22時17分

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12/6/2024, 9:23:09 AM

眠れないほど面白い本を見つけてきた。
しかし、辞書のようにとても分厚くて、誰もが鈍器のような何かだと思う程度に重たい。
読了するには時間的効率が悪いので、こういうのは、YouTubeの動画のように、誰かに要約してもらうに限る。

「そうだ! 近所の池に超絶暇そうな浮浪者がいたじゃねーか」

鈍器のような本を引きずって、近所の公園に出向いた。
まるで死体遺棄でもするかのように、その本を池に捨てた。
すると、どこかの定番ストーリーをなぞった。
池から自称女神が出てきた。

「あなたが落としたのは、この面白い本ですか?
 それとも眠れないほど面白い本ですか?」
「ふむ……」
などとしばし選択に迷う素振りをしてから、
「面白い本と言われてもな、世の中面白い本なんていくらでもあるからな」
といった。自称女神の目つきが悪くなる。
「本の装丁や表紙の色で見分けがつくかと思いますが」
「しかしなあ、見た目だけでは本というのはわからないものなのだよ。物語とはね、文字情報の住処みたいなものなのさ。そんな風に見せたところで、オレにはどちらがどっちなのか、見当もつかないのだよ――そうだ!」

と、わざとらしい提案をした。
「それぞれあらすじを言ってくれないかな。そうしたら、どちらがオレが落としたものか分かるだろう」
「人間の分際で女神に要約を頼むとは……。なんと愚かしい浅知恵。まあ、いいでしょう」
女神はパラパラと斜め読みした。時間はパラパラマンガのように数秒である。
どうやら俺が持ってきた分厚い本はミステリー小説のようだ。若い女が不審な死を遂げて、その事件は未解決事件になった。
しかし、時効が成立する三日前に、一隻のクルーズ船が日本海に飛び出した。そこで人が殺される……。

「寝るほどつまんなそうだ」
オレは女神のそばにあった本をふんだくることにした。
「なっお前! それは私の……」
「悪いが、俺の持ってきた本はつまんなそうだからさ、もう一つの本にするわ。こっちは薄い本だし、なんてったって「面白い本」っていうタイトルだからな」

女神のコレクションを強奪したオレは家に帰った。
その本は3日くらいかけて丁寧に読んだ。
嘆きの女神になったらしく、その数日は大洪水時代になったようだが、関係がない。ノアの箱舟のような沈まぬタワマンの最上階にいるのだ。

12/5/2024, 7:39:20 AM

夢と現実。

現代に生きる人たちは、この二つの要素を対義語的に理解している感じがする。
生と死みたいに考えているっぽい。

例えば人生を1と置く。
睡眠時間に1/3、現実世界に2/3の割合で充てているのだから、夢より現実の方を重要視するのはごもっとも。
夢は、大ぼら吹き。現実逃避として利用される悪の組織。

夢の時間たる睡眠時間をなんとかして削ったほうが良いと考え、僕たちはショートスリーパーに憧れてしまう。
学生時代は徹夜したり、夜更かしすることに対して罪の意識がない。
睡眠時間分、人生は損をしているわけだから、その分削って現実世界に生きたほうが得をする。
まだ、この時代には不老長寿の薬なんてないのだ。
そんなことを、生まれた時から植え付けられている。

しかし、どこかのブログでかすった知識を披露すると、今から150年くらい前の江戸時代では、人生とは、現実の世界と夢の世界、その両方を繰り返し経験するのだと思っていたらしい。
現実、夢、現実、夢……。
その繰り返しで、人生という名の時間が進む。

これを読んだ時、僕はなるほど〜、と思った。
つまり、昔の人達は、ちゃあんと「無意識」と「意識」を区別して、それらを包含して人生というものを生きていたのだ。

一方、現代人たちは、意識の世界にのみ生きようとして、もがき苦しんでいるらしい。
養老孟司先生の本を読んだ時は、
「意識の世界とか何いってんだコイツ」と思っていたのだが、つまりそういうことか。

先ほど書いたように、現代人は自分の脳に住まう意識を王様のように考える。王様の絶対王政を強いている。
1日の1/3を睡眠時間という名で時間を「捨てている」と考えがちだから、1日は2/3しかない。
王様はそう考える。すると、自然に無理なことを声高々に宣言することになる。
「だから、人生を効率よく生きよう」と。

無意識の世界を区別してこれを放棄し、思考能力がある時間のみに注視した。
現実(瞬断)、現実(瞬断)、現実……。
現代人は、よく精神を病みがちだとされているのは、そういうことだと思う。
人生の時間に対する姿勢が、給料が天引きされたが如く、何者かの手によって脱落しているため、その時間を取り戻そうとして効率的に、効率的に……、と思うようになった。
これを自覚すると、現実と夢は両極端な概念ではなく、数直線を引いた時のように、水平的になる。

現実、夢、現実、夢……。
その繰り返し。
普通に考えて、人生の時間は「倍」になるわけだ。
あるいは、夢の時間は脳にとって休憩時間である、という再認識も進んだ。

だから無意識について理解するために、夢の世界とは一体どのようなものなのだろうと調べ、発掘していった。
夢占いとか、諸行無常とか、無常観とか。
マインドフルネス(禅)、芸術、祈り、彫刻鑑賞……
今の現代人には、まったくもって理解不能と切り捨てられた思想だが、もうちょっと調べようと僕の好奇心は提案する。
きっと昔のほうが、時間がゆっくり進んでいたのだ。
効率化を考えていったから、時間が早く感じるのだ。

江戸時代が終わって150年くらいしか経っていない今。
人生の効率化を目指していって、生きづらいと思えるからこそ、人生に向き合う必要性に駆られた。

12/4/2024, 9:38:44 AM

さよならは言わないで、「またいつか」と言いましょう。

そんなことを伝えているお題だなって思った。
両者の意味は98%変わらないものの、後者のほうが耳触りが良くなるようだ、と年齢が深まってくるとそう思った。

嘘かもしれない。
正確に伝えるなら前者。勘違いを起こす。
綺麗事、正論の類。低年齢だとそれが聞こえてくる。
嘘。大人に、なろうとしている僕の心にも小言のように発している。
でも、嘘かほんとか判断するのは数年後の未来の僕だから。

別に勘違いを起こしたっていいじゃない。
数年後の未来は、僕たちにはわからない。
わからないなら、確定せずに曖昧にしよう。
穏やかな海の、波打ち際。歩いていれば足の裏に砂粒がつく。
またいつか、という希望を抱きながら歩く。
痛いっていう砂粒でてきたサンダルを履いていると、良い気分で歩ける、と思う。

12/3/2024, 9:49:17 AM

光と闇の狭間で、働き者のミツバチたちが飛んでいる。
ミツバチたちの上空は白く、清廉潔白である。
それは光の道を差している。
対して眼下の地面は黒く、澱んでいる。
闇の道を差している。

その狭間……。
光と闇の濃度が綯い交ぜとなっており、その狭間を、ぶんぶ〜んと気の抜けた飛び方をしている。
こちらを飛べとのお達しだ。
ミツバチの目はそうよくできた方ではないので、視界良好な方が良い。
光の道はかなり眩しく、目を焼かれる。
闇の道は息苦しく、身体が蝕まれる。

ぶ〜ん、と気抜けた羽音を立てながら、いくつもの紐で結われたでかいハチミツ壺をぶら下げつつ、運んでいる。
現在の光と闇の交配濃度は50%。
視界良好……とは言えない。
白い霧と黒いモヤが混じっている。
う〜ん、微妙だ。
何とも言えない微妙さだ。

ミツバチたちの職業は、天国と地獄を行き交う、運び屋のような感じだった。

天国と地獄。
人間たちには北極と南極のように両極端に位置すると思われているが理屈は当たっている。
しかし、両極端なのは場所だけで、どちらも気候環境は極寒。
実際、天国と地獄は政治と民間企業の大企業のような関係で、裏では「政治とカネ」のような強い結びつきがあるようなのだ。
つまり、ミツバチたちは蜜を運んでいるのではなく、カネ――政治献金(裏金)を運んでいるのである。

今や天国と地獄はビジネスパートナー。
いがみ合っているが、それは表での話。
閻魔様と神聖たる神とは、夜のパートナーになって……、という噂もある。国民に隠れて、閻魔のナニを神がしゃぶっていると。それほど両者の国は癒着しているのだ。

悪魔と天使を同等に扱う天地の統一思想も現れているという。統一思想があらわれたのは、少子化対策由来らしい。
上級国民である悪魔たちは、両国を統一してから落ちぶれた天使を雇い、救済と破滅を混ぜた宗教的思想を植え付け、それを介して下界の人間たちを自決に追い込み、魂を刈り取るだけ刈り取りたいと思っている。
本来天国に行くはずだった人間の人生に茶々を入れて、地獄に連れていくという。

まるでブラックなのであるが、天国も地獄も少子化。
人口が減少している。
地獄の常識であれば、そもそも人件費の概念がなく、汗水垂らして過労することが「この世の罰」。
そう言い含められるが、天国の者を歓迎するためには、そうはいかない。「人件費」という名の手綱(カネ)が必要なのだ。
しかし――そうも言ってられないのがこの集団なのだ。

「おっとと……」

ミツバチ部隊の編成が崩れかけ、壺の中身がチャポンと揺れた。

「危ないなぁ。堕とすなよぉ」

リーダー格であるミツバチが注意喚起のヤジを飛ばす。その後壺の中身を確認した。
ミツバチたちは、単なるバイト。
本来運び屋には熟達した天使を採用する。
しかし、そうできない理由がある。運んでいるモノがモノなだけに。それに、単純に天使は人件費がクソみたいに高いのである。

壺の中身は、不登校になって人生が詰んだ天使の子どもたち。それが壺のなかに閉じ込められていた。
背中に、白い羽が生えているが飛べません。
飛び方が知らないから、このように拉致られ、地獄に連れて行かれるのである。だから、この内一匹を誤って落としたとしても、実損はないに等しい。

「よくわからないなぁ、こんな木偶の坊が300万で取引されるんだぜ。こんなののどこに需要があるんだ?」

12/2/2024, 9:56:28 AM

距離をゼロにする魔法効果のあるネット社会。
とある小説投稿サイトを利用しているわけなのだが、そこでは閲覧数は見えない仕組みを取っている。

最近、インプレッション数とか、閲覧数とか。
そういった意味のない数字に夢中になっているネズミが多いと聴く。
僕もそのネズミになりかけて精神が不安定になったので、「もう一人にしてくれ」と、閲覧数が非表示なサイトに引っ越して、淡水湖みたいな海辺でゆったりとしている。

……はずだった。

最近、というよりか数年前からか。
今どきの小中学生は、デジタル教科書に切り替わったことで、学タブというものを持ち始めた。
知らない人がいるかも知れないから書くけど、学生用タブレットのことである。
僕もよくは知らないが、たぶんデジタルだからアプリみたいに教科書を切り替えることができるのだろう。まさに「指一本で自由に」というやつだ。

だからだろうか、学タブの操作者にもそれが表れる感じになってきた。粗暴というか、遠慮を知らないというか。
学タブの略称が学生用タブレットなのか、学校用タブレットなのか、よくわからないが、ほとんど混同してミキサーにでもかけられたように、目的意識が凝固化せずに溶解してしまっている。

いつしか普通のネットの海に航海を始め、学タブは無料体験の境界線を越えて沖合にまで勢力を拡大中。
わりと海賊みたいな船乗り気取り。
無人島暮らしでゆっくりしていた僕目線では「目障り」だと思えてしまうくらいだ。
有名マンガのように、何を勘違いしたのか、世界一周することが夢であると豪語している。

国としては野放しとなっており、無法地帯や野放図になりつつある。
小説投稿サイトを「SNS」と言い始め、チャットサイトのように使い始めて僕は目を覆いたくなる。
バカとハサミは使いようというが、バカはハサミというものを知らない。指一本で二次元を操作できるからだ。

彼らに小説などというものは書けない。
読書感想文もまともに書けず、ト書きレベルを小説という始末。
本当に少子化なのか? と、疑問になる。

単純化思考になってしまうところだった。
ネットの海は広大で、距離感がつかめない。
きっとネットの海で暴れている学生たちは一部なのだと思いたい。
SNSで時間を溶かしている連中も、大人の層からいえば、3%位しかコメントしないらしい。あとの97%は読み専なのである。
だって、仕事で1日の1/3を持ってかれ、睡眠時間で1/3を持ってかれ、あとの時間はプライオリティなプライベートなやり取り。僕はYouTubeの動画を見てたらあっという間に就寝時間。
SNSでバトルをするような、時間を捨てることはしない。

まずは音から汚染されるのだ。
今見ているネット上の光景も、音から。
名残惜しそうに耳栓をし、あるいはワイヤレスイヤホンをして、シャットダウン。

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