羅針盤(コンパス)だけだと意味をなさない。
羅針盤と地図、これはセットだと思う。
羅針盤はいつも同じ方角を指す。
赤く塗られているところが北。反対は南。
しかし、ずっと北を歩いていればいいという単純なものではない。平坦な世界であればそれができるが、この世界は海があり、山があり。感情の起伏のようにアップダウンがあり。踏切があり、道路があり、未舗装路があり。
ここ、昔はお墓だったんだね。今は立派なホテルだけど。こんな感じに時代の変遷がある。
より歩きやすい道を歩け、という。
確かに羅針盤を持っていれば道には迷りづらくなる。それだけの話であって、目的地に着けるかどうかまでは見通せない。
だから、地図を作らなければならない。
既存は手書きで書いたボロボロの地図だろう。年代物を感じる。彼の持つ地図は、彼よりも長く存在している。いたるところに汚れがあり、手に持つところは特に人間の垢でテカっている。
海だったら海図、山だったら登山図になる。地図は時に応じて使い分けないといけない。
方角通りに進んで、ズレがあったら面舵一杯。
という、そんな単純な訳が無い。
航海士を連れていれば助かる海流の場所、波の荒れ具合、水深、天候などで、海図をみながら方向を決める。あくまで羅針盤は地図の見方を確かめるための道具であるのだ。
なのに、最近の人たちは地図を持たず、羅針盤ばかりを携帯している。北を見て北を歩いている。
時々東へ進んでいると分かると不甲斐なく泣き、また北に歩こうと修正する。
障害物があろうとなかろうと、北に。
山の周りを迂回すれば平坦なのに、山頂を目指しては下山しての繰り返し。
これだと息をするにも大変だ。
なぜ地図を持っていない?
僕は自分の持っている地図に問いかけた。
少し考えてから、地図を持たないのがトレンドになったのだ、堂々と地図を広げることが恥ずかしくなったのだ、と考えた。
最近は羅針盤も持たなくなっている。全部スマホが、人工知能がやってくれると本気で思っている。
だから右往左往している人が増えている。
くだらない。
1/21/2025, 11:57:55 PM