heart to heart。
心と心、といったところか。
「心と心」なら、去年の12月位に書いた気がするのだが、また書けというお題だろうか。
そんなのちょっと面倒臭い。
しかし、面倒くさいのが心というものだ。
思えば日本語のように一文字で心を言い表すほど単純なものではない。英文でこのように書いたほうが長ったらしくて複雑そうに見える。
心は相手と含めて二つある。それが心というもの。個人主義的に自分の心について深く思案し、どこまで思い詰めたってよく分かりません。
というわけで、「心と心」を書いた文章(小説)について書こうかな。
ネット上で知り合ったネッ友を題材にしたものだ。
不登校児と中学受験生。登場人物の年齢設定は同い年か同年齢。学タブを通してチャットサイトをして文字列で会話していた。文字打つ指先、素早さレート100だな。
けれど、最終的にはバッドエンド。
有名人のスピード婚、スピード離婚みたいなものだ。
不登校側がネッ友に依存して、勘違いによるもので攻撃して、迎撃される。最終的に警察沙汰になる。
という架空の話。
ネット上にネッ友がいないから。
あるいは最近のキッズの会話がよーわからんという作者の逃げを汲み取ったのか。バッドエンドになったのは、ソッチのほうが描きやすかったから。今時のデジタルネイティブが楽しそうに会話するシーンがむずかったのである。いったい何を会話するというのだろう。親か?
親に隠れて学タブいじってるのに、親がワルイって愚痴ってるの? ダブルスタンダードすぎてよくわからんな。まあ、不良が現実にいなくなったけど、内包的に心のなかにいてネガティブ感情で徐々に巣食う、みたいなものか。
しかし、これだけはっきり言えることが一つあって、ネット上のものは軽くつながりあえる代わりに簡単に壊れやすいことだ。僕も体験したことがある。
勘違い一つ、本音をぶつけ合う、イシツブテ。
所詮文字でできた会話。文字でできた世界なのに、それ以上のつながりを求めて時間を溶かしまくる。
すると、よほどご立腹だったのだろう。
ネットを作った祀ろわぬ神が、運要素のあるサイコロをじゃらじゃらと振って、丁半博打をしている。
簡単に繋がって、簡単に別れる。
後腐れない関係。都合の良い関係。友達ってなに?
ネットがあれば学校なんて行かなくていい。
そんな世迷い言に騙される子供も多いことだろう。
少子化を根源とするストレス源も多め。
中学受験生となれば、勉強が成功すればよいのだけど、受験後の中高一貫の六年間は長すぎやしねぇのかい。小学校と一緒の期間だ。
どうやら不登校側が成功者になりゆく足を引っ張って落とした。結局のところそういうエンドを描いたのだけど、ハッピーエンドにするには何と書けばよかったのか。
heart to heart。
思春期の心は何かの二乗で難しい。
何かって?
例えば、英語。勉強する意味。生きてる意味。
2/6/2025, 9:30:59 AM