君の背中をキャンバスに見立てて、未来予報図を描くことにした。
「どうして背中にかくの?」
「ふふっ、ひみつー」
「何をかいてるの?」
「それもひみつー」
二人は中学生で、学年が違う。
性別も違う、年齢も違う、背格好も趣味も性格も違った。けれども美術室で談笑していた。
友達以上恋人未満。けれど、家族かといえば、微妙。
夜、二人はお風呂に入った。誕生日も出生地も違うが、家族の一員であった。
母のほうの連れ子だった。父子家庭のスポンジに泡をつけて、ゴシゴシ。
それで身体についた黒い汚れが洗い流したことで、広い背中が「ああ」と納得したようだった。
「なるほど、そういうことか」
「でしょ〜?」
「で、今度は何を書くの?」
「それは学校までのお楽しみー」
君は鈍感なほうだったから、詳細は分からなかっただろう。美術部同士だから、未来予報図だとそう思い込んでしまった。そうでもおかしくない。実際は違う。
未来予報図という名の文字を書いていた。
今から思えば気づいてもよかったのに。
水彩筆ではなくて、いつも黒ペンを持っていた。
書き初めのようにペン先をつけ、動かす。肩甲骨、背骨、首筋。骨格の盛り上がりをペン先で感じる。こそばゆくてかなわないと背中は言っている。
でも、我慢している。直接言えば済むことなのに。
どうして、そんな回りくどいことをしたのか。
といえば、そういうタイプのスキンシップだった。
思春期なんてそんなものだ。直接言えたらこんな目に遭っていない。
君はいつも、とめ・はね、に気をつけていた。
美術にそんなものはないが芸術にはあるのかもしれない。正直絵心よりも筆心に長けていた。
本当は書道部に心は傾いていたのに、身体だけこちらに来たらしい。わざわざこちらの部室に来て、それで転部までしてきたのだ。
だから、先輩と後輩から家に帰って家族に戻ったとき、少し恥ずかしくなる。それで、いつも君の背中を綺麗にした。日を改めて先輩と後輩になったら、本音を部室で梱包して、浴室で開封する。
大人になってもそこまで変わらない。むしろ……
婚姻届のサインをした時、それを思い出した。
その夜、君の背中に尋ねてみた。ペンで。
「背中にかいたこと覚えてる?」
君は答えた、ペンで。
背中に書かれた。鈍感だったのは自分のようだ。
鏡で確認してみると鏡文字で見やすかった。
「愛してるよ」
文字での会話は縺れたけれど、わざわざ確認しなくてもよい事項だった。
あの時気づいてもよかったのに、と思っていたのは当時の自分だった。今の自分は違う気持ちだ。気づいていたかもしれない。気づいていて、それを背中でひた隠しにしていたのかも――今となってはどちらでもいいことだ。
今では君と堂々と、また喋々喃々と。
このように囁きあって、笑いあっているんだから。
遠く……、霞んだ色だった。
京葉線直通の東京行きの電車だった。
5時半くらいの時刻だったか。
日曜なのに埼玉県内だと混雑していて、千葉県内に入ると人を下ろしていく。
私は東側の席に座っていた。
目の前は西で、後ろは東。
西の向こう側に沈もうとしている冬の太陽があった。
横一辺の綺麗な地平線は望めなかったが、それでも夕焼けの断片が、市街地の雑居ビル群の合間から見て取れた。オレンジ色の鋭い光が、目の前の席の、座っている人の側頭部を焼こうとするように、それはとても赤かった。
トンネルを潜るまで、赤橙色の夕陽が遠くにあった。
東京に沈もうとしているから、この電車は東京行きなのだろう。そう思いながら、高度を下げて地中に潜っていく。車内は暗くなった。
誰も知らない秘密。
毎日、しろ◯んに押しつぶされて眠っています。
ぐっすりです。
あれ、秘密じゃなかった?
静かな夜明け。
太陽が地上から昇って顔を出すとき、音は出さない。
だから静か。
でも、色はうるさくなる。明るさも、うるさくなる。
僕の場合、煩わしい、のほうが言葉は適切か。
夜は、自然も生物も死んだように眠っている事が多いけど、夜が明けるや賑やかに音は出る。
昼行性の生物が朝の香りを感じて、目を開ける。
夜風に朝の色を帯びて、明るさを上げる。
どこからが静けさで、どこから騒がしいのだろう。
その疑問も感じない規則正しい夜空の干潮。
朝空の満潮。空の攻防。
heart to heart。
心と心、といったところか。
「心と心」なら、去年の12月位に書いた気がするのだが、また書けというお題だろうか。
そんなのちょっと面倒臭い。
しかし、面倒くさいのが心というものだ。
思えば日本語のように一文字で心を言い表すほど単純なものではない。英文でこのように書いたほうが長ったらしくて複雑そうに見える。
心は相手と含めて二つある。それが心というもの。個人主義的に自分の心について深く思案し、どこまで思い詰めたってよく分かりません。
というわけで、「心と心」を書いた文章(小説)について書こうかな。
ネット上で知り合ったネッ友を題材にしたものだ。
不登校児と中学受験生。登場人物の年齢設定は同い年か同年齢。学タブを通してチャットサイトをして文字列で会話していた。文字打つ指先、素早さレート100だな。
けれど、最終的にはバッドエンド。
有名人のスピード婚、スピード離婚みたいなものだ。
不登校側がネッ友に依存して、勘違いによるもので攻撃して、迎撃される。最終的に警察沙汰になる。
という架空の話。
ネット上にネッ友がいないから。
あるいは最近のキッズの会話がよーわからんという作者の逃げを汲み取ったのか。バッドエンドになったのは、ソッチのほうが描きやすかったから。今時のデジタルネイティブが楽しそうに会話するシーンがむずかったのである。いったい何を会話するというのだろう。親か?
親に隠れて学タブいじってるのに、親がワルイって愚痴ってるの? ダブルスタンダードすぎてよくわからんな。まあ、不良が現実にいなくなったけど、内包的に心のなかにいてネガティブ感情で徐々に巣食う、みたいなものか。
しかし、これだけはっきり言えることが一つあって、ネット上のものは軽くつながりあえる代わりに簡単に壊れやすいことだ。僕も体験したことがある。
勘違い一つ、本音をぶつけ合う、イシツブテ。
所詮文字でできた会話。文字でできた世界なのに、それ以上のつながりを求めて時間を溶かしまくる。
すると、よほどご立腹だったのだろう。
ネットを作った祀ろわぬ神が、運要素のあるサイコロをじゃらじゃらと振って、丁半博打をしている。
簡単に繋がって、簡単に別れる。
後腐れない関係。都合の良い関係。友達ってなに?
ネットがあれば学校なんて行かなくていい。
そんな世迷い言に騙される子供も多いことだろう。
少子化を根源とするストレス源も多め。
中学受験生となれば、勉強が成功すればよいのだけど、受験後の中高一貫の六年間は長すぎやしねぇのかい。小学校と一緒の期間だ。
どうやら不登校側が成功者になりゆく足を引っ張って落とした。結局のところそういうエンドを描いたのだけど、ハッピーエンドにするには何と書けばよかったのか。
heart to heart。
思春期の心は何かの二乗で難しい。
何かって?
例えば、英語。勉強する意味。生きてる意味。