透明で小さな瓶の中に、さらさらとした青色の砂が入っているのだ。その青い海の中に、星々をあらわすかのような金色、ちかちか光る粒もいくらか混じっている。私は机に左側の頬を押し当てて、要するに突っ伏す形で、無気力にその星を眺めている。
色々なことを、ゆっくり忘れていく。
他愛もないことごとは、さらさらと無に帰していく。失っていることにも、気づかないうちに。
この小瓶は思い出を纏っているけど、なにかが決定的に失われている。
私は知らず知らずのうちになにかを失い、得て、少しずつ変容している。
他の人の中の私も、いつか消えていく。
濾過されて、濾過されて、思いもかけないかけらだけが残されるのかもしれない。
いっそ完全に綺麗さっぱり消えたい。ような気もする。
青い砂はうつくしいけど、小瓶ごとごみ箱に放り投げた。
残るのは、自分の息遣いだけ。
まぶたを閉じる。
からだからぬけおちていく。
ないはずの鱗が。
ないはずの殻が。
ないはずの羽が。
はらはらと落ちていく。
もっている気になっていたものを、失った気になって、
喪失感を感じている。
失われる感覚こそあれど、
僕はどこかから補充されるのだろうか。
いつか、なくなってしまうのかも。
もとから、いないのかも。
半分溶けながら、存在している。
まぶたをひらく。
空間がある。部屋がある。空気はここに充満している。
ひとまず、ここにいる。世界がある。
少なくとも自分は、自分がこの世界のどこにいるのかわかっている。
それくらいで、存在しててもいいのかも。
夏が終わり、秋が来る。
働いて、自立しなさい。と言われる。
私は真面目なため、言われたとおりに、ほどほどに働いて、働いて、ほどよく一生が終わった。
つらかったら休んでもいい。と言われる。
私は真面目なため、今度は厳しいが給料の多い仕事で限界まで働いた結果、体を壊してようやく休む。そして、どんな歩み方をすればいいのか悩み続ける。いつかなにかを成せるはず、と思いながら、でもなにを成したいのかわからないままに一生が終わった。
もういちどあそびますか。
何を求めてあそんでいるのかわからない。
前回できなかったことをやろうとし、やって、迷って。
明確なゴールもなければボスもいない。
でも、何度も何度も繰り返してしまう。これが、執着なのだろうか?
ぼんやり思いながら、わたしはまたリプレイを押す。
わたしは喋るペンギンと暮らしている。
背はわたしの腰くらい。ぺたぺたと歩く。
家には水槽がないので、泳ぎ方を忘れちゃうんじゃないかなと思う。しかし、曰く、泳ぐことに対して強い執着はない、という。代わりに本を読んだり、会話ができることがたのしい、らしい。
わたしたちはひっそり暮らしている。
春に出会い、夏に親交を深め、秋を過ごし、いま。
窓から見える景色は、冬めいてきた。
今更だけど、きみは一体何者なんだろう。
水族館で目が合った。
わたしはその頃かなり疲れ果てていて、楽しめることがほとんどなかった。忘れてしまっていた。週末も疲れ切って動けないことが多かった。そんな中で、ふと、水族館に足を運んだのだった。
訴えかけるような目をしているペンギンが一体いた。
じっ、と私たちは見つめ合った。
でもそのときはそれだけ。
その後わたしは本当に動けなくなってしまって、仕事を休むことになった。解放されたような負けたような押しつぶされそうな頭で、ぼんやり過ごしていた夜中に、とつぜんインターホンが鳴り、きみはあらわれた。
あの日、目が合ったペンギンだ。すぐにわかった。
こんばんは。大変不躾なお願いではあるのですが、しばらく匿ってはくれませんか。見ての通りはぐれものでして。
恭しく頭を下げた。喋りは流暢で、しかしどこか切実な感じがした。
わたしは不思議と、こわいとか不気味だという感覚はなくーーー色々な感覚が壊れていたのかもしれないがーーーはぐれものという言葉に共鳴してしまった。とりあえず、どうぞ、と言って迎え入れ、少しずつ対話を始めた。
いま、きみは床に座って新聞を広げて読んでいる。
「急に寒くなるようですね」
「そうみたいだね」
「湯たんぽというものを使ってみたいです」
「もってるよ。そろそろ出そうか」
わたしときみと、傷ついたふたりの、回復のおはなし。
はじまりがあり、まだ終わりはない。