どうしてこの世界は
少し前から哲学をかじっている。
一番わかりやすく、世の中の人口に膾炙しているのはデカルトらしい。「我思う、故に我在り」で有名な奴だ。
私たちは「勉強しすぎ、仕事しすぎ」を正当化しようとして「忙しい」という病=無我夢中、労働過多、思考過多になっている。座ってボーッとして、何もしないのは時間の無駄、自分の人生に対して無責任だ。休憩は思考が中断するので非効率。そう思い込む。
思考があって行動を生むので、「我思う。故に我在り」のデカルト的思考論を基準とした「我行動する、故に我在り」が現代社会の行動論になっている。
常に何かしないといけない……と思い込んで、自分を苦しめている。この行動論の逆は「我行動しない、故に我なし」だ、これが若者の無気力症候群や軽度うつを生んでネガティブ思考を生んだり、自殺しようと企図する。
こんな感じでデカルトのことは軽くかじったので、次の哲学者をかじりに行こう。……なんでこんな簡単な内容、どこにも書いてないわけ? 腹が立つ。
君と歩いた道は、世間にとっては無名である。
通学路という名の無名。
その道中、駅の北口付近でイベントを目撃した。
それは、線路の向こう側へ行こうとする悪ガキたち。
今ではちょっとどころかどこにも見かけない。授業をサボり、校舎の片隅でワルをやって、吸い殻を足で踏み潰して消している連中だ。生徒指導の先生に見つかったら、しょんぼりするどころか蹲踞の格好で悪態をつく。学ランのボタンは全開、黒のスラックスはだらだら。学校というものをバカにした未開社会の文明だった。
そんな不良に憧れた中学生が、5人くらいの徒党を組んで、道路と線路を区切るフェンスを乗り越えようとする。
あっ、と僕も思った。君も思っただろう。
けれど、止める間もなく、入って注意を呼び止める仲でもなく、距離もなく。いわゆる危ない香り、臭いラフレシアには億劫だったから、そのままにした。
手慣れたやつが先に入り、「おい、早くしろよ」とくすんだ緑のフェンス越しに徒党を急かす。小柄の坊主がフェンスの網目に絡まって、手足が引っかからずにガシャンと鳴った。それを怒るどころか喜んでいた。たぶんきっと。怒られるかもしれないことに欲求不満だったのだろう。
若干躊躇したが、10秒以内に踏破した。それからは、マリカーの「カラカラさばく」のステージみたいに、線路を通って近くのホームへ走り出す。無銭乗車。改札を通らないヤツら。
降りる時はバレると思うが。きっと怒られるだろうなー。と思いながら、無名の通学路を青春色にした。
夢見る少女のように
本日も晴天なり。けれど心は曇天なり。
お外に出たほうが良いと思うけれど、そういう気分にならない日曜日。
2週間前に風邪をいわして、ちょっと咳が出ている。
昨日コミュニティで会話をしたせいで、喉が若干痛い。昨日町なかぷらぷら散策をして、13000歩以上歩いたらしい。休日でこれは、大したもんだ。と褒め称える。
身体を疲れさせて、泥のように眠る予定だった。
けれど、どうしてか眠れず、精神的夜更かししたために起床はズレて午前中は二度寝の餌食。
十年以上活躍している、現役の扇風機のモーター音が始終ひびく。首振りにすると、余計人工的な風が強まり、それに当たると僕は予後不良の馬みたいになってしまう。
規則正しいリズムより、できることなら自然な風に当たりたい。そして放熱したい。
でも、だからといって、直あてにしたら肌がかさかさ乾燥しちゃう。誰かがアドバイスしたように、壁打ちの視点。壁に当てて、入射角反射角通りに扇風機の風を部屋中に循環するようにしている。
夢見る少女のように横たわっている、130センチのしろ◯ん。それを抱いて、週末の時間を溶かしっぱなしだ。でも、いいんだ。これで。
と思うことにした。みんなはスマホに取り憑かれて、余計にストレスを掛けている。明日という週明けを知らせる月曜日に背を向け、怯えている。
それよりか、ずっとマシ。
だらだらしながら、ネットで、お題を調べていた。
「いつまでも夢見る少女のままじゃいられないよね、私たち」
夢は、どこからやってきて、どこに消えて、何を消費させるのか。その答えを探すように、再び三度、夢のなかに誘われる。読書していた本のタイトルは「抽象と具体」。
・水たまりに映る空
ツイッターから着想を得た。
その人は、しろ◯んむぎゅうをする垢なのだが、窓から空を見るのが好きらしい。最近近場でクソデカタワマンが建設されそうで泣きそうだった。
その人が言うには、いずれは狭く切り取られてしまう空だからこそ、しろ◯んと一緒に目に焼き付けていたい。
景色が変わりゆくのは仕方ない。だから、今の豊かな空を少しでも見ていたい。
そのポストを見た時、お題とリンクした。
水たまりの浮かぶ空。これは、かわいそうな空だ。
アスファルトによって削られ、僅かしか映らない。それで、地上の構造物で大半は遮られている。視点によりけりだが、大半の視点はつまらないものを映している。近づけば近づくだけ都会は微妙なものしか映し出さない。
そして、水たまりとは儚い鏡である。蒸発皿を炙るように、日常の常識という熱で徐々に輪郭から失い、中心はしぶとく残って、やがて地面と馴染んでしまう。
先ほどのポストは続きがある。
クソデカタワマンは、ギリギリ景観に問題ないかなー、位の高さで階数が止まってくれたらしい。涙は止まっただろうか。しろ◯んむぎゅうはやすらぎを恵んでくれる。
・さぁ行こう
書いたような気がするので過去を調べてみた。
類題の「さぁ冒険だ」だった。
同じような意味で、こちらのほうが広範だ。どうしようか。一旦保留と右上の「OK」を押し、短い広告が流れる。すると、今まで見たことがないものが流れてきた。部屋の間取りの形を自動で調べてくれるアプリの宣伝だった。間取りの形をなぞるように、床と壁の隅にスマホを向け、焦点を当てる。それで、直線に次の隅に行く。1.25mという表示。直角に曲がって次の隅へ。3.67m。次の隅へ。
そうやってカクカクと進んでいき、リビングを一筆書きした。ピカッと演出があって、リビングの空間が浮かび上がった。今見ると小学生の面積を求める複雑な平面図形だった。一瞬で面積が出てきた。あなたの住んでいる間取りは〇〇平方メートルです。
外国産アプリなので、実際できるかどうかは不明だが、技術的にはできるんじゃないかと思う。こうやってスマホをかざして今目の前にあるものの面積、体積はどのくらいかなーって。ものの輪郭をなぞるだけで分かるのはゲーム感覚で良い。
スマホ側から計算したがっているみたいで、ウズウズしている。さぁ行こう。物は幾らでもあるぞ。飽きるまでやろう。
恋か、愛か、それとも。
Twitterに住んでるクリエイターの話。
二次元のオリキャラの絵を描いてる人なのだが、オリキャラ絵と言っても人の形でなく、ゆるキャラ系の、擬人化した絵を描いている。つくも神風の道具に魂が乗り移る系だ。顔はデフォルメテイストにありがちな、黒い粒目に小文字のオーム。「ω」である。
道具に魂を宿すことは難しい。最近はAI絵師が絵師と名乗る者も割といるようだが、この人はそんな小細工、必要ないだろう。
かまぼこたん。ホットケーキたん。大根のヘタたん。
かまぼこたんは半月状に切られ、桃色に縁取られている。ホットケーキたんは、四角く切られたバターを乗せ、ハチミツを垂らされている。大根のヘタたんは、多少緑のヘタがリーゼント気味になっているが、白い身体であるダイコン部分を軽くつぶして、違和感を無かったことにしている。
絵師が中心であるが、時々暇になるらしい。
一日中、紙粘土をこねていたらしい。赤白緑など、色付き粘土を組み合わせ、オリキャラの実物立ち姿をSNSに投稿していた。それが精巧に作られていて感嘆の「いいね」を押してしまう。
先ほど紹介した3人?のオリキャラたちも紙粘土で作られていた。元絵と実物再現された紙粘土の比較があげられた。左は元絵、右は紙粘土。平面から立体への進化。瓜二つ。そっくりだった。
最近はグッズ化も挑戦しているらしい。
オリキャラの一つである金魚鉢たんも、何とかして平面から立体にさせようとクラウドファンディングをして寄付を募っている。紙粘土では飽き足らず、クッションにするらしい。鉢を透明なプラスチックケースにして、クッションケースとして出し入れする形。
アイデアがクリエイターだ。
鉢の形は、つぼ型で、口は人間の首のようにくびれているタイプだ。鉢の中には淡水と、揺らめく水草と、デフォルメされた赤い金魚が一匹いて、泳いでいる。
ふわぁ……と金魚があくびをすると、金魚鉢たんもあくびする。移るんだ! と金魚が快活に言葉を投げかけ、鉢はにっこり。鉢の性格はルンバに乗って降りられなくなったり、ずっこけて中の水を零して泣いたりなどおっちょこちょい。でも、泣いた涙で中の水が補充されるという、目がどこについてるのか考えたくなる。
つまり、かわいいということだ!