時計の針
時計の針がチクタク動く、という表現をする人は多い。あえて触れる必要もないが、その針はおそらく秒針だ。
チクタクという言葉は、チクのあとすぐにタクがくるはず。長針、ましてや短針ではありえない。
秒針にも種類がある。ひとつは、一定の速さで滑らかに動き続けるスイープ秒針。もう一つは、1秒ごとにチクタク動くステップ秒針だ。
スイープ秒針の方は、時が進む、という表現が合っている気がする。ステップ秒針の場合は、時を刻む、か。
時が進む、の場合は、放っておいても自然に、自動的に、という感じがする。
時を刻む、の場合は、一瞬の静止と一瞬の跳躍の組み合わせ。喜怒哀楽の存在が、時の流れに合わさるような感じ。
どちらがいいかな。やっぱりスイープ秒針かな。何が起こっても動じない、かっこいい大人って感じがして。
でもスイープ秒針も、結局は、歯車で動くんだよね。見えない内側でチクタク、チクタク。
ふーむ、どっちにしよう。アップルウォッチも見てみようかな。
溢れる気持ち
むかし。小学生のころ。両親とは上手くない毎日だった。父親だけでなく、母親からも殴られていた。
ある放課後、図書室に集まってちょっとした都市伝説の話をしたことがあった。
隣町の公園の電話ボックスで、とくべつな手順で番号を押し、ユキちゃん大丈夫?と訊くと、もう遅い、と男の声で返ってくるというものだった。
明日やってみようというのがふたりだけ。残りは、馬鹿馬鹿しいとふたりに言い放った。
次の日、ふたりのうちのひとりが欠席した。もうひとりの方が僕にひっそりと声を掛けてきた。
あいつ、一緒に行くって言ったのに、昨日抜け駆けしてひとりで行ったらしい。バチが当たって風邪引いたんだろ、と。俺は今日行くけどお前も行くか、と言われたが、行かないと断った。
次の日、もうひとりの方も欠席した。
後でわかったのだが、ふたりとも身内に不幸があったらしい。
学校から帰り、貯金箱を叩き割った。きちんと数えもせずに、いくらかの小銭を握ったが、隣町までの電車代には間に合うだろう。
震える手でポケットに小銭を押し込んだ。
母親が、どこへ行くのかと怒鳴り声をぶつけてきたが、構わずに外へ出た。駅へ走った。
やっと。やっと今日で。
Kiss
体育館の裏で、人生で最初のキスをした。唇には不安定な感覚が残り、心には何故か、小さな罪悪感が残った。
いまは、名前も知らない女とキスしても、なんの罪悪感も感じない。ああ、そうか、と思うだけ。
大人になったということか。
という話を年上の彼女にした。
彼女は無言でじっと僕を見た。そのあと、すっと僕の後頭部に手を伸ばし自分の方に力強く引き寄せ、唇を当ててきた。
数秒後、わずかに離れた。僕を真っ直ぐ見ている。
私も罪悪感、ないみたい。あなたのとは真逆の理由だと思うけど。彼女が笑顔でいった。
1000年先も
記憶をたどると、おそらく幼稚園児ぐらいの時だったと思う。
居間の壁に、鳩時計が掛けられた。祖父の兄弟からの贈り物だったはず。
1時に1回、2時に2回、12時には12回、扉から飛び出して鳴く。13時はまた1回に戻る。半時間にも一回鳴く。
ただ音が鳴るだけではなく、体を大きく上下に揺らし、しっかり口を開いて鳴くのだ。その仕草が愛らしくて、椅子に登って指で針を戻して、何度も鳴かせたのを覚えている。
時間が経てば、流石に馴れた。成長するにつれて、鳴いている姿をあえて目で追うこともなくなった。が、素朴で温かみのあるあの鳴き声が耳に届くと、ほっとしている自分がいることに時折気付く。
我が家の鳩は電池式だ。鳴き声がゆっくりになると、交換の合図。新しいのに換えると、びっくりするくらい速く鳴く。そのたびに、もっと早く換えればと思う。
いつまで鳴いてくれるだろうか。僕が換えるうちは僕が換えよう。そのあとは。
永久乾電池はいつできるのだろう。もし無理なら、太陽光電池に改造しようか。それなら1000年先も鳴けるだろう。
そうしたら思いきって、裏の森の一番立派な杉の木に掛けようかな。あの優しい声が森のみんなに届く。きっと本物の鳩も集まってくる。ひとりで鳴かずに済むだろう。
勿忘草(わすれなぐさ)
豆まきの日は、新しい季節のはじまり。実際にはまだまだ寒いけどね。
ホームセンターに行くと、入り口の外には花のコーナーがある。お手ごろ価格のパンジー、ビオラ、それからクリスマスローズ。ちょっと高くなるとシクラメン、あとはスイセンかな。まだまだ冬のラインナップ。
勿忘草はあったかな。水色のきれいな小花をたくさん咲かす。春の花といえば、チューリップが思いつくけど、チューリップよりも少し早く春の訪れを教えてくれる、というのが僕のイメージ。
青系の花は、花壇にアクセントを与えてくれる。大事な役回りだ。
でも、名前と花言葉の印象が強くて、みんなの意識がそればっかりになってるみたい。ちょっとかわいそうだな。
私を忘れないでっていわれると、どこか心に重いものがのしかかる感じがして、怖いというのはわかる。
でも勿忘草の花は、せいぜい三ヶ月ぐらいしか咲かない。花後は枯れてしまう。
三ヶ月ぐらいなら、想いを預かっていてもいいんじゃないかな。そして枯れるのは、新しいスタートの合図。いずれは歩き出さなきゃね。
勿忘草はこぼれ種を落とします。花後の整理をしないと、枯れても枯れてもまた咲きます。
私を忘れないで。