お気に入りのお菓子がある。
お気に入りのアニメがある。
お気に入りの漫画がある。
思い返してみると、私の身の回りのものはほとんどが「お気に入り」で固められている。
大好きなキャラクターの缶バッチを付けた筆箱に、好きな色に染まった水筒、毎日使うパソコンも使い古しのお気に入りで、膝には幼い頃から可愛がっているぬいぐるみを乗せている。
お気に入りに囲まれた生活は、大層居心地が良い。
私の好きで溢れた、絶対に私を傷つけない空間なのだ。
友人は古いものは捨ててしまいましょう、なんて言う人が多いけれど、古くても大切なものは大切で、好きなものは好きなのだ。
だから私の楽園に手出しきせるつもりは、微塵もない。
お気に入りに埋められた城で、じっくり籠城してやるのだ。
私が私の「お気に入り」を守るために。
誰よりも強くありたい。
誰よりも聡くありたい。
誰よりも明るくありたい。
そんな風に考えた時期が、私にもあった。
でも、やっばりしんどいから今は自分への戒めにしている。
誰よりも傲慢で貪欲な精神を持って。
夢を叶えるための強さを心に秘めるよう、自分への、縛りとして。
「怠けるな」
完全に大人の年齢となった貴方にとって、今の私はどんな風に思い起こされるものなのだろう、と考えて、一番に思い浮かんだのがそれだった。
実際、肉体年齢も違えば精神年齢も経験値も違う。
だから自分の想像通りの貴方ではないだろうし、もちろん手紙に書かれる内容も想像とかけ離れているものになるだろう。
けれど、きっと何歳の自分であろうと、今の私を見たら「怠けるな」と喝を入れてくれるに違いないと思っている。
続く言葉はなんだろう。
もしかしたら自堕落な生活のせいで碌な生活を送ってない、と言われるかもしれないし、夢を叶えています、と言われるかもしれない。
ともすれば、全部が叱咤の言葉やも。
それは少し嫌だと思う。
わくわくして手紙を開けて、中身がお叱りの声だけとは、飛んだぬか喜びだ。
だから今を生きる私は、未来からの手紙に褒める言葉が混ざるよう、少しばかり頑張ってみることにした。
さて、まずは部屋の掃除に取りかかろう。
「ごめん、待ってて!」
朝、学校へ行くとき、私はひとつ年上の姉と一緒に家を出る。
支度が早い姉と変わり、私は行動が遅い。
だから毎日の如く、「待ってて!」と声を張り上げている。
寝起きの喉にはしんどいが、声をかけないと姉はさっさと行ってしまうのだから仕方ない。
けれど四月から私が進学するため、出発する時間が変わる。
それぞれが自分の時間で、職場や学校へ行くのだ。
あと何回、朝の騒がしさに紛れて「待ってて」と言えるのだろう。
指折り数えてみて、一、二、三。
片手の指で十分こと足りた。
中途半端に折れ曲がった指を見て、少し寂しくなる。
「時間が待ってくれたら良いのにね」
もう少し先延ばしにしたいと思って空に告げた。
しかし三寒四温のこの頃、溢れた言葉は空に溶けてしまった。
じきに何も思わなくなるものだろうが、今はやっぱり、ちょっとだけ寂しい。
物心ついたときには、吃音症だった。
自覚した際は、「は、は、はい」程度の軽い連発で、特に気に留めることなく生活していた。
けれど、周囲から話し方を指摘され、「貴方はおかしい」と面と向かって言われて、私は話すことが怖くなった。
それから揶揄われること数十回。
私の症状は、軽度の連発から重度の難発へと移り変わった。
個人差はあるだろうが、完全に声が出なくなってしまったのだ。
今までで一番酷かったのは中学生の時だ。
まず、新しいクラスで自己紹介の言葉が声にならなくて、同級生が一分たらずで言えることに三分かかった。
次にクラスで作文を読み上げる際、声が空気にしかならなかった。音読の際も同様に、当てられても言葉が出ないせいで長い沈黙が教室に落ちるのだ。
だからいつだって順番を飛ばされた。
「〇〇さんは無理よね?」
できる、なんて言えない。
ただ、チャレンジさせて欲しかった。
でも、「やらせて下さい」なんて言葉は声にならなかった。
人に何かをやって貰ったとき、「ありがとう」が言えない。
喜びの感情を伝えるとき、「嬉しいです」が言えない。
人に、自分の声で自分の意思を伝えたいと思うのに、人前に立つとまるで声を失ったように口から空気が漏れるだけ。
伝えたいことだけが脳を渦巻いて、それが自分を蝕むのがよく分かった。
伝えたい。
誰でも良いから、私の考えを、声を聞いてほしい。
そして三年の月日が流れ、やがて私は書くことを覚えた。
文字を介して人に物事を伝える方法を学んだ。
「読んでくれてありがとう」
だって、文面ならちゃんと言えるから。
声の代わりに、伝えたいことを、伝えるために。
今日も変わらず、私は文字を操り続ける。