と思ったが口には出さなかった。


 ネクタイどっちにするの? 赤と青のネクタイを両手でヒラヒラさせながら訊いてきた。

 青。

 えっ、赤のほうがいいよ。と言って勝手に僕の首に結び始めた。

 訊く必要ないじゃん、と思ったが口には出さなかった。


 晩ごはん、何がいい?

 蕎麦。温かいほう。

 でもカレーでいいよね。明日の朝も食べられるし。

 訊く前から決まってるじゃん、と思ったが口には出さなかった。


 どうして彼女は、訊く必要のないことをわざわざ訊いてくるのだろう。

 そういえば、言わないように我慢しようと思ったとき、僕を見て彼女はいつも笑っていた。からかってるのかな。

 彼女の嗜好がよくわからん。まだまだ観察期間が必要だな。

 帰りにチーズケーキを買っていこう。この前、美味しそうに食べてたから。

3/11/2024, 11:00:07 PM

平穏な日常

 耕運機で畑を歩く。歩くといったのは、手押し型の耕運機だから。

 1度通るだけではなく2往復ぐらいする。そうして冬の土から春の土に目覚めさせる。商売でやっているわけではないので、それほど大きな畑ではない。2時間もあれば終えられる。いい運動にもなる。

 春には種を、初夏には苗を植える。種のほうが安いが、霜の悪事をクリアするのはなかなかに難しい。今年は畝を不織布で覆ってみよう。春キャベツが上手に育つといい。

 夏にはきゅうり、ナス、トマトのトリオと、スイカとメロンのコンビがメインキャストだ。これらは最初が肝心、つまり苗選びだ。茎が太くて元気な葉のものを選ぶ。ずっとホームセンターで買っていたが、去年は苗の専門店で買ってみた。少しだけ高かったが、豊作だった。今年もあそこで買おうかな。

 野菜作りなんてなんてことないことだが、こんなことが、体はもとより心の栄養にもなっている。平穏だね。


 去年、母が僕に内緒でズッキーニを植えた。きゅうりのとなりに。びっくりした。オバケみたいに大きくなる。味は正直なところ、そうでもない。淡いナスといった感じだ。秋に後処理したが、強い根っこがものすごく広く伸びていた。畑の平穏を脅かす存在だと思った。母には言えないが。

3/10/2024, 11:13:31 PM

愛と平和

 太陽が顔を見せ始めた。目覚めてすぐ、いつものようにくちばしで羽繕いをした。健康の為の大事な作業だ。

 羽を整えたあと、我が家に異変がないことを確認し、飛び立つ。さて、今日はどこまでいこうか。

 砂埃が舞う。乾燥した国だ。寒暑の差が激しい。昔から民族問題や宗教問題が絶えず、更に悪いことに、それを綱引きとして大国が干渉してくる。世界平和度指数163位、最下位の国の空はやはり空気が重い。流れ弾に当たる前にここは去ろう。

 海から暖かい風が吹いてくる。緯度の割に温暖なのはこのせいか。火山が活発で温泉も多い。地元民も観光客に開放的に見える。この国は軍隊が無いそうだ。犯罪も少ない。もともと、争うという思考があまりないのかもしれない。福祉水準も高く、LGBTにも寛容的だ。世界平和度指数1位の理由は、そういうお国柄からなのだろう。旅の記念に夜のオーロラを見てから日本に戻ろう。

 日本は世界平和度指数9位だという。まあまずまずかな。戦争もなく、世界平和に高く貢献しているといっていいだろう。気になるところといえば、ここ数十年、人が減っているということだ。平和で経済的にも豊かと言われている国なのに、愛の数が減っているのか。人間の社会は複雑だな。

 巣に戻ると、伴侶が出迎えた。旅で疲れた羽を、くちばしで優しく繕ってくれた。

 餌は取ってきてくれました?

 あっ、と声を出す。

 今度、温泉にでもいこうか。いい所を見つけたんだ。

 もう、また誤魔化して。明日は忘れないでくださいね。
 

 

3/9/2024, 11:30:08 PM

過ぎ去った日々

 子供の頃の過去は、昨日しかなかった。大人になると、そこに後悔が上積みされていく。もちろん、いい思い出も多少はあるが。

 ただ、明日はもっと高く飛ぼう、速く走ろうと思ったら、そんなものはなんの意味もない。

 今まではどうでもいい。前だけを見よう。間もなく春だ。全ての雪が溶ける。だから尚更そう思う。まあ正確には、そう思いたい、思えたら、かな。

 飲み込んだコップの水が、全て体外に流れるわけではない。一部は体内に残り、血肉と化して僕自身を作っていく。それこそ良い水も悪い水も両方だ。多少の悪い水でも、体は問題なく生命を維持しようとする。

 心のほうは。

 やはり心もそうなんだろうね。水が不味かったという記憶は、捨てようと思ってもなかなか捨てきれない。脳みそにこびりついて、そのうち錆びて剥がれなくなる。それでも前を向こうとする心は不思議と無くならない。

 結局、そういうものなんだ。生きるって。仕方ない。錆を落とそうとするのも疲れた。そのまま行くしかない。

 

 

 

3/8/2024, 12:02:41 PM

お金より大事なもの

 どこまで歩いても同じ景色が続く道を、君は歩いたことがあるか。私はある。勘違いしないで欲しいが、今言った道は物理的な道ではなく、あくまでも心の中の道のことだ。

 難しい話ではない。水も食料もある。明日着替える服もある。だが、胸に大きな穴が空いている。底のない暗い穴だ。放っておいても生きていけるがそのうち、そのままでは生きている価値がないことに気づく。そういう意味の話だ。

 このままではいけない、そう思うだろう。何かで埋めなくては、と。さて、君なら何で埋める。愛かね、それとも思い出。シンプルにお金という選択肢もあるかもしれない。

 ちなみに私の胸の穴はもう埋まっているよ。何を詰め込んだかわかるか。

 宿命の対決だよ。山盛りの。ただの対決じゃない。宿命の対決だ。ただの対決なら、片足のエイハブは白鯨に立ち向かうことなどしなかっただろう。

 わかったか。わかったなら私の目を見ろ。君の前に立っているのは、そういう男なんだ。

 私は拾い上げた拳銃の銃口を、彼の額に押し付けた。震えが銃身から伝わってくる。

 さっさとやつの居場所を言え。それとも、君が私にとっての白鯨になるかね?

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