雪を待つ駅のホームに、しゃがれ声の列車がやって来た。
昭和初期の時代から活躍し続けた鉄道である。
今のように電気で自走するような車両ではない。
墨の泥で塗り固めたような、黒々とした外装で、煙突からもくもくと、白い煙を吐き出し続けている。
動くこと自体稀有に近い様子だが、それは外装だけの見た目のみである。
石炭ではなくディーゼルエンジンで動いている。このモクモクとした煙も、実はハリボテ。ただの水蒸気である。
それでも、今の世の中では、電気代がかかることが特権扱いとなっているため、エンジンも車体も馬鹿にされている。
田舎のホームである。雪のカーペットはまだ敷設されていないが、寒さだけは一人前である。
都会へゆくための唯一の足である。
普通なら閑古鳥が鳴き喚いている石段のホームだが、今宵は大多数が待ち望んでいる。
待望の列車が来、大多数が乗り込む。
猶予のある時間が過ぎ、山を越えるような嘶ける唸り声を上げて、古びた列車はホームから発車した。
ゆっくりと、スピードを上げて巣立っていく。
ホームに一匹残し、列車は去っていく。
大多数の正体は寒さに弱い人間であり、一匹のそれは寒さに強いペンギンである。
ペンギンは、雪を待つ駅の駅員だった。
明日になれば、この地方には雪が降るという。
大豪雪だと。天気予報は真っ赤な警告を出し、ゴチャついた日本語ばかりを発している。
古い時代からすれば、壊れたラジオ。
周波数を間違えて今さら玉音放送をしている感がする。
ペンギンの駅員は、ゆく列車を見送るように、ちょっと短めな手で帽子の庇を改めた。
そして、ペタンペタンと可愛げな足音で寂しげに歩いていく。駅員室に戻る頃には、ホームは今年の雪を知るようになる。
行く列車があれば来る列車がある。
誰も知らない、降り積もるホームに先ほどの列車が帰ってきた。
誰も降りない……と思いきや、乗客一匹を降ろした。
「きゅう」
白いアザラシは、ザリザリと、十センチの雪をかき分け、ペンギンのところにやって来た。
「今年も来たのか」
「きゅう!」
白いアザラシは元気よく返事をした。
雪上になりゆくホームを、雪に強いペンギンらは腹ばいでスイスイ滑っていく。
シンシンと降り積もるなか、二匹は雪上家である駅員室にて夜を過ごす。
一方は寂しくなんかねぇぞと笑い酒を飲み、一方は今年の冬こそかまくらを作って過ごしたいと、懸命に鳴いているらしい。
とある地方で「イルミネーション」をしている所がある。それも2軒。
どちらも寒さがめっきり深まった冬の夜になると、外壁を彩るように、LEDライトの自宅仕様のイルミネーションをするようになる。夏などはしない。
僕としては、イルミネーションは電気代があり得ないほどかかると思うのだが、たぶんどちらも富裕層なのだろう。電気代など気にしたことはない。
ワンボックスカーとか、ゴツい高級車が軒先に停車しているし、一方は野球ベースを改良した物がある。
野球少年を飼っているのだ。
金曜日の夜、夜が深まったその道を通ると、軒先の野球ベースに立って三振しまくっている少年を見ることができる。通行人には見もしない、真剣だ。ブレない目を持っているな、と思っている。
イルミネーションの話だった。
どうやらどちらも我が子を喜ばせたいからそうするらしい。
一方は、外壁にツリーの形を彩っている。
上から下へと、光の流れを汲んでいる。本当はLEDライトの網が張り巡らされていて、ただの点滅だが、間近で見ないとそのことには気づけないものだった。
もう一つは色とりどりが光っている。
こちらは単純な作りだ。
ポーチの天井にLEDライトの網が設置されて、ただランダムに点滅されているだけ。違うのは、こちらのほうが色使いが多いということ。
赤青黄緑紫……そんなものが満天の星空のように光っている。
そういえば深夜も光っているのだろうか。
その辺は確認してないが、光っていそうな感じがする。
愛を注いでいたら、ハートが増えていった。
恋愛の話ではなく、愛を注ぐ対象はこのアプリに、である。
さっき見たら、1876とかだった。
七月くらいから始めたから、半年?
わからん。
毎日新聞のように、毎日書いてたらこの数字普通に増えるやつだからな。毎日10個が固定だから、小数点を左に一つずらせば、だいたいのアプリ起動日数がわかるってなんか良いよね。
最初の頃は、1日に増えるハート数のことを数えていた。増えていく演出とか、なんかそう、嬉しくてな。
学生時代の恋愛みたいに、毎日が熱かったのだ。
今は「すん」となってる。
もっと早く増えてくれないか、と思ったりもしている。
というか、書いたらもう、増えていく演出を見ずに、お気に入りの人の投稿を見ていく、みたいになった。
ときどき20くらい増えることがあるのだが、その時は「バグったんだろう」と思っている。時折反映が一日二日合算するみたいなのだ。だから、一気に増えた気になる。
数字に固執する人は、このアプリにはいないと思うが、もしかしたらいるかも知れない。
そういう人は「継続」というのを見下しているのだろう。数字より継続が大事。他人なんて、気にしてもムダなのだ。
まあ、いうて。
全部で7日くらい、書くのしくったんだよね。
夜7時にお題が更新されるじゃん。
で、僕社会人だからさ。
夜6時台に夜の通勤ラッシュがやばいと、書けないということだ。
だから、とりあえずお題をとっとこーとして、あとで書く、ということをしている。
それもできないことがある。できないというか「あっ、忘れた!」となっている。
仕方ない、人生長いんだからさ……。ほら、通勤電車を見てみなよ、数分で次のが来るぜ。
それに乗れば良いのよ。
といって、適当にサボっている。
このまま書いていたら、年末にありそうな振り返りのお題の時に書くことが無くなるので、これにて解散することにする。
心と心が通じ合ったような気分になった。
流れ星に手紙を乗せて、遠くの人と文通した。
文通相手は女性だった。同性。それも同年代。学タブ上の、イケナイ関係。ネッ友という関係。
悩みを相談したのがきっかけだった。
最近親に怒られたの。そう呟いたのがきっかけ。
誰も観ていないと思っていた。
でも、来た。それがファーストコンタクト。
ネット上だとしても、肯定してもらえたことがとても嬉しかった。
こんな日が、ずっと続けばいいと思っていた。
現実よりもネット上ばかりを気にするようになった。
いつしか学校は二の次になり、徐々に休みが多くなって、そして不登校になった。
でも、それでも……、ネッ友はそれを肯定してくれた。
休んでいいんだよ。学校なんか、無理に行かなくていい。それよりもさぁ、といって。現実の時間を、チャットサイトで無限に溶かした。
小中学生の関係なんてその期間だけのものだ。卒業したら縁が切れる。
でも、ネッ友なら、ネットが存在する限り、ずっと一緒。
日に日に、ネッ友に依存するようになった。
でも、ネッ友の方は、嫌がったらしい。
それはそう。
不登校なのは自分。一方その頃のネッ友は学校に行っている。平日の昼間は自由だと思っていたけど、実際は義務教育に行かなかったから得た自由なのだ。
夜なら良いだろう、夜更かしすれば良いだろうと勝手に思っていた。送った。送った、連鎖して送った。
送ったコメントに、いつまでも反応してこない。
翌日の朝とかに返ってくる。そうじゃないんだよ、って束縛しようとした。
優先順位が狂ってる。学校よりも私じゃないの?
あなたが、あなたが学校にいかなくて良い、といったから、私は不登校になったの。
そうやって、いつからか責任転嫁して、ネッ友をネッ友じゃないようにしていた。
それって矛盾してるよ。ネッ友なのに、無責任なアドバイスしてこないでよ!
指先は激しいノックで学タブ画面を叩いた。
学校に行かないから、誰も注意しなかった。
「それが犯行の動機ですか?」
目の前が暗くなった。
目を伏せるように、頭を下げたからだ。
床しか見えない、取調室の部屋。
机を挟んで対面する警察の人は、どこか胡乱げだ。
「私はただ、理由が知りたかっただけなんです。傷つけるなんてとても……、はい。返す言葉もありません」
相手の親は、私が行ったネット上の粘着行為に開示請求を行った。
相手はトラウマで不登校になったのだ。その報復として、被害届を出した。
せっかく中学受験に合格したのに。
わたしとネッ友になったばかりに、その努力をふいにしてしまったのだ。
粘着していたのは、年末年始に追い込みの時だった。最も忙しい時だったのに……私は。
。
警察の、人として見ていない目が、私のすさんだ心を射抜いた。不登校のくせに、被害者づらするなよ、という。
こんな風に現実世界に理解者なんていない。
それがわかってるのに、どうしてネッ友を壊したのか。
学タブの画面で、反省の色がうっすら反射する。手遅れの嗚咽も反射する。
何でもないフリを長く続けるから、日本人はうつ病になりやすいと思っている。
心の構造について、とある精神科医YouTuberの動画を拝聴した。その人が言うには、心はハードウェアとソフトウェアの2種類で出来ていると言った。
ハードとは、例えばスマホの機器本体のことで、心の入れ物である。
ソフトとは、いわばスマホの中にインストールされているアプリ群のことで、いわば心を構成している要素である。
人は日々、スマホのストレージ内でアプリを落としたり、または消したりする。
ストレージ容量は人それぞれで違う。
128GB、256GB、あるいは64GBという小容量を使っている古い携帯もあるだろう。
アプリを落とした順番が気に入らなくて、時折ホーム画面上のアプリの配置転換を行うこともするだろう。
意外と時間がかかるから、めんどくさくてしない人もいる。
それでも良いが、やがてストレージ一杯手前になると、警告が入って、アプリを削除しなさいと言われる……僕は言われたことはないが。
つまりはうつ病の人は、やたらめったらアプリのダウンロードばかりをして、そのまま放置してしまっている。
無駄なデータを蓄積した結果なのだ、何年もやっていないゲームアプリが重いのだ。ゆえにスマホが重くてサクサク動かないのだ、と説明した。
今はスマホがあるからこのような説明ができるが、スマホができる以前はどのように説明したのだろう。
心とは何か。
ネットは愚か、紙とペンすら希少だった時は、頭の中だけが頼りだった。記憶領域を短期と長期に分けて、ひどく哲学的思索をしなければならない。
そんな悲鳴のような、悲痛のような。
聞こえてくる。
遺伝子情報を通して、自分の脳内から聞こえてくる。
連綿とした試みが、過去何世紀もかけて行われ続けたという軌跡が。
例えば、所詮人間も、心という概念的な100%で出来ているのではなく、タンパク質の入れ物の中に神経伝達物質が飛び交っているだけのものなのだ、と気づくまで、科学の進歩を待たねばならなかった。それまで、宗教的信条が独占して、宗教戦争や革命が起き、血で血を洗う悲惨が巻き起こった。
……失礼、脱線した。
今はアプリの話をしているんだった。
睡眠時間というものがある。
人間も生物の一員だから、一日の1/3は寝て時間を捧げなければならない。
その時に記憶領域の自然的操作が行われるのだが、うつ病の人や疲れ果てている人は、これをぎこちなく行う。睡眠の質が落ちるのだ。
脳が起きている時間が多いと、その分身体を休める時間が短くなって、いわゆる「寝た気がしない」という状態になる。
だから、うつ病の心の何がおかしいのかというと、ハード面ではなくてソフト面……アプリがとっ散らかってて、ストレージ容量一杯になっているのが良くないのだ、という結論。
じゃあ、どうすれば良いの?
動画では「寝れば良い」
再起動するよう働きかければ良い。
あるいはOSのアップデートをして、作業効率をあげるように仕向ける、という。
スマホのように買い換える、という方法が物理的にできないのだから、そうする他ない。
データが一杯手前だとしても、フリーズするわけではない。
ストレージ容量を超えようとしても、超えることはない。身体のほうがリミッターを付けていて、ブレーカーがガコンと落ちるように、勝手に寝るようになる。
「もう寝ろ」と身体を壊した。それがうつ病だ。
ここまで書いてきた通り、精神科医YouTuberは理路整然と動画で述べていたのだが、そもそもうつ病になった人は文章は読めないし動画も観れない。
というか、集中力が散漫を起こして、この短い文章さえも拒否してしまう。
そうなると精神科医は、
「薬を飲んで寝ろ。話はそれからだ」
ということになり、眠剤を処方して寝るだけの人生にするしかない。
いったい何のために動画を出しているのか。本当に伝えたい人には、届かないことをしている。それは精神科医なら知っているはずなのに……
つまり「そうなる前に」というのが肝心なのだ。
何でもないフリをするのは、限界を知っている人が一時的にするもので、ずっと我慢するためではない。
それは演技ではない。
何でもないフリ……、フリとついているから演技なのだ。「何でもないフリ」を我慢しすぎると、何でもない、になることはない。