22時17分

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12/11/2024, 5:49:52 AM

仲間と友達は、なんか違うらしい。
僕的な感覚で言えば、仲間はより親密な感じ。友達は話しはする、一緒にいる。けど仲間まで親密かといえば、……。となる。

仲間というのは、絆があるらしい、とライトノベル的なファンタジー本を読むとそう感じる。
友達は、ファンタジーではなく実体があって、現実世界よりな感じ。こう書くと仲間も現実にいるだろって突っ込まれるかもしれない。
だが、どうやら僕の世界には仲間と呼べるような親しき関係は、卒業アルバムの中におり、開かないと思い出せないでいる。

まあ、ちょっとしんみりしちゃったけど、別に生きるだけなら仲間なんて要らないよね、っていう強がりを書きたかった。
またしんみりしちゃった。

まあ、いいんだ。世の中には卒業アルバムの中にないような、もっと直截的にいうと、写真に写らないような。
世間では学生と言いつつ、本人は学生時代なんていうものはない人たちだっているんだ。
いや、いるじゃない。いたかもしれない。だ。
またしんみりしちゃった。
しんみりしても、僕は前を向ける。
良いしんみり。お風呂入りたい。

12/10/2024, 9:14:16 AM

手を繋いで、朝の通勤電車に入ってきた。
2人だけではなく、意外と入ってきた。
集団、グループ。人数的には10人くらい。
ホームでは、列でなく横になった直線で待っていたみたいだ。

背丈は低めで、すなわち幼稚園児。
たぶん「ももいろ組」なのだろう。
桃色を羽織った何かを着て、みな身体が桃色だ。

区間は三河島から日暮里駅までの一駅だけだった。
東京にお住まいのひとは、ご存知の通り、常磐線内で最も混む区間である。そして、鉄道好き人には、でかいカーブがあることで有名でもある。

朝の通勤電車は大人、スマホをいじってるだけの学生だけしかいない。それ以外の人間はこの世には生きていない、と思えるだけの混雑状況で、ミツバチの密集みたいに箱に詰められて出荷されている。
視界の色は黒々。時折マフラーの赤や緑、すすけた色があるだけの、色のない色彩。

しかし、その車両に涼風が吹いた。
幼稚園だか保育園だか知らないが、電車が滑り込んだ三河島駅のホームに、児童たちが待っていたみたいだ。
電車が到着したことに、わー、わー、とはしゃいでいるようだった。遠足気分の小さい感じ。それで引率の先生方も手を焼いているみたいな声。そばに立つサラリーマンの列が見える。

だが、電車のドアが開くと、その声はシャットアウトしたみたいに静かになって、先生たちの先導によって、電車へと導かれた。

「はーい、乗るよ〜、みんな〜。段差あるからね〜、注意しようね〜」

それら小さな集団は手を繋いで。
まるで数珠が袋の中で落ちるように、複雑な蛇腹になって電車に入ってきた。ホームと電車の隙間は、手を繋いでよいしょ。と一緒に乗り越えた。

意外と入るものである。
車内の人たちも協力して、空間を開けてくれたのだ。
意外と静かである。
そのお礼みたいな感じに、僕は思えた。

電車が動く頃には、まったくの静かさで、狭苦しくて泣く子供も友達とおしゃべりする子供も、ましてやスマホをいじる子供も1人もいない。
まったく背が小さいので、そこだけ花畑ができたようだと思えた。背丈的にもつり革に届かない、手すりにも全員分は無理。
ということで、桃色の花畑が電車の揺れに堪えている。車体の揺れとともに、身体を揺らしている。
先生たちも、素直になっている子供たちの肩にそっと手を乗せ、周囲に気を配っている。

日暮里駅に着いた。
ここは乗り換える人が多い。
電車のドアが開くと、幼稚園児たちも降りていった。
また、よいしょ、と。段差を乗り越えて、ホームへ。
それを待ってから、常連の通勤者たちが、大量に降りていった。この車両はもう、すっからかんである。

常磐線電車がダイヤ通りに発車して、日暮里から上野駅へ、ゆっくり動いた。
件の幼稚園たちは、ホームのすみっコぐらしをしていた。たぶん、通勤者が先と心得ているようだ。
迷子にならないように、と電車内で少し願い、車窓に消える。

12/9/2024, 9:19:57 AM

ありがとう、ごめんね。

むずいお題だ。パス。

12/8/2024, 8:07:54 AM

部屋の片隅で、月を見上げて考えていた。
ここら一体の小石がどうして黄色になっているのか、本来の石の色を塗りつぶし、みな魅了されたように月光に濡れている。

月は答えないが、こう答えているような気がした。
滝みたいなものだ。空と地面にこんなにも落差があったら、そりゃ月の光に濡れてしまうと。

月と対話する人は、なおも呈した。
月の光は、実は借り物なんだろう。なのにどうしてそのように自分の力のように主張できるのか。

月は答えないが、こう答えているような気がした。
本来私たちは対話するような距離感ではない。
眺め合い、光を受け取るもの。
しかし、何一つ変わらない私たちだが、地表の人間たちは区別化して空想上の生物たちの印象付けを行った。
光あるものは正しきものに、闇ある者は影に。
月と太陽も同じように、木から林檎を収穫した。
だから、君のように月と対話するような人は、世界にまたとない人なのだ。
君は、月を収穫しようとして、対話するのだ。

「違うよ、いつまでも部屋にこもって、ひとりぼっちなだけさ」

12/7/2024, 9:11:01 AM

逆さまとイカサマは似ているなって思う。
先入観で予想したものを裏切ることをして、それが好印象になるか悪印象になるか。実際にはよくわからない。

五年刻みで幸と不幸が連続するならば、いくつかの出来事は逆さまにしてイカサマしたい。

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