22時17分

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1/21/2025, 11:57:55 PM

羅針盤(コンパス)だけだと意味をなさない。
羅針盤と地図、これはセットだと思う。

羅針盤はいつも同じ方角を指す。
赤く塗られているところが北。反対は南。
しかし、ずっと北を歩いていればいいという単純なものではない。平坦な世界であればそれができるが、この世界は海があり、山があり。感情の起伏のようにアップダウンがあり。踏切があり、道路があり、未舗装路があり。
ここ、昔はお墓だったんだね。今は立派なホテルだけど。こんな感じに時代の変遷がある。

より歩きやすい道を歩け、という。
確かに羅針盤を持っていれば道には迷りづらくなる。それだけの話であって、目的地に着けるかどうかまでは見通せない。

だから、地図を作らなければならない。
既存は手書きで書いたボロボロの地図だろう。年代物を感じる。彼の持つ地図は、彼よりも長く存在している。いたるところに汚れがあり、手に持つところは特に人間の垢でテカっている。

海だったら海図、山だったら登山図になる。地図は時に応じて使い分けないといけない。
方角通りに進んで、ズレがあったら面舵一杯。
という、そんな単純な訳が無い。
航海士を連れていれば助かる海流の場所、波の荒れ具合、水深、天候などで、海図をみながら方向を決める。あくまで羅針盤は地図の見方を確かめるための道具であるのだ。

なのに、最近の人たちは地図を持たず、羅針盤ばかりを携帯している。北を見て北を歩いている。
時々東へ進んでいると分かると不甲斐なく泣き、また北に歩こうと修正する。
障害物があろうとなかろうと、北に。
山の周りを迂回すれば平坦なのに、山頂を目指しては下山しての繰り返し。
これだと息をするにも大変だ。

なぜ地図を持っていない?
僕は自分の持っている地図に問いかけた。
少し考えてから、地図を持たないのがトレンドになったのだ、堂々と地図を広げることが恥ずかしくなったのだ、と考えた。
最近は羅針盤も持たなくなっている。全部スマホが、人工知能がやってくれると本気で思っている。
だから右往左往している人が増えている。
くだらない。

1/20/2025, 1:39:49 PM

明日に向かって歩く、でも

その一歩は毎日続けること。
無理をしないこと。
毎晩休むこと。

松葉杖の人を想像したい。
見えないけれど、両足を挟むように杖はある。杖をつく。
転ばぬ先の杖。
平坦な道なら杖は要らない。
でも、そうじゃない。階段とか、坂道とか、険しい山道とか。
体力を使い切ろうとしないこと。

何もしなくても明日は来るけど、何もしない日々がずっと続くことはきっと退屈だと思う。
だから、一歩。大股より歩幅に合わせたほうが、きっと飽きることなく進めそう。

1/20/2025, 9:29:47 AM

ただひとりの君へ。

いや、君なんて一人に決まっとるやろがい。
という話なのだが、確かに「君」単体だと代替可能な言葉になると思う。
笑っている君、悲しんでいる君、楽しんでいる君、記憶の中の君……
例を出せば出すほど深まる、モブ感のある「君」。
すなわち代名詞として使われる「君」なのだが。

そういった意味の持つ「君」は、作品内でいくつも使った。登場人物さえ名前で書かず、君は〜、などと済ます。だって、ぽっと出の短編なんだもの。

でも、そういった深みのない内容もない、
面白みもないエグみもない、
マネキンのような空虚な存在で、設定を持たそうともしない、読者が勝手に想像する服装を着込んだ君を主人公に据えることで、枚挙にいとまがない調べを作り出したいだよね、
っていう作者の戯言。
もうちょっと擬人化してやりたいよなぁ、って思ったりした。西洋画みたいに、人でないものを人にする。
物語だってそうじゃん、人でないものを人にする。一介のモブを主人公に……

1/19/2025, 9:02:00 AM

手のひらの宇宙。

どう書きゃいいんだこんなもの。
と、手のひらをじっくり見てみた。
すると、その時の僕は頭がおかしくなっていたのか、手のひらに広がる皺が、惑星の公転の軌道ではないかと思った。

ふざけんじゃねえ、という話なのだが、確かに輪郭はあると思う。かすかに軌道っぽさはあると感じた。
やや曲がっていたり、円周の線分がいくつも散らばっている感じといったほうがいいのか。
手のひらをじっくり見たことはなかったが、意外とよい発見があるものだ。
それらの皺……指関節が動くことでできる溝は、星の公転軌道と一緒で規則正しく、定められた場所にある。

手のひら大の宇宙について書こうかと思ったが、宇宙について考える前に目の前の見ようとしていないものを観察したほうが良いという、そんな気配を持っているお題だと感心した。知らんけど。

1/18/2025, 9:03:36 AM

風のいたずら。

YouTubeを見ていたら、とある動画に出会った。
それはレースのようなもので、ゲームではない、
実写であり、ミニチュアの世界のなかを走ったように錯覚した。実際はミニ四駆を走らせて撮影したものだ。
ただ、目線はミニ四駆に直接カメラ(GPRO)を付けたもので、地面や部屋のなかで縦横無尽に駆け巡ったレッドレールを滑り、走行していく。
スタートがあって、ゴールがある。
動力はなし。位置エネルギーと運動エネルギー。
しかし、それでは坂を登るのは難しい。ブースターという乗るとダッシュボードみたいにタイヤの回転率をあげるものがいくつか設置してあって、それで加速を得た。

芝生の敷地内が広く見えた。実際広いと思う。
撮影者は道楽息子なのだろう。土地はアメリカ。
子供用のビニールプールの水上を走ったり、その周りを走ったり、ブーストを上げて敷地の塀の上を走ったり、脇にそれて高い樹木を回るようねカーブになっていたり。

4分の動画なんて、普通の動画ならあっという間だったが、レースができそうなレールの上を走るミニ四駆は爽快で、風が感じられる。
かたん、かたん。
レールが続いたものだから、つなぎ目で音が鳴る。そこは電車の線路と同じ感じ。
四駆で巻き起こった風で、地面に落ちていた落ち葉が舞い上がったほどだ。その1枚が揺らめくスケーターのように踊り、GPROの横をかすめる。風のいたずらで臨場感まで味あわせてくれた。


(あとで)

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