芽吹きのとき。
おい、自覚してっか?
あと2カ月経ったら、「夏」が来るんだぞ!
あの日の温もり
電車に乗って帰路についていた。
始発駅からの乗車だったので、すみっコの席ですみっコぐらし。目の前は優先席、隣は車椅子専用の空間。つまり、この席は2人掛け用だ。ボックス席ではないのに不自由を強いられている。
学生が隣に座った。これで埋まった。他の席も空いてるのにな。みたいな感じになる。学ランか、と見やっていたら、彼は卒業生らしい。3月◯日に卒業するのか今は、となった。
新品の卒アルをカバンから取り出して、膝に置いた。新品同然のアルバムカバー。ちょっと膨らませて、指先を入れて中身のアルバムを掴んで外へ。薄いエメラルドグリーンの表紙・背表紙・裏表紙。
電車内で見るとはいい度胸だ。こっそり見よ、ってなった読書中の僕は、盗み見できる視点で隣をチラリ。
アルバムを傾けて、ページが露わとなる。裏表紙が表だった。真っ白の余白のページ。それを彼は真っ先に見た。
寄せ書きのページだった。黒マジックペンで文字が敷き詰められている、というよりか、少し余裕のあるメッセージだった。それでも十五人くらいはあるだろう。見開き二ページを使っていた。
メッセージはなんてことはない。3年間ありがとう。ドイツ語マスターしてね……。
む、コイツ、ドイツ語学んどんのか!
などと密かに目を見張る。
そのページをじっくりと見ていた。
2〜3分のような一分だった。高校生の集中とは、このような真剣なものだったのだろうか。
寄せ書きの中には上下逆の文字もある。あるなー、これ。アルバムが机に張り付いているような感じで、誰かが上から書いたんだろう。あるいは、進行形で書いている人とは反対で、同時進行形となったのだ。
真ん中にはサインのような行書。ミミズを通り越してヘビだ。走り書きみたいな、わざととぐろを巻いて書かれている。
個性が表れていた。
まだアルバムが真っさらだった時に書かれたのか、ひどくスペースを使った「ま さ よ」の文字。
それに付随する「きゃ ん と」。
前者は名前だろうが後者は何だ。意味が分からない。いや、意味なんて要らない。卒業日に書かれた事が大事なんだと。
それで見知らぬ卒業生の彼は、左手の、分厚いものを掴んでいたそれを、ヘラリ、チラリとページ落下させていく。意図せずページが開いたみたいに、何十ページが飛ばされて、証明写真ゾーンに切り替わった。
この辺は僕の時代と変わらない。3センチ4センチの大きさの、青背景の写真。笑っていたかどうかはわからない。制服を着て、生徒名の上に首から上の人物が載っている。何組あるのか知らないがきっと自分のクラスを見ていると仮定する。
それで、本来のアルバムを見る流れとなった。証明写真ゾーンを抜けて、クラス写真があった。
視点を所有者の顔へ上げてみて気づいた。
耳にワイヤレスイヤホンをはめていた。どこかにある電子機器から受信した音楽を聴きながら、卒業アルバムを眺めていた。
それで、アルバムを閉じ、入れづらいだろうアルバムカバーに入れようとするのを若干手間取っていて、入れて、カバンに入れた。
スマホを取り出した。TikTok。
左手は電車の手すりから外に放り出して、右手でスマホの表面をはじく。
こんな文章を書いているが、圧倒的にスマホをいじっている時間のほうが長かった。
イヤホンを耳にはめている時から気づけばよかった。現代ってそうだった。紐がないから耳栓代わりかな――なんて、一縷の望みにかけていたのかも。
cute!
1日以上考えたんだが、エコキュートかエキュートくらいしか思いつかなかった。
エキュートとは、例えばエキュート上野とか、そういう駅ビルのことだな。
「楽しいことがキュ〜と詰まっている駅」
それが謳い文句だそうだ。さっき調べたものだ。
ユニクロとか、コンビニとかでお世話になっている。
あとは、しろ◯んグッズを買うために散財したりしている。期間限定ショップだから、致し方ない出費なのだ。そのチャンスを逃すと、卓上カレンダーは100均とかになってしまう。値段は下がるが気持ちも下がる。テンションが転職活動中みたいに下がってしまう。ジリ貧だ。
そういうわけで、かわいいものを手元に置いておくと人生に彩りがついていいよね
っていう締め。
記録を残そうとすると長くは続かない。
逆に記録を残さないようにすると長続きするが、記憶になってくれない。忘れてしまう。
「あっ、続いてる」
という気づき程度でよいのかもしれない。
記録として残そうとすると、何か見えないモノを背中に背負ってしまって、重責感に苦しむ。
たった今気づいてしまった――という瞬間のみを記録として残すことで、それを積み重ねていったほうが良いのだろう。
元々、それが「塵も積もれば山となる」なのだ。
いつから塵に意味を持たせるようになったのか。
吹けば忘れるモノを、一体どこから……。
さぁ冒険だ。
さっきからペン先は、このようにうずうずしていた。
A4用紙の真っ白な紙に、新たな色の息吹を吹き込めようと、動きたくて仕方がない。
自己の一部分をエナジードレインして、表現力を模したノンバーバルコミュニケーション。
さぁ行こう。前に。
そう言っているようにも思える。
けれどそれは間違いだ。
手の震え。そう、それでしかない。それ以上の意味はない。そう思い込もうとした。
少年は絵描きの真似事をしていた。
中学2年生の、冬。
透き通る象の形をしたガラス細工が表題だった。
デッサンをしようにも、そこまで絵は上手くない。
と自己評価は低い。自己評価シートでは全部の項目を「D」にしている。
「絵が上手いね」
そんなことはない。そう言えない自分。
同級生たちの意見に対して影のように引き下がり、俯き加減な己。沈没した沈黙……。
ネットに上げたことがある。
だが、すぐに非公開にした。
閲覧数が0から1になる前に、非公開にしたつもり。
おそらくたぶん。誰かに見られただろうけど、数字に反映してこなかったからノーカンノーカン……そう思い込もうとした。
公開ボタンを押したこと。それに関して、中学校生活を棒に振るような、緊張感が宿ってしまったのだ。
チャレンジしたのは自信を持つため。しかし――。
以来、心の中はぶるぶる震えている。得体のしれない何かに怯えている。魔物が棲んでいる。ネットに巣食う魔物が、心の隙間を縫って入り、やがてヤドリギとなる。
国語の教科書でそのような物語があるらしい。自己肯定感の低い少年ではあっという間に呑み込まれてしまうだろう。
それでも、何でだろう。
少年の意に反して、ペン先は震える。
払底したいと思ってる。無効化したい。
やりたい、やりたい!
少年の意思とは別に、ペン先は勝手に走り出した。
勇者の剣のように。たぶんきっと。地面からもう抜けていたのだ。
それに気づいてから、少年は吹っ切れたらしい。
ペン先についていこう、そうしよう、そうしよう。それが冒険の始まりだった。